2024年8月31日 (土)

大相撲巡業 土俵作り ボランティア経験談(詳細?)

2024年8月22日
令和6年夏巡業城南大田場所前日

集合時間より15分ほど早く集合場所に着いたが、既に大半の人は集まっている。予定より早めに出欠確認が行われて、いよいよ館内へと入っていく。
さて、ここから経験した土俵づくりボランティアを詳しく・・
と言いたいところだが、応募時の注意事項には次のようにあった。

(以下引用)
・ボランティアスタッフとして業務上知り得たことを、個人 HP やブログ、掲示板、Twitter、SNS 等に書き込むことは一切禁止となります。
(引用おわり)

"スポーツボランティア界"の情報発信対応は 一切禁止>制限付き許可>言及なし(制限なし)まで主宰者により様々。
「東京2020選手村」活動の時は、情報発信にくわえ活動中の写真撮影も禁止だった。

人気の高さ(やりたい人の多さ)と情報発信制限は比例関係にある。
僕が知る限り、年次開催イベントで応募者が定員を超える「抽選大会」は東京マラソンのみ。
担い手不足に泣いている大会では、細かいルールの言及がないことが多い。

コロナ禍以降、スポーツ大会では「する」側の参加者が減っている。
「支える」ボランティアは「ラグビーW杯」「東京2020」「ワールドマスターズゲームズ」と続く"黄金の三年"が「スポーツボランティアを文化にする」ビッグチャンスだったのだが、僕の肌感覚として担い手は増えていないと想う。

今回のように"一切禁止"の文言に「個人HPやブログ」を例示するケースは珍しい。
「個人HP」は2000年代前半 「ブログ」は2005年頃から流行していた媒体で、2024年の今「下火」といえる。
これはその両方をやっている僕の(数値に裏打ちされた)実感だ。この2つを例示に加えてくれたことは(自分が規制される側でありながらも)嬉しかった。


もしも誰かが仕事内容をネットに書けば、将来「大相撲ボランティアなんて面白そう、やってみたい!」と想った人にとっては"ネタバレ"になる。
初めての人は、今回の僕がそうであったように「土俵ってどうやって作るんだろう?」というところにワクワクする。
発信者の反響獲得のために内情が表に出ることなく、内実が謎めいているのはよいことだ。


さてここからは主宰者の意向に沿い「ボランティアスタッフとして業務上知り得たこと」を除いて、何が書けるかを試してみたい。

(事前資料で公開されていた内容)
・会場内の養生作業、マス切り作業、座布団並べなど
・土俵造り作業土俵の土運搬、土の形成など (力作業)


土を運ぶのは土木アルバイト(大学在学時)以来(一輪車を倒して、よく怒られた^^;)
今回はスタッフの方の的確なアドバイスもあり、ミスなく乗り切ることができた。
土を運びながら「こんなに体力がないのか」と自分を責めたが、美味しい仕出し弁当をいただいた午後からは力が出た。
サラリーマンでSEをやっていた頃、質より量の仕事を「力仕事」と呼んでいたが「あれ?今日は力が出ないな」ということはなかった。こうした物理的な「力仕事」には朝ご飯が必要だったらしい。


「いつも巡業のボランティアをされているんですか?」
休憩で隣りに座ったサトウさん(仮名)に話しかけたところ、気さくに応じていただき話が弾んだ。
サトウさんは大相撲ファンで本場所から巡業まで足を運んでいるが、ボランティアは初めてという。
巡業についていろいろと教えてもらい、それが翌日の観覧には大変役立った。

・座椅子はレンタルあり(当日1,000円で借りた)
・サインをもらうには色紙と筆記具持参
・力士との写真の撮り方

僕が「若元春贔屓」と言うとスマホから巡業で撮った若元春関の写真を探して送ってくれた。若元春はとても人柄がよさそうな青年だった^^)


準備活動の終わりには、参加者全員で"ある儀式"を行った。
長年スポーツボランティアをしてきて、こうした格式に則った儀式に参加するのは初めて。とても特別な経験になった。
たいていの場合「儀式」は主宰者と来賓でやるもの。主宰者は来賓に粗相がないよう集中している。ボランティアが参列することはない。


8月23日(金)9:00-15:00
令和6年夏巡業城南大田場所開催
昭和の時代に「プロ野球を10倍楽しく見る方法」という本(江本孟紀著)が人気を博したが、サトウさん情報により「夏巡業を2倍以上楽しく見る」ことができた。

大相撲通のサトウさんが「次は来年×月に大田区総合体育館*で城南大田場所が開催される」と教えてくれた。
「土俵ってどうやって作るんだろう」というワクワクはもうないけれど、来年もボランティア+観覧で参戦したい。
次こそ若元春関に「佐野元春は好きですか?」と聞いてみたい(笑)

*大田区総合体育館は特定天井その他工事のため2024年4月1日→12月27日の期間使用停止。そのため今回は日本工学院アリーナ開催だったものと推察する。
大田区総合体育館がホームコートのB.LEAGUE|B3クラブ「アースフレンズ東京Z」は、開幕からのホーム8試合を秦野市総合体育館(神奈川)浦和駒場体育館(埼玉)世田谷区総合運動場体育館(東京)で行い、12月28日の山口戦から大田区総合体育館に戻ってくる。


