2023年1月29日 (日)

QRコードのもぎりという貴重な経験

その日、僕はチケットもぎり役だった。
チケットもぎりというのは、スポーツや音楽の興行において、入場口で入場券(チケット)を確認する作業をいう。

今から40年前、平和台球場(NPB公式戦)で働いた時は、一塁側内野席のチーフを任されていて、そのメイン業務がチケットもぎりだった。
ただ、もぎりという言葉はあったが、その役割について「君、今日はチケットもぎりね」なんていうことはなかった。
チケットもぎりは、入場運用任務のうちの1つだからだ。

40年前は、すべて紙のチケット。
できるだけ、切り取り線に忠実に切り取ることを心がけた。
逆の立場、つまりお客さんの立場になった時、手元に残るチケットの端っこがささくれて切られていたら残念になる。中には腹を立てる人もいるかも知れない。


40年の時を経て、僕は再びもぎり役になった。
前回は時給500円だったが、今日はスポーツボランティア。
潤沢な予算があるプロスポーツは一握り。
たいていの競技において、運営の担い手はボランティアが頼りだ。

手には、割りと大型のタブレット
僕が使っている iPad(第7世代)より一回り大きく、プロテクターが付いている分、2倍くらい重い。
その興行はいわゆる紙チケットの発券はゼロ。
すべてがQRコードによる電子チケットだ。
入場者はスマホでBチケの画面を提示するか、紙に印刷してきたQRコードを提示する。


開場の時間がきて、一斉にゲートを開く
平和台球場の一塁側と違って、すべての入場者がここを通っていく。
もぎりでこの高揚感、緊張感は経験がない。

既に手指消毒、体温測定、手荷物検査を終えた客がやってくる。
こんにちは!
互いにマスクをしているが、こうした挨拶・お声掛けは規制されていない。
やはり、客商売は声を出さないと気分が出ない。

「こんにちは」と応えてくれるお客さんは10人に1人も居ないけれど、それだけにたまに応えてくれると、とても嬉しい。
同じスポーツ、クラブを愛する人間どうしの共感がここに生まれる。

何人ですか?と声をかける
「2人です」
お客さんがスマホを差し出し、それをタブレットのカメラで読み取る。
QRコードを認識して、アプリが有効なチケットだと認めると「ぴっ」と音がして、画面が切り替わる。

互いの角度、スマホに映り込む照明の具合によって、なかなか「ぴっ」と言ってくれないこともある。
その時は、こちらがタブレットの角度を変えてみる。それでもダメな時は「ちょっと角度を変えていただけますか」とスマホの傾きを変えてもらう。
それでもダメな時は「えいっ」とか言って、念を送る ^^;)

古来から人はこういう物理的には説明できないことを、やってのけている。
映りの悪いテレビを叩いてみたり、Wi-Fiが弱いとスマホを振ってみたり・・

チケットが読み取れると「ありがとうございます」とお礼を言って、空いているほうの手で画面をタップして、次に備える。


親子連れの場合、たいてい大人が家族の分、全員のチケットを持っている。
4人の場合、QRコードは4個。
これが、一部の方には想定外だ。

「まとめて4人分のチケットを買ったのだから、1個のQRコードにまとめられているはず」
ここに来るまで僕もそう思っていた。
だが、全員が同時に来場するとは限らない。
誰か1人が遅れるかも知れない。誰か1人が都合が悪くなり、他の誰かに譲渡するかも知れない。
そういったケースに対応するためには、QRコードは1人1個が合理的だ。
そういえば、紙のチケットだって「1枚で2人分」ということはない。

こんにちは、何人ですか? ありがとうございます。プログラムどうぞ!

できるだけ抽象的な言葉で、流れをつくっていく
ところが、時間が経つに連れて、辛くなってきた

かなり肩が凝っているのがわかる。タブレットを片手で支えているためだ。ピップエレキバンを貼ってくればよかった。
そして、喉が痛い。浅田飴がほしい^^)
読み取ったチケットが800枚を超えた頃には、意識が遠のきそうだった。

それでも、もぎりは楽しい
見ず知らずの人とアイコンタクトして、挨拶をして、にっこり笑う
時にはにっこり笑って返してくれる
もしも、誰かが「おつかれさまです」とでも言ってくれたら、泣きそうだった

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2022年12月10日 (土)

世界初のマイボトルマラソン、世界初の美しく尊いランナーたち

配置に着きパイロンを並べ終えると、先頭のランナーが来るまでまだ30分ほどあった。
トラスコ湘南大橋からは、雪を頂いて真っ白になった富士山が見えている。

■トラスコ湘南大橋
相模川の最も河口寄りに架かる国道134号の橋がトラスコ湘南大橋(全長698m)
2010年に架け替えた際、日本の橋で初めて愛称に命名権(ネーミングライツ)を採用。
東京都港区に本社を置く機械工具卸の TRUSCO トラスコ中山が命名権を取得。
5年契約で、2020年4月からは3期めに入っている。
箱根駅伝のコースであり、湘南国際マラソンも毎回コースとして使用。湘南では往路7km、復路29kmにあたる。


