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2025年8月15日 (金)

父に聞かなかった戦争の話し

父は終戦を子どもの頃どこで迎えどう感じたのか
そんな話しを避けているのか、ただ言わないだけなのか
そんな話しを聞くこともすることもなかった。


子どもである僕がある程度大人になった頃には、落ち着いて戦争の話題をテーブルに載せることはできたかも知れない。

一度だけ、父と膝詰めで酒を飲んだことがある。
佐世保の夜店通りにある「しぐれ茶屋」というお店だった。
父は既に老いが進み、かつての睨まれると誰もがすくんでしまうような眼光は影を潜めていた。

父が老いているということは、自分もそれなりに中年の域にさしかかっているわけで、父が元気なうちに一度さしで飲むというイベントをしておかなければと考えていたのかも知れない。

話題は最近の暮らしに終始したのだと想う。
特になにを話したかというメモをとっていたわけでもないので、その欠片も記憶していない。


父から戦時・戦後といった話題を切り出すのは難しかっただろう。
それは「戦争の記憶が辛くて想い出したくない」ということもある。
だが、もっと実際的にいうと、たま~に、それは僕の場合里帰りするのは年に1度会いに来た息子に向かって
「俺の苦労話を聞いておけ」
という選択肢はなかったと想う。
僕が父の立場だったら、年に一度会えるのを楽しみにしていた息子とできるだけ楽しい時間を過ごしたい。
自分のことに関心を寄せてもらいたい。好きで居てもらいたいと想う。

そんな場において、語り部的な使命感で「俺の苦労話」をして、それで息子の不興を買いたくない。

もしも、戦争の話題をテーブルに載せることができたとしたら、それは僕から教えを請いたいという姿勢をみせた場合だっただろう。


お父さんは、戦時中どこでどう過ごしていたの
その時にどんなことを考えていた?
ドラマでは出征が決まると誰もが喜んだ振りをして「おめでとう」とか「バンザイ」とか言ってるけど、お父さんはどうだった?
戦後は食べ物が不足していたというけれど、どんなものを食べていたの?


ここ数年、こんな時父はどう考えるだろう。あの時父はどう考えたのだろうと想うことがある。

今年で十七回忌を迎えた父に聞くことはできないので、自分が実際の経験と読書体験から学んだことを頼りに考えるしかない。

 

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