上杉鷹山と松岬神社の歴史
初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅
10:35
憧れの「米沢牛」と「牛にぎり」を「登起波」で食べるという、夢のような時間はあっという間に過ぎて、僕は再び「30.1度 ムシッと暑い」うすぐもりと呼ぶにはあまりに雲が少ない米沢の日差しの下に立った。
ここからは午後の新幹線の時間まで米沢観光タイム。
上杉神社、松岬神社、米沢市上杉博物館が一か所に固まっているエリアまで登起波から直線距離で 1.5km。
ここからは市街地循環バス(左回り)で行くことができるが、便数が少ないため歩くことにする。
NHKをつけると画面左上に「外出は控える」と表示される夏
元々そうなのか、暑いからそうなのか、クルマは走っているが人が歩いていない町。ときどき給水しながらゆっくりと歩を進め、24分かけて松岬神社にたどり着いた。
11:59
「松岬神社(まつがさき)」は上杉鷹山公をはじめ六柱を合祀する神社。
当初は上杉神社に上杉謙信公と合祀されていたが、後に摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座している。
上杉鷹山は江戸時代、米沢藩(山形県)の藩主。
養蚕事業、肥育を米沢に根付かせ、歳入不足に喘いでいた米沢藩の財政再建を成功させた。
初めに肥育を奨励したのは米沢藩主 上杉綱憲で、米沢に肥育農家が根付くきっかけとなった。後に米沢藩主となった上杉鷹山も肥育を奨励し、米沢に肥育を根付かせた。
2013年にこの旅行を計画した際、上杉鷹山の生涯をしらべて、その施政の姿勢に感銘を受けた。
■肥育農家
肉を多くとるため家畜を太らせる事業を行う農家。短期間に太らせる飼育法を採る。
乳牛を飼育して搾乳するのは「酪農農家」酪農農家も搾乳後の牛を肉牛として出荷するが、肥育農家は肉牛として出荷することに特化している
□上杉鷹山の記録
1751年7月20日
高鍋藩(宮崎県児湯郡高鍋町あたり)秋月家の次男として江戸で生まれる
1760年
出羽国米沢藩(山形県)上杉重定の養子となる
1764年
細井平洲を政策プランナーに招聘
1766年
元服し上杉治憲を名乗る
1767年3月
米沢藩第9代藩主となる 養蚕事業、肥育を米沢に根付かせた
1785年
35歳で隠居
1802年
上杉鷹山を名乗る
1822年3月12日
上杉鷹山 72年の生涯を終える
1826年
米沢藩が積年の借金を完済
1894年
思想家 内村鑑三が著書「代表的日本人」で上杉鷹山を紹介。後世これを読んだJKケネディ大統領は上杉鷹山に影響を受けた
2014年
ケネディ・キャロライン米国大使が、着任直後の講演で父JKケネディが上杉鷹山を尊敬していた逸話を紹介した
□松岬神社の歴史
1902年
上杉神社から上杉鷹山公を分祀 松岬神社 創立
1912年
松岬神社 社殿建立
1923年
米沢藩初代藩主 上杉景勝公を合祀
1938年
上杉景勝公の重臣である直江兼続、上杉鷹山公の師・細井平洲先生、上杉鷹山公の藩政改革を補佐した功臣・竹俣当綱、莅戸善政を合祀
初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅
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