湘南国際マラソンは第1回東京マラソンの翌月、同じ2007年に始まった市民マラソン。
箱根駅伝のコースであり、観光地湘南の海沿いを走る国道134号線を封鎖しておこなう。

コースから富士山が見えるのは「走っていて気持ちがいいだろうな」と思う人もいるが、実際に走った感想としては、景色が変わらず辛い。
このコースは、ほぼ一直線の走路を往復する「1way折り返しコース」
東行きでは「江ノ島」西行きでは「富士山」が遠くに見えている。
遠くに見えている目標は、地面を走っているとなかなか近づいてこない。意外とこれがつらい。

僕の理想コースは曲がり角の多いコースだ。今は辛くても曲がり角の先によきものが待っていると信じて頑張れる。
トップアスリートにとって曲がり角はタイムロス要因だが、ど素人!ランナーにとっては気分が変わるプラス要因だと考えている。


第17回大会は「世界初のマイボトルマラソン」として「マイボトル給水システム」が採用された。
通常の市民マラソンではランナーはドリンクをエイド(横浜マラソンの場合18か所)でもらう。
この大会では、ランナーが400mlのマイボトルを持って走り、200mごと200か所(蛇口数3,500)に設営された給水タンクから自分で水を汲む。

走る側に立てばタイムロスが多くなるのでは?と考えていたが、出走したランナーの意見をチェックしてみると、そうでもないらしい。

400mlのボトルを持っていれば、そう何度も「水を汲む」必要がない
エイドの渋滞によるタイムロスがなくなる
路上にゴミが落ちていない

この取組はいいんじゃないか?
この取組がこれから、他の大会に波及するのではないか?
と思えたのは、実際に目にしたランナーの振る舞いにある

トラスコ湘南大橋を渡り終えた往路7.8kmでランナーに拍手を送っていた時のことだ。
1人のランナーがボトルを落としてしまった。ボトルは地面に転がり後続のランナーはそれを避けて走っていく。
ランナーが切れる一瞬を狙ってボトルをコース外に出そうと、じわじわと近寄っていた時だ。
ひとりのランナーがボトルを拾って走って行った。

最後尾のランナーが行き過ぎるより少し早く、復路のランナーがやってくる。
僕らは道路を渡り復路29km地点に持ち場を変える。

すぐ手前には給食エイド(コース上6か所)があり、バナナを配布していた。
このバナナはけっこう美味かったらしい。「生涯で食べたなかで一番美味かった」という意見もあったくらいだ。そう言われると、僕も食べてみたかった。

市民マラソンにおいて、エイドでバナナを配ること自体は普通だ。
ただそれは、コロナ禍前ならば「皮を剥き、カットしたバナナ」
今回は「皮を剥かず、一本ままのバナナ」
眼の前を通り過ぎるランナーはバナナを食べながら、食べ終わった人は皮を手に持って走っている。
コース上にはゴミ箱は設営していない。
「これいいですか?」とボランティアにゴミを渡すランナーはいない。
ランナーはバナナの皮を持ったまま、トラスコ湘南大橋へ登っていく

人は「いい人モード」に入れば、いい人になれる

これは以前、ランニング雑誌の編集者に言われた言葉だ。
世界初のルールの下に集い、そこに身を置いた方たちは、ルールとマナーの鏡と呼べる2万人のランナーだった。
世界初の美しく尊いランナーたちである。

運用ルールにより「声出し応援」はできない
(屋外でマスク着用をしているのに声を出せないというのは疑問だ)
すべての人に拍手を送った
10km走ったくらいの筋肉痛になった

いつもならば、最終ランナーにつづいて警察の規制車両が通り過ぎると、道路の原状復帰(ゴミ拾い)となるが、ゴミは1つも落ちていない。パイロンを片付け交通規制を解除して任務を終えた。

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2022年12月 9日 (金)

3年ぶりの湘南国際マラソンのボランティアに選手村仲間で参加した

2022年12月4日(日)
3年ぶりの湘南国際マラソンが開催され、僕ら選手村仲間はスポーツボランティアとして参加した。

東京2020が終わり、選手村用語集のもとに集ったのが「選手村仲間」
選手村は目の前で競技が行われる現場ではなかったので、今度は皆でスポーツ現場でボランティアしようということになった。
そこで最初に申し込んだのが、2021年12月に予定されていた第16回湘南国際マラソン。あいにくコロナ禍により第16回は中止となり、今回は選手村仲間として2度目のエントリーである。


東海道線「沼津」行きに乗るため、川崎駅のホームに降りると、パックを背負った大勢のランナーがいた。
マラソンの朝、会場に向かう電車のホーム。懐かしい光景だ。
そこに滑り込んできたのは東京発、二宮行きの臨時特急「湘南国際マラソン1号」
E257系9両編成を使用した、全車指定席のクロスシートに、ランナーたちが乗り込んでいく。

