まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がする体内暦年時計「今年が去年のような気がする」問題
1日に1回は必ずパソコンに打ち込んでいる数字がある。
新しいサービスに入会しない限り、自分の名前は滅多に打たないが、その数字は1日1回と言わず多い日は10回くらい打つ。
それが「暦年」
今年であれば「2024年」
これだけ打つのならば単語登録したほうがよいと想って今登録した^^;)
24→2024年
ことし→2024《今年》 《》内はコメント
ATOKでは「ことし」とタイプすると上記の候補が出るが、大抵の人は「今年が何年か」を覚えているので「2024」と打つ。僕もその一人
・・・のはずだったのだが、ここ数年異変が起きている
■僕の脳内(中継)
西暦を打つよ~
今は202・・あれ? 2024は去年だったか
だから2025
いや違う、まだ2024でいいんだ
(「2024」と手を動かしながら)
2024年ってもう終わったような、もう2025年を生きているような気がするな
この「暦年感覚」が狂いだした始まりは「2020」だった。
東京2020があまりに楽しみで、2019年を生きている時既に脳は2020年を生きていた。
そこで1年「体内暦年感覚」が狂い、そのままなのか。
それとも「歳をとるほど時間の流れは速くなる」
つまり僕が歳をとったためなのか。
経験済みのことは時間が短いと感じる。
「土俵づくりボランティア」の1度めは、すべてが未経験なので1時間は1時間なのだが、2回めからは次になにが起きるかが読めるので体感的には1時間よりは短く感じる。
経験済みのことが増える
↓↓
時間に順応する能力が高まる
↓↓
相対的に時間を短く感じる
加齢はここ数年に始まったことではない。
「時の流れが速い」ことに違和感を覚えて、その理由をしらべたのは2007年だった。
→歳をとると時間が速く過ぎる
恐らく、僕の「今年が去年のような気がする」原因は上に挙げた2つの理由が合わさったものだ。
2000年に「ドッグイヤー」という言葉が流行った。時代の移り変わりのスピードが速いことを犬の成長が速いことになぞらえた言葉だが、実際なんの足しにもならない言葉遊びだった。
2024年の今死語となっているが、ドッグイヤーという言葉が定義されたことは無駄ではない。こうして後生の人が「こんなことを伝えたい。多くの人が"あれね"とわかるように」と考えた時に引用できる。
ものごとには名前が必要で、名前が定義されていない物事は説明が煩わしくて、話題にのぼりづらい。
あなたにもしも名前が定義されていなければ・・
「推定年齢20台、一見なんの変哲もない男だが、やたらとサッカーに詳しい丸顔の好青年」
あなたを呼びたい人は毎回、呼び方に気を遣い、頭を使わなければならない。
僕が謎に感じている「今年が去年のような気がする」問題にも名前をつけてみたい。
①「2024年問題」 チガウチガウ^^;)
②「時間は未来から過去へ流れている」 長い
③「LIF=live in the future」
僕が「今年が去年のような気がする」のは、来年にリアリティを強く感じているから。「未来を生きる」は英語で live in the future
ということで しらべるの造語 として新たに「LIF」を加えよう。
さて今日は「かまってちゃんのSNS」みたいに締めくくりたい。
まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がするのは僕だけでしょうか?
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