「なせば成る」をテーマに母と話してみたかった
初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅
「なせば成る成さねば成らぬ何事も成らぬは人の成さぬ成りけり」
は上杉鷹山が家臣に言い聞かせたことば。
上杉鷹山は自らがまず模範を見せる「して見せて、言ってきかせて、させてみる」人材育成を行った。
昭和の軍人山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は上杉鷹山に学んだもの。
母がよく「なせばなる」と僕に言って聞かせた。
僕がなにかにつけて「無理」って言う度に。
「なせばなる」を言われると、子どもの僕は「またか」と想っていたが、もう話すことができない今となって、その言葉は宝物のように感じる。母がこの言葉を何から(誰から)学んだのか、今となっては聞くことができない。
12:08
松岬神社には授与所などの施設はなく、つづいて隣接する上杉神社へ。
上杉神社は戦国武将最強と言われた上杉謙信を祀る神社。
「稽照殿」には上杉謙信の遺品などを展示している。
上杉鷹山「なせばなる守」は上杉神社の授与所で授与される。
子どもの頃「なせばなる」を共に言い聞かされた姉の分も合わせていただいた。
□上杉神社の歴史
1578年3月13日
上杉謙信が49歳で逝去
1876年
米沢城の本丸跡に上杉神社を建立 上杉謙信、上杉鷹山を合祀
1912年
松岬神社を建立
1919年
米沢大火で上杉神社が消失
1923年
4年越しで再建し完成
12:22
今日最後の観光目的地、上杉神社に隣接する米沢市上杉博物館へ
ここには、上杉鷹山の資料が多数保管・展示されている。
常設展、特別展が行われており常設展のみに入場。
13:00
映像コーナーでおよそ15分、上杉鷹山の業績を紹介したアニメ映像を見る。
自らの収入を削り、民衆に尽くした上杉鷹山。その施政の姿勢はまさに公僕の鑑。
2007年に讀賣新聞がおこなった全国自治体首長に対する「理想のリーダー」アンケートで上杉鷹山が1位となっている。
一時間に1本の循環バスまで40分ほど時間が余ったので、図書コーナーで特別展の内容を記録した「特別展 上杉鷹山の財政改革」を読む。この特別展ならば見たかった。
屋外は相変わらず30度超え。暑いというより、日差しがひりひりと熱い。
博物館の前にあったファミマ米沢上杉神社前店でキューピーコーワαドリンクでエネルギーを補充してから、バス停に並ぶ。
14:04
上杉神社前バス停から循環バス(左周り)の黄色いバスに乗車
意外にもICカード使えた(JR在来線はまだ使えない)
14:15
今日最後の目的地に立ち寄るため、米沢駅前の1つ手前「駅前二丁目」バス停で下車。
10年前から目を付けていた「米澤牛焼肉重 松川辨當」は米沢駅(1番線ホーム売店/駅舎のおみやげ処よねざわ)でも買えるが、確実に手に入れるために「松川弁当店」へ。
持ち帰り弁当店然としたお店のカウンターに駅弁の見本が置いてある。
その中から「これを」と松川辨當(べんとう)を注文
「お待ちください。これから作ります」と店主(たぶん)
1899年、米沢駅創業の年に創業した松川弁当店。
駅弁ホームページによると、米沢駅意外にも大宮駅、東京駅で売られているという。
辨當の掛紙に貼られた消費期限はおよそ8時間後。この先は冷房が効いた電車旅。辨當は常温で持ち帰り、帰宅後の夕飯にする。
15:28(34)
6分遅れで米沢を出た臨時つばさ88号は、板谷峠の下りで挽回したのか福島を過ぎて東北新幹線路上に乗った時には遅れを取り戻していて、定刻で東京駅のホームに滑り込んだ。
松川辨當を一口食べて笑いがこぼれた
いつまでも食べていたい
またすぐに食べたい
録音や録画はできても現代の技術には「録味」がないことが、こんなにも惜しいと想ったのはいつ以来だろう
120年の歴史をもつ美味しい辨當のお陰で、旅の終わりが幸せな気分に包まれた
この旅を始める前、47都道府県の未踏は「山形」と「鳥取」
これで、あとは鳥取県を残すのみ
既に「こういう案はどうだ?」ともう1人の自分が囁き始めている
おわり
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