僕のようなど素人!ランナーの場合、マラソンの朝はできるだけ体力を温存したい。事前予約で座席が確保できるのは、とてもありがたい。
それに乗りたい衝動に駆られたが、僕の降車駅は「茅ヶ崎」なので、指をくわえて出発を見送った。

東海道線沼津行きは、横浜、戸塚と停車駅ごとにランナーが乗り込んできてすし詰め状態になった。
僕が走った第1回大会の冊子には「出走者の70.6%は神奈川県民」とあった。
レース後に話した地元ランナーは「この国道はいつも渋滞していて、地元の人は皆頭に来てるんですよ。その道を封鎖して走るマラソンがあるって言うから、さぞ気持ちがいいだろうと思ってエントリーしたんです」と話してくれた。地元民にとって、この道路を専有するのは特別なことらしい。
おそらく、今回も地元ランナーが多いのだろう。

「がんばってください」
心のなかでランナー達に告げ、茅ヶ崎駅で下車。南口でバスを待っていると、選手村仲間が集まってきた。
ひと月前には横浜マラソンに団体参加したので、さすがに懐かしさは感じない。
神奈川中央交通 茅37 浜見平団地行に8分ほど乗り、南湖入口下車。
マラソンコースである国道134号は、まだ封鎖されていない。
コース沿いに歩き集合場所の浄水場に到着。

グループに分かれ、ユニフォーム(ウィンドブレーカー・キャップ)を受け取る。
大抵の大会でユニフォーム一式は譲渡されるが、今回の湘南は貸与。活動終了時に返却する。
これはとてもありがたい。着てこなくて済むし、持って帰らなくて済む。
大会ユニフォームは、普段遣いできるものではないので、即処分する人が多いと想う。回収・リユースは資源の有効活用という点でも理にかなっている。

しばらくすると、何台かの大型バスが敷地内に入ってきて縦列駐車した。関門で止められたランナーの収容バスだ。
その光景に既視感がある。ここは、僕にとって因縁の場所だった。

2007年3月の第1回湘南国際マラソンにランナーとして出場した。
現在とは逆向きで第1回だけは江ノ島発着。西湘バイパスで折り返し、湘南大橋を渡った先の31.1km第3関門の制限時間は4時間3分(ゴール制限時間は5時間40分)
それに3分及ばず、この場所から収容バスに乗った。

リタイアブログ「湘南に風は吹かず


今大会のスポーツボランティアは募集人員3,220人(先着)
前回(第16回)の募集は2,500人だった。
前回はワクチン接種+PCR検査が参加条件でありハードルが高かったが、今回は健康チェックリストの提出のみとなった。
それでも人員は十分に集まらず、募集期間を延長したが、十分な人員は確保できなかった。

この大会がボランティア確保に苦戦する理由は、東京・千葉・埼玉といった首都圏勢にとって参加が難しいことにある。
第1回はスタート/ゴールがコースの最も東京寄りの「江ノ島」で、そこに多くの人材を集めることができた。
第2回以降はコースの向きが逆になり大磯発着となったため、東京以東からの距離が遠くなった。
今回の持ち場である「茅ヶ崎」が最寄駅から始発に乗ってギリギリ。それより西側では難しくなる。距離が遠いということは交通費も高くなり、東京からの参加者は概ね2,500円を超える。

そうした課題は事務局も認識しており、今回は新宿駅、横浜駅からボランティア直行バスツアー(有料)を実施した。次回以降も東京勢集客の工夫が進むとよいと思う。

ボランティアの募集種別は3種類
【1】個人
【2】グループ(2~10人)
グループ外のリーダーのもと他のボランティアと共に活動
【3】団体(11人以上)
団体からリーダーを出し、原則団体単独チームで活動

当初は団体参加を目指したが、11人に届かずグループ参加となった。
それでもリーダーの配慮により、グループの一体感をもって行動することができた。

つづく

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2022年9月 3日 (土)

パリに「東京、ハードル上げすぎっ」って言わせたい

五輪が始まる前に思い描いていたボランティアのイメージと、実際のそれは違っていた。

転機となったのは、開村後に読み返した選手村のField Castマニュアルに書かれていた一文だ。

(以下引用)
積極的にチームのみなさんとコミュニケーションをとりながら、自身の得意分野を活かし、チームの活動にあたります。
(引用おわり)

「用語集」は自らの最大の得意分野。
「選手村用語集」を思い立つことができたことで、五輪では幸せな時を過ごすことができた。
それは、活動が始まる前には想定していなかったことだ。


パリの人たちに「東京、ハードル上げすぎっ」って言わせたいですね!