「力仕事」の当日、左足だけが痛くなった
***の作業で軸足に負担がかかったのだろう
翌日には痛みは右足にも広がり、さらに翌々日には歩くのが難儀だったが、その翌日にはすっかり治った。
あの日以来、体組成計で計測すると「筋肉量」が増え「体脂肪率」が下がっている。健康に生きるため人は「力仕事」が必要だ。
(おわり)

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2024年8月30日 (金)

経験がない「真夏の屋内ボランティア」の準備

大相撲城南大田場所のウェブページ「ボランティア募集について」の項目には「ボランティア応募者が多数の場合、実行委員会にて選考させていただきます」とあった。

巡業当日はチケットを買っているので、参加できるのは前日準備のみ。
「2日間通しでご参加いただけますと有難いですが、1日だけでも結構です。」と募集要項にあったので、前日準備のみ参加の旨を書いて応募。
待つこと3ヶ月、届いた知らせは「当選」だった。

あとで考えてみれば、ふつーは逆である。
前日準備に取組はないし力士も来ない(今回の前日は福島で巡業)
お客さんとの心の通い合いもない。ただ労働があるだけだ。
日頃ボランティアをしている「マラソン」などの競技でも競技当日の人気が高い。
ただ今回は「土俵づくり」がある。ほんのわずかな時間でも携わることができたら貴重な「体験」として記憶できる。
果たしてどんな役割に割り振られるのか? 当日を楽しみに待った。


2024年8月
夏巡業ボランティアの3週間前
これまで滅多に経験がない「真夏の屋内ボランティア」の準備に取りかかった。
真夏の屋内といえば「東京2020選手村」で経験があるが、あの時とは環境もやることも違う。
以前に携わった屋内会場設営では(節約のためか)空調が切られていて、しんどい想いをした経験がある。
いつものボランティア前とは違う緊迫感がある。


■「真夏の屋内ボランティア」の準備

①体力づくり
猛暑のなかウォーキングはムリなので、リズム体操・スクワットなど室内でできる範囲で体を動かす

②栄養管理
毎日の体組成計チェックでは体重ではなく「筋肉量」を重視。筋肉を落とさぬよう栄養を摂る

③備品
・氷冷ペーパー
・(水を浸して首に巻く)クールタオル
・冷えピタ
結論→準備会場はしっかり空調で冷却されており、これらは使わずに済んだ。

④装備
・体育館シューズ
・東京2020ウエストバッグ
・軍手
結論→ウエストバッグはセルフケア用品、給水(300ML)ボトルを取り出すのに好適

⑤服装
・asicsジャポニズムグラフィックポロシャツ
 襟付きで肌触りがよく夏場の外出に重宝する
・東京2020灰パン
 asicsがボランティア用に開発しただけあって機能的に最高のボランティアウエア(今回ほかにも数人の方が履いていた)
「灰パン」は僕がつけた愛称。灰パンを履いていると「五輪ボランティアされたのですね(FA=Function Area は)どこでしたか?」という話題で1分くらい会話ができる^^)

⑥補給
・OS-1 500ML×1
・300ML×1
いずれも前夜から冷凍庫で冷やした
結論→館内は汗を掻かぬ程度に空調が効いていたが、消費カロリーは大きく、ちょうどこの量を飲みきった。


2024年8月22日
令和6年夏巡業城南大田場所前日

蒲田の朝はまだ動き出していない。
夜は賑わう駅前の通りも人影はまばら。
それでも、横断歩道を渡り日本工学院アリーナが近づくと「もう全員揃ってるんじゃないか」と想うほどの集団が形成されていた。
日頃のスポーツボランティアで、これだけ早く参加者が揃っているのは見たことがない。

次回【最終話】

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2024年8月29日 (木)

相撲が蒲田にやってくる! 若元春は佐野元春の親戚ですか?

1度は**したい
そんな夢を夢のままにせず、現実に換えていく努力をするようになったのは48歳の時。
子どもの頃、音楽と出会った心のアイドル井上陽水をそろそろ見ておこうと想い「井上陽水40th Special Thanks Tour」のチケットをとった。
それ以来やり残しを経験に換える旅は続いている。
夢には時間の制約がある。対象の高齢化あるいは期限がある場合と自分の高齢化。今回は後者。


2024年5月
お相撲さんの写真が載った1枚のパンフレットに僕の心が動く

■大相撲城南大田場所
蒲田で行われる令和6年夏巡業
城南大田場所は東京23区内で唯一の巡業
開催日:2024年8月23日(金)
開催地:日本工学院アリーナ(蒲田)

相撲が蒲田にやってくる!というミスマッチ感にひきこまれた。

相撲と言えば日本の国技。四十八手は覚えていないがルールやおよその成り立ちは知っている。
昭和生まれの皆さんならば、幼い頃に両親や親戚が見ているヨコから見ていた時代があったのではないだろうか。
僕の場合は下関のおじいちゃんが大好きで、日頃寡黙なおじいちゃんが力士の一挙手一投足に頭を揺らし食い入るようにテレビを睨む姿が相撲の原風景。

相撲は大勢の力士が関わっているが「個人競技」
部屋別優勝はないしタッグマッチもない(あったら面白そう)
今でいう「推し」は相撲で言えば「贔屓」

「巨人対法玉子焼き」今のATOK変換はこうなっているが、僕は典型的な「巨人大鵬玉子焼き」で、子どもの頃から強いものになびく性格だった^^;)
強いほうに着けば役得が多い。
たくさん勝つ選手やチームを応援していれば、それだけ多く喜べるし機嫌良く過ごせる。
当時は大鵬の時代で自然と大鵬贔屓になった。
それから少し大人になって輪島贔屓になった。
でも栄華を極めた頃は短く北の湖敏満にあまり勝てないのが哀しかった。
そこで誰かの贔屓だった時代は途切れている。

