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2026年2月25日 (水)

墨田区の誘致叶う 第11回から大幅コース変更 「高速コース」となった東京マラソン

■2012年2月26日
第6回開催 ONE TOKYO創設1年め
ONE TOKYOプレミアムメンバー枠3,000人、エリート枠100人を設け、チャリティ出場枠は1,000人→3,000人に増員。定員は32,000人→35,500人に増えた。

この頃、東京スカイツリーが(2011年12月に)落成した墨田区が、東京マラソン・コース変更の誘致をしていた。
「東京マラソンを墨田区に」の幟を見て「ないないないない」と想ったので、数年後に実現した時は驚いた。


■2013年2月24日
第7回開催 チャリティ・サポートシステム導入
アボット・ワールドマラソンメジャーズに参加 世界6大マラソンとなる
チャリティ枠3,000人
併催競技を含めた総出場枠35,500人
定員35,500人に対して303,450人が応募。初めて倍率が10倍を超えた。
スターターは猪瀬直樹 都知事が初めて務めた。


■2014年2月23日
第8回
東京マラソンは毎回何らかの変更を加えてきたが、初めて大会概要に変更がなかった。


■2015年2月22日
第9回
チャリティ・サポートシステムがチャリティランナー(ファンドレイザー)という名前に変わった。
この大会よりセキュリティ面に留意した施策が強化された。
警備強化の一環としてスタート会場へのスプレー缶、ペットボトルの持ち込みが制限された。
警察官がランナーと一緒に走りながら警戒にあたる「ランニングポリス」が、日本の大規模大会で初めて導入された。

当時、情報セキュリティの仕事に就いていた僕は、マラソン×セキュリティの世界を体験すべく2度めの出場を目論んだが[落選] これで応募は「1当2落」となった。


■2016年2月28日
第10回
当初からのコースで10回めの開催
第1回から使われていた大会ロゴを変更
アボット・ワールドマラソンメジャーズ6大会完走者にSix Star メダル付与が始まる。
1回限りの定員1,000人増員(36,500人)
チャリティランナーが初めて定員に達した。


■2017年2月26日
第11回 初めてのコース変更が行われ、ゴールが皇居前(行幸通り※)となった。
東京スカイツリーが竣工して以来、東京マラソンを誘致していた墨田区がコースに組み入れられた。
これで「東京タワー」と「東京スカイツリー」という東京の二大電波塔を背景にしたランナー写真が撮れるようになった。all sportsの皆さんは喜んだことだろう。
旧コース終盤の臨海エリアにあった大きなアップダウンがなくなり、東京マラソンは「高速コース」を謳い始めた。
東京マラソン2017大会記念テディベアを予約販売した。

僕は4度めの応募で2度目の出場を果たした。
all sportsから買った写真は東京駅を背にして行幸通りをゴールに向かうシーン。
赤れんがの東京駅を背景にゴールする絵は秀逸。ここの写真はとてもよく売れているのだろう。笑顔でゴールできればなおよかったのだが・・

仮装して走る2度目の東京マラソン(ブログ目次)

※「行幸(ぎょうこう)」とは、天皇陛下が外出されることを指す。「行幸通り」は天皇陛下が公式行事などで東京駅を利用される際の専用路としての役割を担う。
以前、衆議院の「国会等の移転に関する特別委員会等」(首都移転議論)に参加した際しらべたところ「移転推進派」の主張に「天皇陛下は東京に行幸したまま(京都に戻っていないの)であり、依然として日本の首都は京都だ」というものがあった。

行幸通りは道幅73m。そのうち30mは中央帯として御影石が敷き詰められた歩道が占める。
V・ファーレン長崎の有志バスツアー(志バス)はよくここで発着する。
時折、ウエディングの前撮りにも使われるキラキラした通りが、東京マラソンの日だけはとても賑やかな空気に包まれる。

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