2019年春、面談の席で応募者とこんな話しをしていた。
五輪ボランティアのサービスレベルを、日本開催の東京2020で一気に引き上げたい。
4年後に開かれるパリ大会のボランティアたちから
「ここまでやる?ムリムリムリムリ!なにしてくれたの東京」
と言われるくらいに・・

だが、実際に選手村活動が始まってからは、そんなふうに想っていたことすら忘れていた。
ムリもない。
僕が思い描いていた姿は「平時の大会」であり、今はそうではない。
ハードルを高くする以前に、トラック自体が凸凹なのだ。

東京2020は、後世に「あの時、大会が行われたこと自体が奇跡」と言われるかも知れない。
今は大会ができたこと、やり遂げることが僕らのハードルであり、それを高くしようという空気ではない。


五輪閉会式でバッハ会長がボランティアへの感謝に言及し、メディアは選手団も感謝しているという論調となっていた。

僕はそれを素直に受け取れないでいた。
これくらいで感謝されていいのだろうか

自分自身、サービスで感動してもらったという体験はない。
それどころか、質問に対して誤った情報を伝えたこともあった。

我々のサービスレベルについて、五輪選手団による芳しくない意見が風の噂に聞こえていたが、それはとても「遠慮がち」というか、抑制されたものだった。
しかし、それは至極真っ当な意見だったと想う。

もちろん、どれだけベストを尽くしたと想っても、人それぞれの不満は後を絶たないだろう。
ましてや、ここは三ッ星ホテルではなく、ルールとガイドラインに沿って運用される選手村なのだ。そのルールに慣れていない地域の人は不満だろう。


ポケトークが威力を発揮することは大きな収穫だった。

僕の英語は「中学生レベル」
手に負えくなった時の保険として、2年前にこの翻訳機を買ったのだが、まさか、ここまで使えるとは想わなかった。

僕が「Talk to this」とポケトークを差し出すと、どの選手も気さくに応じてくれた。
「面倒だから、それはやめてくれ」ということが一度あっただけ。

オランダ選手団がやって来て、僕がNETHERLANDS に切り替えていると「それを僕に?」と声かけてくれた選手。嬉しかったな。ジョークが言える人は優秀だと思う。

ある選手は、マスクを外して熱弁した。
マスク越しでは機械が音を拾えないと想ったのだろう。
彼が話す間、僕は差し出した左手に、飛沫の感触を感じていた。

何処のFAよりも、選手団との会話機会が多い選手村にアサインされたことは幸いだった。
ポケトークを使ってみたいというField Castが多く「ポケトーク講座」や「選手村ポケトークマニュアル」をつくり、仲間に喜んでもらうこともできた。


五輪を終えて、仕事にも、猛暑の立ち仕事にも慣れた。

これから始まるパラリンピック(Paralympic Village)では、皆さんとの調和を大切にしよう。
できれば、VIL全体の運営に貢献したい。
イノベーションができるならば、一石を投じたい。

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2022年9月 1日 (木)

ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います

東京五輪が終わった。

そこに無理やりスポットを当てると、あぁ長年の夢が終わったんだなとなる。
感情はむりやり作り込むことができる。
そう思えば、そう思えるし、考えなければ、そこにはなにも存在しない。


2005年に石原慎太郎都知事が五輪の東京招致を表明し、2006年に国内の候補地となることが決まった。
自分が住む街で五輪が行われる光景を想った時、そこに幸せな未来が待っていると考えた。

アスリートではない自分でも五輪に関われる手段として、2007年からスポーツボランティアを始めた。

恐らく、多くの人が同じことを考えるだろう。
たくさんの応募者の中から選ばれて役割を得るには、準備は早いに越したことはない。
9年前から備えれば、いい線いくのではないかと思っていた。
(その時点では招致は2016五輪だった)

13年の時を経て迎えた2020年は、コロナのお蔭で輝きを失った。
延期、中止論と紆余曲折を経てたどり着いた2021年夏期五輪。

閉会式を迎えた時には寂しくて仕方がないだろう
寂しさを紛らわすために、仲間との打ち上げは必須だ・・・

かつて、そのように考えていたが、現実は違っていた。
「ひと区切りだな」というくらいで、不思議なくらいに感慨がない。

それは、今の自分にとってオリパラがセットで「東京2020」だからだ。
Olympic Villageが閉村すると、つづいて Paralympic Village の活動に移る。
まだ東京2020は続いていく

五輪閉会式を見ながら「選手村用語集」を改訂している。
その作業では用語の追加、修整とは別に「今日のひとこと」というコラムを書く。
果たして、何人の人がそれを読んでくれているかはわからないが、それは、日ごろから慣れっこだ。

(以下引用)
■8月8日の今日のひとこと

五輪が終わりましたね。
これからパラリンピックへと活動がつづいていく方は「一区切り」でしょうか。

「五輪が終わった」というところに焦点を当てると、それぞれ感慨は異なっていると思います。
やり遂げた充実感に包まれる方、ちょっと考えていたのとは違ったなという方もいるかも知れません。

2019年2月に「新聞タワー」から始まったボランティアジャーニーは、2年半の時を経て一区切り。
私達は、アスリートに舞台を、スポーツファンに競技の感動を届けることをやり遂げました。
ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います。

「選手村用語集」はパラリンピック活動期間も更新を続けます。時々、読みにきてください。

(引用おわり)


"ここへ来られた方、ここに来られなかった方と共に喜びたいと思います。"