そんな僕にも去年から贔屓ができた。
興味津々なのは若元春。佐野元春と名前が似ているから^^)
2023年に生成AIが流行り始めた頃、ChatGPTに尋ねたことがある

【問】 若元春は佐野元春の親戚ですか?
【答】 若元春は佐野元春の親戚ではありません。ただこれからそうなりたいかについては今後の展開次第です

ChatGPTのユーモアに笑った
若元春がどういう人なのか会ってみたいし、もし話せたら「佐野元春は好きですか?」と聞いてみたい^^)


■城南大田場所 当日スケジュール
9:00 開場 人気力士との握手会
11:30 幕下取組 初切
13:30 土俵入り 幕内取組
15:00 終了

■チケット【例】
タマリ席S:16,000円 最も土俵に近い席
2人マス席:24,000円 タマリ席後方

資料によると取組や初っ切りにくわえて、力士と写真撮影やサインももらえるという。これだけ大相撲の魅力が凝縮されていて、このお値段ならば割に合う。
こうした競技+ファンサをセットにしたイベントは、他のプロスポーツでは類がないと想う。

「巡業」という言葉は知っていたが、これまでは「勝負の拘りがなく味気ない相撲」とイメージしていた。
ところが、力士とふれ合える機会があるならば話は違う。
相撲ファンというわけではない僕が、いいとこ取りで相撲体験するには「巡業」はもってこいではないか。


■大相撲城南大田場所 時系列の記録

2018年10月3日
大相撲大田場所 初開催 大田区総合体育館

2023年10月4日
城南大田場所 5年ぶり開催 大田区総合体育館

2024年5月17日
令和6年夏巡業城南大田場所チケット発売開始


早速チケットを申し込んだ時、パンフレットのすみっこに「ボランティア」の字を読んだ。そこには「土俵づくり作業」とあった。

つづく

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2024年3月 5日 (火)

コース上でサポートした1万人を超える仲間たちへの感謝の言葉を聞く行幸

スポーツボランティアの帰り道、有楽町から3人連れの男性が乗り込んできた。
否が応でも聞こえてくる話し声から察すると、どうやら東京マラソンを走ってきたらしい。
東京マラソンをゴールすると、ランナー導線は大手町と日比谷方面の左右2つに分かれており、日比谷方面の場合、最寄りJR駅は有楽町となる。

Aさん
「タイムは出たんですが、レース運びには納得していないんです」
僕(心の声)
うんうん、そういうことある

Bさん
「あんないいタイムで走ったのに? どうゆうこと?」
僕(心の声)
それは僕も知りたい^^;)

Aさん
「初めの5kmでいけると想って飛ばしてしまって。後半がきつかった」
Bさん
「あれだけ下ってると、ついそう想っちゃうんだよね」
僕(心の声)
わかる~ 皆そうなんだなぁ

心の声で会話にかたっていた僕は改めて、東京マラソンの 0→5kmは魔のコースだと想い出した。
1度めの出走(2009)で痛い目にあった僕は、2度めの出走(2017)は「これでもか!」と初めの5kmをゆっくり入り、前半と比べて後半のタイムが3分速い「ネガティブスプリット」で品川からゴールまでを快走した。
恐らく3度めの出走(2025)でもそこはミスしないと想うが、これからも多くの「東京ランナー」が魔物につかまるのだろう。
僕はこのブログで、知人には口頭でそれを伝えているが、初東京ランナーはそれでもやってしまう。これは1度やらかさないと、自分事としてわからないらしい。


2024年3月3日
晴れ 日中の最高気温は13.4度。穏やかなマラソン日和だが、日差しをまともに受ける場所は暑かった。
日照と気温は徐々に増していったので、エリートランナーほど影響が少なかった。
一方、5時間を超えるあたりからフィニッシュ後に苦悩の表情を浮かべるランナーが増えた。まぁそれは天気にかかわらずいつものことだが。

僕ら「選手村仲間チーム」はチームエントリー(5人1組)が当たり、フィニッシュエリアでランナーに品物を配るランナーサービスの任を得た。
僕はボランティアの「ぼっち参加」に慣れているが、誰か一人でも気心の知れた仲間と参加できれば「ボランティアやってみたいな」と想っている人の敷居はぐっと低くなる。

僕はデータを持っていないが、個人参加(ぼっち参加)よりもチーム参加のほうが欠席・ドタキャン率は低いのではないだろうか。


東京マラソンフィニッシュ後、ランナー導線は大手町と日比谷方面に分かれる。
僕らの担当レーンは日比谷方面。予めリーダーから「こちらは外国人が多いですよ」と言われていた。

テーブルにボディメンテを並べて、ランナー1人あたり1個を手渡す。
コロナ・プロトコルの名残で、ランナーがレジ袋の口を開けて構え、ボランティアがそこに1つ放り込むというスタイルが主流だが、手渡すのもOK。

渡す時は相手の目を見てにっこり
外国人ランナーには「Congratulation!」
日本人ランナーには「おめでとうございます」
外見の特徴、それで判断しきれない場合はシャツのロゴなどを見て、声かけを使い分ける。我ながら器用だと想う。

