1982年、クィーン「5会場6公演」の2daysはなぜか福岡
32年前の今日、1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが亡くなった。
僕の中でのクィーンは、フレディの死で終わっている。
それから14年後、2005年の「クィーン活動再開」(QUEEN+PAUL RODGERS)には色めき立ったが、ボーカルは仕方ないとして、ベースのジョン・ディーコンが参加しなかったことには愕然とした。
2014年からの「QUEEN+ADAM LAMBERT」でもそれは同じだ。
何らかのカタチでクィーンが再開する時、残った3人が参加することは、お日様が東から昇るのと同じくらい当然のことだと信じていた。
僕はクィーンに興味を失い、こう決心した。
「かつて、僕はクィーンを1度見た。フレディが居てこそクィーンであり、それで十分だ。もうクィーンとは関わらない」
だが18年の時を経て、人間が円くなったせいか気が変わった。
2024年にクィーンがやって来るという記事の中に、ロジャー・テイラーの次の言葉を見たからだ。
(クィーン来日情報をチェックしている時点で「興味を失った」というのがポーズだとわかるが)
「もしかしてこれが最後かも……なんて、誰にも分からないけどね。どうなんだろう?」
*クリエイティブマンプロダクションのウェブページより
ロジャー・テイラー(1949/7/26)は74歳
ブライアン・メイ(1947/7/19)は76歳
確かに「これが最後」と言われてもおかしくない年齢になっている。
「もう買えない」と言われるとつい欲しくなる限定品と同じで「これが最後かも」と言われて、決心を翻す理由を探し始めた。
・クィーン最後の来日に立ち会うことに意義がある
・ブライアンとロジャーの姿が見られるだけでも貴重だ
・ブログの題材ができる^^)
理由は3つもあれば十分。
僕は「QUEEN THE RHAPSODY TOUR 2024」に参戦を決めた。
その詳細に触れる前に「僕はクィーンを1度見た」時のことを振り返っておきたい。
クィーンを初めて見たのは1982年の「Hot Space Tour」九電記念体育館公演。
クィーンは12枚めのアルバム「Hot Space」発売の年に55会場 69公演のワールドツアーを実施。日本では5会場6公演を行った。
【 Hot Space Tour 時系列の記録 】
1982年4月9日
ツアー初日 スウェーデン スカンディナヴィウム
1982年4月23日
アルバム「Hot Space」発売
1982年9月15日
米国カリフォルニア イングルウッド フォーラム
*これがQUEENにとって米国最後のライブとなった
1982年10月19日~20日
福岡市 九電記念体育館(2days)
1982年10月24日
兵庫県 西宮球場
1982年10月26日
名古屋市 国際展示場
1982年10月29日
北海道立産業共進会場
1982年11月3日
ツアーラスト 所沢市 西武ライオンズ球場
クィーンはこのツアー後、結成以来初めての長期活動休止にはいった。
いわゆる外タレの来日ツアーで「5会場6公演」といえば、首都圏会場が 2days と相場が決まっているが、1982年の来日では福岡がその 2days だった。
当時、福岡での公演は日本で一番客が入っていた・・・
といったことは全くない。相対的に言えば今よりも入っていなかったくらいだ。
それなのに「なぜ、福岡 2days」だったのかは「中の人」に聞かなければわからない。
そして「なぜか、福岡 2days」だったことで、僕にクィーンを見る機会が転がり込んできたのだった。
つづく
QUEEN THE RHAPSODY TOUR 2024年2月14日
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