この言い回しは、選手村活動が始まった頃に参戦したLOVE PSYCHEDELICO 20周年ライブのフィナーレで語られた、KUMIのメッセージから引いている。

コロナ禍により2020年に予定されていた「20周年」が中止となり、チケットは一旦払戻。
再度、
抽選の末2021年7月に開催された。
僕は2020年に外れていたが、2021年では当選の僥倖を得て、その場に臨んでいた。
その逆で涙をのんだ人も多かったはずだ。

「ここに来たかったのに来られなかった人」がいる
その存在に思いを馳せて、言葉にする
KUMIは僕のなかになかった価値観をおしえてくれた。

2022年夏の甲子園決勝後、優勝した仙台育英高校の須江航監督が、場内インタビューで語った言葉は多くの共感を呼んだ。

(以下引用)
「本当にすべての高校生の努力の賜物で、ただただ僕たちが最後にここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」
(引用おわり)

「今ここに居ない人が、共に居る」
ことを言葉にした須江監督の姿は、とても美しかった。


光が当たる人、当たらない人
光が当たるスポーツ、当たらないスポーツ
スポーツの世界、スポーツボランティアの世界でも「光と影」は常にある。

五輪閉会式を迎えた時、僕の中で、オリもパラは一つの地平線上にある、つながった世界に見えていた。

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2022年8月28日 (日)

閉会式の日に登場したアイロン職人

8月8日
五輪閉会式当日
シフトはレジセンの早番(7:00-14:30)

午前中は、洗濯もののピックアップに行く選手がレジセンを通ってランドリーに行き来する。
閉会式に向かうシャトルバスは15:00頃から順次出発すると聞いている。

閉会式が行われる時間帯の国立競技場には雨の予報が出ている

お昼を過ぎると、大きなバッグを両手に抱えた選手たちが戻ってくる。
昼食がてら、ビレッジプラザで五輪土産を買い込んできたのだろう。

「バブル方式」で行われている東京2020では、選手の移動範囲は選手村と競技場を往復のみ。行きたい店へ自由に出かけることはできない。
唯一の買物ができるのが、選手村のビレッジプラザなのだが、ここには日用品と東京2020グッズしか売られていない
(Field Castは中に入れないため、見てきたわけではない)

日本独自の食べ物、家電製品、化粧品、サブカルチャーグッズ・・・
楽しみにしていた買物ができないのは、残念なことだ。
これが、生涯最初で最後の来日という選手も多いだろう。

選手も残念だし、日本の販売店の皆さんも残念。
誰も得をしていない。
若い人の間で流行っている「**しか勝たん」という言い回しを借りればまさに「コロナしか勝たん」のである。

本当の勝者など誰もいないのに、人と争って勝ち負けを決めたがる人が多いことが、東京2020で浮き彫りにされた。
それは「分断」と呼ばれた。


お昼を回った頃、レジセンに段ボール箱が運び込まれた。
中には簡易レインポーチが入っている。
予め想定されていたのか、なかなかニクい気配りだ。

箱を開け、一つを広げて見本として壁に貼り付ける
すると、選手たちが「僕にもくれ」「私には2つね」と言って集まって来た。

選手村の基本的な運用として「手渡し極力NG」があるので
「FREE!」と貼り紙をして、自由に持って行ってもらう。

しゃがんで2つ目の段ボールを開けていると、背後から何かが差し出された。
「This is for you」
と言ったかどうかわからないが、それは僕へのプレゼントらしい
2mmほど厚みがある名刺サイズの物体
どこかの街の夜景がプリントされているようだが、物体がエアキャップに包まれているため、正体不明

選手は物体と引換にレインポーチを一つゲットすると、すぐに自分の部屋に上がっていった。
特殊な電子部品だろうかとも思ったが、未だにこれが何だったのかはわかっていない。


ここ数日、選手たちから引っ張りだこだったのがアイロン。
晴れ舞台には、ぱりっとした衣装を着たい。
その気持ちは万国共通だ。

レジセンには貸出用のアイロンがいくつかあって、選手は自分の部屋で使って、レジセンに返しに来る。
閉会式が近づいてからは、一人でも多くの選手に使ってもらうため、貸出ではなく、レジセンそばのテーブルで使ってもらっていた。


ずっとさっきから、E国の青年が衣装にアイロンをかけている
E国の居住棟はここではないので、彼はアイロンを求めて、はるばるやって来たのだろう。

背筋が伸びた凜とした佇まい、微かにアルカイックスマイルを浮かべた青年は、プロのアイロン職人かと思うような熟練の技で、持参したトップス、ボトムス・・次々にしわを伸ばしていく

それはそれで見事なのだが、長い・・
次に使いたいと思っている選手が遠巻きにしている
だからといって、早くしてくれというのも違う気がする

ずいぶん長い時間をかけて仕上げた青年は、正装一式を大事そうに抱え、皆にお礼を言って引き上げていった。


閉会式に向けて慌ただしい選手たちとは裏腹、僕らサービス提供スタッフの出番はほとんどない。つまりヒマ。
早番のシフト終了14:30でぴたりと上がる。

できれば、閉会式に向かう選手たちを「行ってらっしゃい」と見送りたかった。


TPCを出る頃には交通規制が始まっており、いつもとは違う順路が指示されていた。
選手団を国立競技場に運ぶバスの第一陣が見えている。
沿道には、選手たちをひと目見ようという人々が待っていた。