それにしても外国人多いなと想ったら、僕らのレーンはアボット・ワールドマラソンメジャーズのシックススターメダルを配布するテントの導線だった。


「Congratulation!」
ランナー
「ありがとう」

ギャグみたいだが、これもマラソンあるある

すべてのランナーから反応が返るわけではないが、反応があるとやはり嬉しい。


「ボディメンテ」は大塚製薬が発売する乳酸菌B240入りドリンク。2018年10月に発売された。
僕は今年に入ってから常備して愛飲している。
ポカリスエットほどカロリーがなくOS-1よりお買い得。
エネルギーは100mlあたり 18kcal (OS-1は 10kcal)
今回配布するのはそのゼリー版。
大変多くの外国人ランナーから「これはなに?」「飲み物なの?」と聞かれた。
日頃から飲んでいる僕にとっては飲んで当然のものだが、ボランティア仲間からも最初に「ボディメンテと聞いて、体に塗るものかと思った」という声が聞かれた。
「Recovery drink. You can drink!」
これで外国人ランナー、にっこり all right な表情になった。


1度声をかけ始めると、分け隔てなくかけたいと想う。
ここを通る誰もがたった今 42.195kmを走り終え、できれば祝福されたい。他の誰かと同じように。
僕がランナーの側だったら、聞いていない振りをしつつ「あ、オレに声かけんかった」と想う^^;)

外国人ランナーに対して「Congratulation」は1,000回を超えたと想う。
だんだん発音も上手くなった。今ならば「Congratulation声かけ名人選手権」で銅メダルくらい取れるかも知れない。


サムアップで応えるランナー、カッコイイ
胸に手を当てるランナーも多い
「Thanks your great support」
お辞儀して言われると、ぐっとくる
何度も、何度も言われた

これはここにいる僕たちが言われたというよりは、ここまでのコース上に居た1万人を超える仲間たちのサポートが感動的に手厚かったことへの謝辞。
行幸通りで体験したこの行幸を、この日ここに集った仲間と、ここに来られなかった仲間たちに伝えたい。

東京マラソン講座

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2023年1月29日 (日)

QRコードのもぎりという貴重な経験

その日、僕はチケットもぎり役だった。
チケットもぎりというのは、スポーツや音楽の興行において、入場口で入場券(チケット)を確認する作業をいう。

今から40年前、平和台球場(NPB公式戦)で働いた時は、一塁側内野席のチーフを任されていて、そのメイン業務がチケットもぎりだった。
ただ、もぎりという言葉はあったが、その役割について「君、今日はチケットもぎりね」なんていうことはなかった。
チケットもぎりは、入場運用任務のうちの1つだからだ。

40年前は、すべて紙のチケット。
できるだけ、切り取り線に忠実に切り取ることを心がけた。
逆の立場、つまりお客さんの立場になった時、手元に残るチケットの端っこがささくれて切られていたら残念になる。中には腹を立てる人もいるかも知れない。


40年の時を経て、僕は再びもぎり役になった。
前回は時給500円だったが、今日はスポーツボランティア。
潤沢な予算があるプロスポーツは一握り。
たいていの競技において、運営の担い手はボランティアが頼りだ。

手には、割りと大型のタブレット
僕が使っている iPad(第7世代)より一回り大きく、プロテクターが付いている分、2倍くらい重い。
その興行はいわゆる紙チケットの発券はゼロ。
すべてがQRコードによる電子チケットだ。
入場者はスマホでBチケの画面を提示するか、紙に印刷してきたQRコードを提示する。


開場の時間がきて、一斉にゲートを開く
平和台球場の一塁側と違って、すべての入場者がここを通っていく。
もぎりでこの高揚感、緊張感は経験がない。

既に手指消毒、体温測定、手荷物検査を終えた客がやってくる。
こんにちは!
互いにマスクをしているが、こうした挨拶・お声掛けは規制されていない。
やはり、客商売は声を出さないと気分が出ない。

「こんにちは」と応えてくれるお客さんは10人に1人も居ないけれど、それだけにたまに応えてくれると、とても嬉しい。
同じスポーツ、クラブを愛する人間どうしの共感がここに生まれる。

何人ですか?と声をかける
「2人です」
お客さんがスマホを差し出し、それをタブレットのカメラで読み取る。
QRコードを認識して、アプリが有効なチケットだと認めると「ぴっ」と音がして、画面が切り替わる。

互いの角度、スマホに映り込む照明の具合によって、なかなか「ぴっ」と言ってくれないこともある。
その時は、こちらがタブレットの角度を変えてみる。それでもダメな時は「ちょっと角度を変えていただけますか」とスマホの傾きを変えてもらう。
それでもダメな時は「えいっ」とか言って、念を送る ^^;)

古来から人はこういう物理的には説明できないことを、やってのけている。
映りの悪いテレビを叩いてみたり、Wi-Fiが弱いとスマホを振ってみたり・・

チケットが読み取れると「ありがとうございます」とお礼を言って、空いているほうの手で画面をタップして、次に備える。


親子連れの場合、たいてい大人が家族の分、全員のチケットを持っている。
4人の場合、QRコードは4個。
これが、一部の方には想定外だ。

「まとめて4人分のチケットを買ったのだから、1個のQRコードにまとめられているはず」
ここに来るまで僕もそう思っていた。
だが、全員が同時に来場するとは限らない。
誰か1人が遅れるかも知れない。誰か1人が都合が悪くなり、他の誰かに譲渡するかも知れない。
そういったケースに対応するためには、QRコードは1人1個が合理的だ。
そういえば、紙のチケットだって「1枚で2人分」ということはない。

こんにちは、何人ですか? ありがとうございます。プログラムどうぞ!

