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2023年12月 2日 (土)

予習がなくてもフレディ・マーキュリーと全力で合唱できた理由

前話「クィーン福岡で最後の公演 九電2days 2日めは一転して超満員」

ここまで「夢のような1日」の経過を詳しく書いてきたが、コンサートの内容は断片的にしか覚えていない。

インターネットがない時代では、経験をアウトプット(公表)する機会はプロの書き手だけのもので、現代のように素人が「予習」「参戦」「執筆/SNS投稿」と、後で書く流れはなかったからだ。

コンサートを見た感想を言える場は、せいぜい友達との雑談。
その相手も「クィーンファン」ではない。会話は「この間クィーン行ったよ」「どうだった?」「よかった」で終わってしまう。
同じ興味と関心を共有できる仲間をリアルの環境で探す手段はなかった。
コンサートを終えて、それを誰かと語り合うことはなく「エビングハウスの忘却曲線」が示すように、反芻されない記憶はすぐに薄れていった。


1981年にアメリカで始まったロック音楽番組「MTV」の映像が時折、日本のテレビでも流れていたが、動いているクィーンを見るのはこれが初めて。
それでもフレディ・マーキュリーが歌って踊る姿に、それほど新鮮味はない。
それは「ミュージックライフ」で穴が空くほど彼らのステージ写真を見ていたからだ。一旦、二次元の世界から彼らが飛び出した後は、いつものように"コンサート"に入っていった。

人は誰も、中学高校の頃に聴いていた音楽は歌詞を丸暗記している。
(考えには個人差があります)
それが日本語であろうが英語であろうが。

「子どもの頃に聴いた曲は歌詞をよく覚えているよね」
あなたも、こんな会話をしたことがあるかも知れない。
その理由としては、年齢的なこともあるだろうが「歌詞カードを見ながら」「ヘビロテ」で聴いていたことが大きな理由だろう。社会人と比べて学生は1日のなかで音楽に充てる比率が高い(ヒマだということ)
ただ、音楽が配信主体となった現代の学生は、Apple Musicなどで歌詞を追いながら聞きこまないと長期記憶として定着しないかも知れない。

急遽、その日のお昼に決まった参戦ではあったが「三度の飯よりクィーンが好き」だった僕に予習は必要なく、すべてが聞きおぼえのある曲をフレディと合唱した。
「歌う時はとなりの人に配慮して」と桜井和寿に言われるのは、それから30数年後のことであり、僕はなんの疑問も持たず記憶を誇るかのように全力で歌った。


縦横無尽に動くクレーンに乗ったカメラマンがステージを舐めるように撮っているところをみると「きっと今日の映像はライブビデオになるのだろう」と僕は考えた。
当時、映像媒体はDVDではなくビデオテープである。
この時の推察は大きく外れてはいないのだが、発売されたのはずいぶん後になってからだった。


「Hot Space Tour'82」のライブ音源と映像は、ツアー実施から22年後の2004年10月25日「On Fire Live at the Bowl」として発売された。

DVD(2枚組)映像収録会場は次の3会場。
(時系列順)

1982年5月12-13日
オーストリア ウィーン シュタットハレ
DISC2 ウィーン・ハイライトとして収録

1982年6月5日
英国ミルトン・キーンズ ボール
DISC1 ほぼ全編収録

1982年11月3日
西武ライオンズ球場
DISC2 東京ハイライトとして収録

7ヶ月 55会場 69公演(日本は5会場6公演)のワールドツアーのうち、映像化されたのは3会場。
日本からは(所沢は東京じゃないということは置いて)西武ライオンズ球場公演。
九電記念体育館でクレーンに乗ったカメラマンが撮っていた映像はお蔵入りとなったらしい。
初日のがらがらの客席にお冠?なフレディの歌唱には少し興味がある。


QUEEN THE RHAPSODY TOUR 2024年2月14日

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