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2022年8月27日 (土)

うまくいった人にもうまくいかなかった人にも優しい風が吹く夕暮

「明日に向けて気持ちを作っていこう」
選手村ボランティアから家に帰るといつも、唱える言葉だ。

会社に行く日々であれば、慣れ親しんだルーチン。変わらぬ同僚。
特別な意気込みや心がけがなくても、やっていける。

だが、選手村では毎日が違ったルーチン。日替わりの仲間たち。
これまでうまくいったことが、明日も通用するとは限らない。

リーダーとしての役割をいただいて充実感がある。
職員さんたちの信頼の厚さも感じている。
だが、開村してすぐの頃と比べると、ドキドキワクワクではなく、守りにいってるような自己嫌悪もある。
奢り、緩み、たがの外れがあってはいけない。

謙虚な態度、絶やさぬ笑顔、怒りに付き合わない
明日もその姿勢で行こう!
と確認してから「日々の作業」に移る。


「用語集、いつも読んでます!」
お昼に食堂で顔を合わせた仲間が声をかけてくれた。
楽しみにしてくれてる人が目の前に居て声が聞こえる。顔が見える用語集。
日ごろはネット上で「顔の見えない用語集」をやっているので、こうした反応が嬉しい。

それが、どんなに疲れていても、毎日用語集を改訂するモチベーションにつながっている。
用語集まで終えると、もうすぐお風呂と就寝時間。
1日を振り返ることも、余韻に浸るひまもない。


奇跡の1日の翌日も、同じA棟でリーダーを担う。
Field Castは女性ばかり5人。
お父さんもField Castをやっているという大学生、寸暇を惜しんできめ細かく動く方、独自のスタイルを持っている方、人の多様性を実感する彩りのメンバーに囲まれた。

 

ロビーのテレビにはSTBがつながっており、会場で行われている競技のライブ模様が映し出されている。
テレビの前には数席のソファーが置かれている。
そこで選手たちが競技に見入っている。


これだけリラックスしているということは、もう自らの競技は終わったのだろうか。
思っていた通りの結果だ!という選手もいれば、今ひとつ、あるいは意気消沈している選手もいるかも知れない。
仲間の競技をみて、今何を想うのだろう。

チーム(国と地域)の仲間が見ているところに、また一人、そしてまた一人とその輪に加わる。
初めは二言三言、言葉を交わすが、その後はこの時代のマナーに則っている。
違うチームの選手は少し距離を置いて、静かに画面に見入っている。


A棟は「SEA」エリアにあり、舗道を挟んで海が目の前
時折、誰かが出入りしてドアを開くと、海辺から穏やかな風が吹き込む

うまくいった人にもうまくいかなかった人にも優しい風が吹く夕暮
選手は思い思いの夜を過ごす


僕らは、テレビを見ている選手たちの後ろから、その景色全体を視界にとらえ
静かに見守っている

「この光景を眺めていられるのは特別ですよね!」

仲間の一人が小声でつぶやいた
僕はマスクから出た目だけで思い切りにこりと笑い、うんうんと頷いた

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2022年8月25日 (木)

8月4日の会

奇跡のような1日だった。
この日出会えた仲間たちと記念撮影をして、僕はこの仲間たちといつか再会したいと思っていた。


8月4日
受付②(レジセン) 7:00から14:30までの早番
いつものA棟にはいる。
今日も青木さんがリーダーを任せてくれた。

僕以外のField Castは4人。
全員が未経験というわけではなかったが、研修を提案すると全員が会議室に集まってくれた。

この日は「名前と顔が一致しなくて」トークで入ったところ、これがはまった。

「一度会った人の顔と名前は忘れません」
という人にまだ会ったことがない。
大抵の人は一度会ったくらいでは、顔と名前が一致しない。
まず、そこで共感が得られる。

人の名前が憶えられないし、最近は物忘れもひどいので・・
まぁこれは別の理由ですが ^^;)
と枕を振って、かつて研究した「顔と名前を一致させる」方法を話す。


「顔と名前を一致させる」方法
その①「似ている芸能人の名前をメモ」

いただいた名刺に(その方が帰ったあとで)「キムタク」「松たかこ」と書いておく。
プレゼンを受ける場合は、その資料の端に「サトウ:キムタク」といった走り書きをしておく。
これで、顔の映像が記憶に残る。
人の名前を憶えられないのは、その顔を忘れてしまうからだ。

では、目の前の仲間たちが、芸能人に似ていたかというとそうではなく、芸能人に居る名字の人ばかりだったのである。


「顔と名前を一致させる」方法
その②「何度も名前で呼ぶ」
受験勉強は書いて覚えるが、人の名前は呼んで憶える。
それも一度ではなく二度、三度。
たった今聞いた名前を忘れてしまっても「すみません、お名前・・」と聞けば、おしえてもらえる。