できるだけ抽象的な言葉で、流れをつくっていく
ところが、時間が経つに連れて、辛くなってきた

かなり肩が凝っているのがわかる。タブレットを片手で支えているためだ。ピップエレキバンを貼ってくればよかった。
そして、喉が痛い。浅田飴がほしい^^)
読み取ったチケットが800枚を超えた頃には、意識が遠のきそうだった。

それでも、もぎりは楽しい
見ず知らずの人とアイコンタクトして、挨拶をして、にっこり笑う
時にはにっこり笑って返してくれる
もしも、誰かが「おつかれさまです」とでも言ってくれたら、泣きそうだった

スポーツボランティア記事もくじ

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2022年12月10日 (土)

世界初のマイボトルマラソン、世界初の美しく尊いランナーたち

配置に着きパイロンを並べ終えると、先頭のランナーが来るまでまだ30分ほどあった。
トラスコ湘南大橋からは、雪を頂いて真っ白になった富士山が見えている。

■トラスコ湘南大橋
相模川の最も河口寄りに架かる国道134号の橋がトラスコ湘南大橋(全長698m)
2010年に架け替えた際、日本の橋で初めて愛称に命名権(ネーミングライツ)を採用。
東京都港区に本社を置く機械工具卸の TRUSCO トラスコ中山が命名権を取得。
5年契約で、2020年4月からは3期めに入っている。
箱根駅伝のコースであり、湘南国際マラソンも毎回コースとして使用。湘南では往路7km、復路29kmにあたる。


湘南国際マラソンは第1回東京マラソンの翌月、同じ2007年に始まった市民マラソン。
箱根駅伝のコースであり、観光地湘南の海沿いを走る国道134号線を封鎖しておこなう。

コースから富士山が見えるのは「走っていて気持ちがいいだろうな」と思う人もいるが、実際に走った感想としては、景色が変わらず辛い。
このコースは、ほぼ一直線の走路を往復する「1way折り返しコース」
東行きでは「江ノ島」西行きでは「富士山」が遠くに見えている。
遠くに見えている目標は、地面を走っているとなかなか近づいてこない。意外とこれがつらい。

僕の理想コースは曲がり角の多いコースだ。今は辛くても曲がり角の先によきものが待っていると信じて頑張れる。
トップアスリートにとって曲がり角はタイムロス要因だが、ど素人!ランナーにとっては気分が変わるプラス要因だと考えている。


第17回大会は「世界初のマイボトルマラソン」として「マイボトル給水システム」が採用された。
通常の市民マラソンではランナーはドリンクをエイド(横浜マラソンの場合18か所)でもらう。
この大会では、ランナーが400mlのマイボトルを持って走り、200mごと200か所(蛇口数3,500)に設営された給水タンクから自分で水を汲む。

走る側に立てばタイムロスが多くなるのでは?と考えていたが、出走したランナーの意見をチェックしてみると、そうでもないらしい。

400mlのボトルを持っていれば、そう何度も「水を汲む」必要がない
エイドの渋滞によるタイムロスがなくなる
路上にゴミが落ちていない

この取組はいいんじゃないか?
この取組がこれから、他の大会に波及するのではないか?
と思えたのは、実際に目にしたランナーの振る舞いにある

トラスコ湘南大橋を渡り終えた往路7.8kmでランナーに拍手を送っていた時のことだ。
1人のランナーがボトルを落としてしまった。ボトルは地面に転がり後続のランナーはそれを避けて走っていく。
ランナーが切れる一瞬を狙ってボトルをコース外に出そうと、じわじわと近寄っていた時だ。
ひとりのランナーがボトルを拾って走って行った。

最後尾のランナーが行き過ぎるより少し早く、復路のランナーがやってくる。
僕らは道路を渡り復路29km地点に持ち場を変える。

すぐ手前には給食エイド(コース上6か所)があり、バナナを配布していた。
このバナナはけっこう美味かったらしい。「生涯で食べたなかで一番美味かった」という意見もあったくらいだ。そう言われると、僕も食べてみたかった。

市民マラソンにおいて、エイドでバナナを配ること自体は普通だ。
ただそれは、コロナ禍前ならば「皮を剥き、カットしたバナナ」
今回は「皮を剥かず、一本ままのバナナ」
眼の前を通り過ぎるランナーはバナナを食べながら、食べ終わった人は皮を手に持って走っている。
コース上にはゴミ箱は設営していない。
「これいいですか?」とボランティアにゴミを渡すランナーはいない。
ランナーはバナナの皮を持ったまま、トラスコ湘南大橋へ登っていく

人は「いい人モード」に入れば、いい人になれる

これは以前、ランニング雑誌の編集者に言われた言葉だ。
世界初のルールの下に集い、そこに身を置いた方たちは、ルールとマナーの鏡と呼べる2万人のランナーだった。
世界初の美しく尊いランナーたちである。

運用ルールにより「声出し応援」はできない
(屋外でマスク着用をしているのに声を出せないというのは疑問だ)
すべての人に拍手を送った
10km走ったくらいの筋肉痛になった

いつもならば、最終ランナーにつづいて警察の規制車両が通り過ぎると、道路の原状復帰(ゴミ拾い)となるが、ゴミは1つも落ちていない。パイロンを片付け交通規制を解除して任務を終えた。

スポーツボランティア記事もくじ

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2022年12月 9日 (金)