「記憶力が悪いので、覚えるまで何度でも呼びますから」
と予めことわったうえで「サトウさん」「サトウさん」「えっと・・あ、サトウさん」と呼んでいけば、相手も笑ってくれる。

もちろん、そういう洒落の通じない人もいるが、そういう人には、そもそもこの話しはしない。


8月4日、ここに集まったメンバーは、芸能人の名字で互いに呼び合って、すぐに和気藹々チームができた。
こうなると、リーダーの仕事はここまでだ。あとは、一人のメンバーとして楽しむ。
1日を通して、誰もが率先してよく動いていた。


14:30の定時であがった僕ら5人は、実際に手はつながなかったが、まるで手と手を取り合うように連れ添って、TPCを出て勝どきまでの道を歩いた。
シフトの全員が勝どきまで帰るというのも、これが最初で最後だ。


「選手村の中は(撮影禁止で)撮れないけど、ここならいいよね」
勝どきの路上で僕ら5人は記念写真を撮った。
これが、選手村活動で初めての写真だった。


帰りの電車の中で僕はこんなことを考えた。
特に連絡先を交換してはいないが、今日の仲間とはいつか「8月4日の会」といったカタチで再会したい。
それには、人々がマスク無しで会食できる世の中に戻るのが先決だが、きっと、強く思っていれば、いつか叶うだろう。

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2022年8月 5日 (金)

人は誰でも「モード」を切り替えて生きている

朝の6時台、大門から乗った電車には、各車両ごとに1~3人のField Castが乗っている。大会前に比べるとずいぶんと増えた。ということは五輪が佳境に入っているということだろう。近くにぽつんといれば話しかけやすいのだが、そうもいかなくなっている。

「これは15回の活動でさしあげているのですが、もらいましたか?」
TPCの受付でポーチ(マスクケース)をいただいた。
五輪だけで15回入る人はさほど多くないと想う。これまでに、5回、7回、10回でもらったピンバッチとはまた違った特別感がある。
この時はそう想っていたが、このエンゲージメント・グッズは後日、全員配布に切り替わった。


今日のシフトは受付②(レジセン)
職員の春日さんと佐野さんがピックアップに来た。最近のお迎えは2人当番の日が多い。すんなりとは行かなかったものの、いつものA棟にはいる。

昨日「温泉卓球」を譲ってくれた西田さんと二日続けて同じ部署。
昨日は夢が叶いましたとお礼を言うと、はぁそうですかと薄い反応が返ってきた。
子どもの頃から感じていることだが、僕は夢中になると周りが見えなくなる。というよりバランス感覚が悪くなる。西田さんから見れば、変わった人だという印象なのだろう。

リーダーの安部さんは、僕の子どもくらいの年格好で、とても温和な方。
レジセン初心者である水戸さんの研修をしましょうか?とお伺いを立てると、アルカイックスマイルを浮かべ「お願いします」と任せてくれた。

会議室でのマンツーマン研修
失礼ですけど大学生の方ですか?と尋ねると水戸さんは「はい」と言った。
会社で採用担当者でもメンターでもない僕が、大学生と話す機会はない。
一方、選手村では大学生と接することが多い。
なかでも、レジセンで出会う選手村仲間は、謙虚な方が多いと感じていた。

僕らが学生の頃には、ボランティアという概念がないし、それが、単位やキャリアになることもなかった。ここに来た動機はそれぞれあるだろうが、1つだけ言えることは、自分が20歳の頃は、皆さんのような落ち着きはなかったということだ。

選手村で見知らぬ社会人、学生と接して3週間。
この頃には、雰囲気で大学生だとわかるようになっていた。
じゃあそれはどんな雰囲気かというと「前に出てくる感じがない」ということになる。
それは消極的という揶揄ではなく、自分を自分以上に見せようとしない謙虚さが漂っているということ。

大学生の皆さんには、まだ守るものがないのだ。
これから、親の扶養を離れて社会に出れば、組織、地域、家族のなかで、否が応でも守るものが増えていく。
どうか、ここに集う皆さんが健康で幸せに暮らせますように
心の中で祈っていた。


「motoさんお元気ですか?」
客足が途切れ手持ち無沙汰にしていると、リーダーの安部さんが声を掛けてくれた。
嬉しかった。
同じ職場で同僚から「お元気ですか?」と言われた経験は、生涯で数えるほどしかない。
言ってくれた方を思い返してみれば、日ごろから誰にでも心優しい方ばかりだった。
その言葉は一見「貴方のことを見ていますよ」と言っているようだが、僕はその人の心の中で欠け落ちたものを見た気がした。


いい人ばかりで、今日はとてもよい雰囲気だった
その日の選手村日記に、そう書いている。
ふり返ればそれは、リーダーの安倍さんが醸成した空気なのだろう。

人は誰でも「モード」を切り替えて生きている。
神社へ参る時やボランティア活動をしている時は「いい人モード」だし、意に沿わない人に対しては「ぷんぷんモード」になる。組織では「オレオレモード」の人が多い。
その中から、どのモードを引き出すかがリーダーにかかっている。

これから、大変な社会に出て行く学生さん達にとって「いい人モード」を体験できるボランティアは貴重な経験になるだろう。

「カネももらえないのに、なんで、そんなことするの」
20代の方からそう言われたことがある。五輪ボランティアを募集していた頃のことだ。
ずいぶんな言い方だが、きっぷの良さに笑った。
ただ、どんなことも体験しておけば役に立つのにな、面白いのになとも想ったが口には出さなかった。


お昼の丼モノメニューは「冷やし中華」
東京に暑い夏が来ていた
ただ、1年後の危険な暑さの夏、エアコンが効いた部屋でこれを書いている時、その暑さがどれくらいだったのかを思い出せない。
食堂の入口に「冷やし中華始めました」のPOPは出ていなかった。

ここまで、お読みいただき、ありがとうございます。
つづきは、出版を予定しています。
版元の皆様、以下コメント欄よりお引き合いをお待ちしています。
(コメントは非公開ですのでご安心ください)

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2022年8月 4日 (木)

国際親善 温泉卓球の試合結果

レクリエーションセンターのことを「非公式選手村用語集」にはこう記している。

リラクゼーションを提供する場所。
予約は不要。卓球、ダーツ、手裏剣、TVゲーム、フォトスポット、マッサージチェア、TVなどがある。同じフロアにカジュアルダイニングがある。

10:00
レクリエーションセンターオープン
五輪のまっただ中ということもあってか、朝からリラックスを求める選手はまばら。
施設内における僕らの立ち位置は特に決められていない。
早朝に従事したジムでは、ピンポイントの立ち位置と、一定時間でのローテーションが決められていたのと比べると対照的。

信頼に基づいて成り立つ自由な空間は素敵だ。
それは、その場の責任者によって醸成される。
人々が仕事を楽しめるか否かは、責任者にかかっている。

仲間たちは、思い思いに得意なゲームや機材の近くに位置を取っている。

僕は卓球台が見通せる通路に立ち
毎秒減っていく貴重な時間を惜しみながら
選手の誰かが卓球相手を探す瞬間を待った
何度も練習した口上を反復しながら

日本人は温泉で卓球をします
Japanese people play table tennis in hot springs.

おっと!もちろん浴槽の中じゃないですよ^^;)
Oops! Not in the bathtab,of course.

卓球台では時折、選手がプレーするのだが、いずれも2人連れであり、相手を探す素振りの選手はいない。
場内は徐々に混んできたが、なにもすることはないまま午前が終わり、じゃんけんで1、2番になったサトウさんと2人でお昼休憩にはいる。
Field Castの食堂はMFCの中にあるため、移動時間が短い。
初めて"開店"に並び、COSTAをとって、初日に食べて以来の「ピリ辛冷やしうどん」とバナナ1。
食べていると、A棟の青木さんが来て、となりに座り、速攻で食べてすぐに出て行った。人にはそれぞれ事情があるのだ。


午後からの主な仕事は、プレゼント配布に並ぶ行列の整理
列の最後尾に立ち、並びますか?ここが最後尾です。
Do you line up? This is end.
こうした、繰り返し使う台詞をしらべるのにも、ポケトークは威力を発揮した。


本日の業務終了まであと20分となった時、幸運は突然訪れた。
「卓球の相手してあげて」
誰かの声がした。すかさず、ベテランのField Cast西田さんが反応したが、僕は最終便を発車しようとしたバスの運転手を必死に呼び止めるように、彼を静止した。
「すいません!選手と卓球したかったんで、僕にさせてもらえませんか」
咄嗟のことなので書くと貧しい文章だが、切羽詰まった時の言葉はこんなものだ。
これまでに何度も選手と卓球をしている西田さんは、僕の必死さに引きながらも、すぐに譲ってくれた。


卓球台の前で、D国のジョージ(仮名)が待っていた

互いに自己紹介などはしない
僕は舞い上がっていたのだろう
「日本人は温泉で・・」の口上もすっかり忘れていた
少し乱打をすると、ジョージが「試合をしよう。サーブは君からで」と提案

僕はいきなり秘技温泉サーブを繰り出す
見事にネットを超えて決まったのだが、ジョージに難なくレシーブされてしまった
「Japanese serve? ^^」
ジョージが笑ってくれたのが救いだ

左利きの僕がクロスに打つと、右利きのジョージのバックを攻めることになる
国際親善の観点から、それはまずい
手首を返さず、相手のフォアにイージーボールを打つことを念頭に置く

それでも、僕が2ポイント先取
3-1とリードしてからは、相手のフォアだけに返すよう努める
そのうちに、ジョージも左利きに慣れて盛り返し、終盤はジョージがリード
そこで、ちょっとバックにも打った
試合結果は 9-11
絵に描いたようなおもてなし敗戦だ
僕は敗けが悔しいという表情をつくる

ジョージは笑ってグータッチ「サンキュウ」と言って、帰って行った

選手村生活で起きた幸せな出来事は数あるが、思い出ランキングで「温泉卓球」は第三位にランクされている。

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