3年ぶりの湘南国際マラソンのボランティアに選手村仲間で参加した

2022年12月4日(日)
3年ぶりの湘南国際マラソンが開催され、僕ら選手村仲間はスポーツボランティアとして参加した。

東京2020が終わり、選手村用語集のもとに集ったのが「選手村仲間」
選手村は目の前で競技が行われる現場ではなかったので、今度は皆でスポーツ現場でボランティアしようということになった。
そこで最初に申し込んだのが、2021年12月に予定されていた第16回湘南国際マラソン。あいにくコロナ禍により第16回は中止となり、今回は選手村仲間として2度目のエントリーである。


東海道線「沼津」行きに乗るため、川崎駅のホームに降りると、パックを背負った大勢のランナーがいた。
マラソンの朝、会場に向かう電車のホーム。懐かしい光景だ。
そこに滑り込んできたのは東京発、二宮行きの臨時特急「湘南国際マラソン1号」
E257系9両編成を使用した、全車指定席のクロスシートに、ランナーたちが乗り込んでいく。

僕のようなど素人!ランナーの場合、マラソンの朝はできるだけ体力を温存したい。事前予約で座席が確保できるのは、とてもありがたい。
それに乗りたい衝動に駆られたが、僕の降車駅は「茅ヶ崎」なので、指をくわえて出発を見送った。

東海道線沼津行きは、横浜、戸塚と停車駅ごとにランナーが乗り込んできてすし詰め状態になった。
僕が走った第1回大会の冊子には「出走者の70.6%は神奈川県民」とあった。
レース後に話した地元ランナーは「この国道はいつも渋滞していて、地元の人は皆頭に来てるんですよ。その道を封鎖して走るマラソンがあるって言うから、さぞ気持ちがいいだろうと思ってエントリーしたんです」と話してくれた。地元民にとって、この道路を専有するのは特別なことらしい。
おそらく、今回も地元ランナーが多いのだろう。

「がんばってください」
心のなかでランナー達に告げ、茅ヶ崎駅で下車。南口でバスを待っていると、選手村仲間が集まってきた。
ひと月前には横浜マラソンに団体参加したので、さすがに懐かしさは感じない。
神奈川中央交通 茅37 浜見平団地行に8分ほど乗り、南湖入口下車。
マラソンコースである国道134号は、まだ封鎖されていない。
コース沿いに歩き集合場所の浄水場に到着。

グループに分かれ、ユニフォーム(ウィンドブレーカー・キャップ)を受け取る。
大抵の大会でユニフォーム一式は譲渡されるが、今回の湘南は貸与。活動終了時に返却する。
これはとてもありがたい。着てこなくて済むし、持って帰らなくて済む。
大会ユニフォームは、普段遣いできるものではないので、即処分する人が多いと想う。回収・リユースは資源の有効活用という点でも理にかなっている。

しばらくすると、何台かの大型バスが敷地内に入ってきて縦列駐車した。関門で止められたランナーの収容バスだ。
その光景に既視感がある。ここは、僕にとって因縁の場所だった。

2007年3月の第1回湘南国際マラソンにランナーとして出場した。
現在とは逆向きで第1回だけは江ノ島発着。西湘バイパスで折り返し、湘南大橋を渡った先の31.1km第3関門の制限時間は4時間3分(ゴール制限時間は5時間40分)
それに3分及ばず、この場所から収容バスに乗った。

リタイアブログ「湘南に風は吹かず


今大会のスポーツボランティアは募集人員3,220人(先着)
前回(第16回)の募集は2,500人だった。
前回はワクチン接種+PCR検査が参加条件でありハードルが高かったが、今回は健康チェックリストの提出のみとなった。
それでも人員は十分に集まらず、募集期間を延長したが、十分な人員は確保できなかった。

この大会がボランティア確保に苦戦する理由は、東京・千葉・埼玉といった首都圏勢にとって参加が難しいことにある。
第1回はスタート/ゴールがコースの最も東京寄りの「江ノ島」で、そこに多くの人材を集めることができた。
第2回以降はコースの向きが逆になり大磯発着となったため、東京以東からの距離が遠くなった。
今回の持ち場である「茅ヶ崎」が最寄駅から始発に乗ってギリギリ。それより西側では難しくなる。距離が遠いということは交通費も高くなり、東京からの参加者は概ね2,500円を超える。

そうした課題は事務局も認識しており、今回は新宿駅、横浜駅からボランティア直行バスツアー(有料)を実施した。次回以降も東京勢集客の工夫が進むとよいと思う。

ボランティアの募集種別は3種類
【1】個人
【2】グループ(2~10人)
グループ外のリーダーのもと他のボランティアと共に活動
【3】団体(11人以上)
団体からリーダーを出し、原則団体単独チームで活動

当初は団体参加を目指したが、11人に届かずグループ参加となった。
それでもリーダーの配慮により、グループの一体感をもって行動することができた。

つづく

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2022年9月 3日 (土)

パリに「東京、ハードル上げすぎっ」って言わせたい

五輪が始まる前に思い描いていたボランティアのイメージと、実際のそれは違っていた。

転機となったのは、開村後に読み返した選手村のField Castマニュアルに書かれていた一文だ。

(以下引用)
積極的にチームのみなさんとコミュニケーションをとりながら、自身の得意分野を活かし、チームの活動にあたります。
(引用おわり)

「用語集」は自らの最大の得意分野。
「選手村用語集」を思い立つことができたことで、五輪では幸せな時を過ごすことができた。
それは、活動が始まる前には想定していなかったことだ。


パリの人たちに「東京、ハードル上げすぎっ」って言わせたいですね!

2019年春、面談の席で応募者とこんな話しをしていた。
五輪ボランティアのサービスレベルを、日本開催の東京2020で一気に引き上げたい。
4年後に開かれるパリ大会のボランティアたちから
「ここまでやる?ムリムリムリムリ!なにしてくれたの東京」
と言われるくらいに・・

だが、実際に選手村活動が始まってからは、そんなふうに想っていたことすら忘れていた。
ムリもない。
僕が思い描いていた姿は「平時の大会」であり、今はそうではない。
ハードルを高くする以前に、トラック自体が凸凹なのだ。

東京2020は、後世に「あの時、大会が行われたこと自体が奇跡」と言われるかも知れない。
今は大会ができたこと、やり遂げることが僕らのハードルであり、それを高くしようという空気ではない。


五輪閉会式でバッハ会長がボランティアへの感謝に言及し、メディアは選手団も感謝しているという論調となっていた。

僕はそれを素直に受け取れないでいた。
これくらいで感謝されていいのだろうか

自分自身、サービスで感動してもらったという体験はない。
それどころか、質問に対して誤った情報を伝えたこともあった。

我々のサービスレベルについて、五輪選手団による芳しくない意見が風の噂に聞こえていたが、それはとても「遠慮がち」というか、抑制されたものだった。
しかし、それは至極真っ当な意見だったと想う。

もちろん、どれだけベストを尽くしたと想っても、人それぞれの不満は後を絶たないだろう。
ましてや、ここは三ッ星ホテルではなく、ルールとガイドラインに沿って運用される選手村なのだ。そのルールに慣れていない地域の人は不満だろう。


ポケトークが威力を発揮することは大きな収穫だった。

僕の英語は「中学生レベル」
手に負えくなった時の保険として、2年前にこの翻訳機を買ったのだが、まさか、ここまで使えるとは想わなかった。

僕が「Talk to this」とポケトークを差し出すと、どの選手も気さくに応じてくれた。
「面倒だから、それはやめてくれ」ということが一度あっただけ。

オランダ選手団がやって来て、僕がNETHERLANDS に切り替えていると「それを僕に?」と声かけてくれた選手。嬉しかったな。ジョークが言える人は優秀だと思う。

ある選手は、マスクを外して熱弁した。
マスク越しでは機械が音を拾えないと想ったのだろう。
彼が話す間、僕は差し出した左手に、飛沫の感触を感じていた。

何処のFAよりも、選手団との会話機会が多い選手村にアサインされたことは幸いだった。
ポケトークを使ってみたいというField Castが多く「ポケトーク講座」や「選手村ポケトークマニュアル」をつくり、仲間に喜んでもらうこともできた。


五輪を終えて、仕事にも、猛暑の立ち仕事にも慣れた。

これから始まるパラリンピック(Paralympic Village)では、皆さんとの調和を大切にしよう。
できれば、VIL全体の運営に貢献したい。
イノベーションができるならば、一石を投じたい。

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2022年9月 1日 (木)

ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います

東京五輪が終わった。

そこに無理やりスポットを当てると、あぁ長年の夢が終わったんだなとなる。
感情はむりやり作り込むことができる。
そう思えば、そう思えるし、考えなければ、そこにはなにも存在しない。


2005年に石原慎太郎都知事が五輪の東京招致を表明し、2006年に国内の候補地となることが決まった。
自分が住む街で五輪が行われる光景を想った時、そこに幸せな未来が待っていると考えた。

アスリートではない自分でも五輪に関われる手段として、2007年からスポーツボランティアを始めた。

恐らく、多くの人が同じことを考えるだろう。
たくさんの応募者の中から選ばれて役割を得るには、準備は早いに越したことはない。
9年前から備えれば、いい線いくのではないかと思っていた。
(その時点では招致は2016五輪だった)

13年の時を経て迎えた2020年は、コロナのお蔭で輝きを失った。
延期、中止論と紆余曲折を経てたどり着いた2021年夏期五輪。

閉会式を迎えた時には寂しくて仕方がないだろう
寂しさを紛らわすために、仲間との打ち上げは必須だ・・・

かつて、そのように考えていたが、現実は違っていた。
「ひと区切りだな」というくらいで、不思議なくらいに感慨がない。

それは、今の自分にとってオリパラがセットで「東京2020」だからだ。
Olympic Villageが閉村すると、つづいて Paralympic Village の活動に移る。
まだ東京2020は続いていく

五輪閉会式を見ながら「選手村用語集」を改訂している。
その作業では用語の追加、修整とは別に「今日のひとこと」というコラムを書く。
果たして、何人の人がそれを読んでくれているかはわからないが、それは、日ごろから慣れっこだ。

(以下引用)
■8月8日の今日のひとこと

五輪が終わりましたね。
これからパラリンピックへと活動がつづいていく方は「一区切り」でしょうか。

「五輪が終わった」というところに焦点を当てると、それぞれ感慨は異なっていると思います。
やり遂げた充実感に包まれる方、ちょっと考えていたのとは違ったなという方もいるかも知れません。

2019年2月に「新聞タワー」から始まったボランティアジャーニーは、2年半の時を経て一区切り。
私達は、アスリートに舞台を、スポーツファンに競技の感動を届けることをやり遂げました。
ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います。

「選手村用語集」はパラリンピック活動期間も更新を続けます。時々、読みにきてください。

(引用おわり)


"ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います。"

この言い回しは、選手村活動が始まった頃に参戦したLOVE PSYCHEDELICO 20周年ライブのフィナーレで語られた、KUMIのメッセージから引いている。

コロナ禍により2020年に予定されていた「20周年」が中止となり、チケットは一旦払戻。
再度、
抽選の末2021年7月に開催された。
僕は2020年に外れていたが、2021年では当選の僥倖を得て、その場に臨んでいた。
その逆で涙をのんだ人も多かったはずだ。

「ここに来たかったのに来られなかった人」がいる
その存在に思いを馳せて、言葉にする
KUMIは僕のなかになかった価値観をおしえてくれた。

2022年夏の甲子園決勝後、優勝した仙台育英高校の須江航監督が、場内インタビューで語った言葉は多くの共感を呼んだ。

(以下引用)
「本当にすべての高校生の努力の賜物で、ただただ僕たちが最後にここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」
(引用おわり)

「今ここに居ない人が、共に居る」
ことを言葉にした須江監督の姿は、とても美しかった。


光が当たる人、当たらない人
光が当たるスポーツ、当たらないスポーツ
スポーツの世界、スポーツボランティアの世界でも「光と影」は常にある。

五輪閉会式を迎えた時、僕の中で、オリもパラは一つの地平線上にある、つながった世界に見えていた。

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2022年8月28日 (日)

閉会式の日に登場したアイロン職人

8月8日
五輪閉会式当日
シフトはレジセンの早番(7:00-14:30)

午前中は、洗濯もののピックアップに行く選手がレジセンを通ってランドリーに行き来する。
閉会式に向かうシャトルバスは15:00頃から順次出発すると聞いている。

閉会式が行われる時間帯の国立競技場には雨の予報が出ている

お昼を過ぎると、大きなバッグを両手に抱えた選手たちが戻ってくる。
昼食がてら、ビレッジプラザで五輪土産を買い込んできたのだろう。

「バブル方式」で行われている東京2020では、選手の移動範囲は選手村と競技場を往復のみ。行きたい店へ自由に出かけることはできない。
唯一の買物ができるのが、選手村のビレッジプラザなのだが、ここには日用品と東京2020グッズしか売られていない
(Field Castは中に入れないため、見てきたわけではない)

日本独自の食べ物、家電製品、化粧品、サブカルチャーグッズ・・・
楽しみにしていた買物ができないのは、残念なことだ。
これが、生涯最初で最後の来日という選手も多いだろう。

選手も残念だし、日本の販売店の皆さんも残念。
誰も得をしていない。
若い人の間で流行っている「**しか勝たん」という言い回しを借りればまさに「コロナしか勝たん」のである。

本当の勝者など誰もいないのに、人と争って勝ち負けを決めたがる人が多いことが、東京2020で浮き彫りにされた。
それは「分断」と呼ばれた。


お昼を回った頃、レジセンに段ボール箱が運び込まれた。
中には簡易レインポーチが入っている。
予め想定されていたのか、なかなかニクい気配りだ。

箱を開け、一つを広げて見本として壁に貼り付ける
すると、選手たちが「僕にもくれ」「私には2つね」と言って集まって来た。

選手村の基本的な運用として「手渡し極力NG」があるので
「FREE!」と貼り紙をして、自由に持って行ってもらう。

しゃがんで2つ目の段ボールを開けていると、背後から何かが差し出された。
「This is for you」
と言ったかどうかわからないが、それは僕へのプレゼントらしい
2mmほど厚みがある名刺サイズの物体
どこかの街の夜景がプリントされているようだが、物体がエアキャップに包まれているため、正体不明

選手は物体と引換にレインポーチを一つゲットすると、すぐに自分の部屋に上がっていった。
特殊な電子部品だろうかとも思ったが、未だにこれが何だったのかはわかっていない。


ここ数日、選手たちから引っ張りだこだったのがアイロン。
晴れ舞台には、ぱりっとした衣装を着たい。
その気持ちは万国共通だ。

レジセンには貸出用のアイロンがいくつかあって、選手は自分の部屋で使って、レジセンに返しに来る。
閉会式が近づいてからは、一人でも多くの選手に使ってもらうため、貸出ではなく、レジセンそばのテーブルで使ってもらっていた。


ずっとさっきから、E国の青年が衣装にアイロンをかけている
E国の居住棟はここではないので、彼はアイロンを求めて、はるばるやって来たのだろう。

背筋が伸びた凜とした佇まい、微かにアルカイックスマイルを浮かべた青年は、プロのアイロン職人かと思うような熟練の技で、持参したトップス、ボトムス・・次々にしわを伸ばしていく

それはそれで見事なのだが、長い・・
次に使いたいと思っている選手が遠巻きにしている
だからといって、早くしてくれというのも違う気がする

ずいぶん長い時間をかけて仕上げた青年は、正装一式を大事そうに抱え、皆にお礼を言って引き上げていった。


閉会式に向けて慌ただしい選手たちとは裏腹、僕らサービス提供スタッフの出番はほとんどない。つまりヒマ。
早番のシフト終了14:30でぴたりと上がる。

できれば、閉会式に向かう選手たちを「行ってらっしゃい」と見送りたかった。


TPCを出る頃には交通規制が始まっており、いつもとは違う順路が指示されていた。
選手団を国立競技場に運ぶバスの第一陣が見えている。
沿道には、選手たちをひと目見ようという人々が待っていた。

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