2022年2月10日 (木)

デストロイヤー マスカラス まだ引退していないのかな検索で旭日双光章

遠い昔に憧れていた千葉真一(アクション俳優)の訃報に接したのは去年8月のことだ。
去年は、同じくアイドルだった沢村忠(キックボクシング)も3月に亡くなっている。

子どもの頃は、千葉真一のようにカッコよく、沢村忠のように強く、そしてマチャアキ(当時歌手兼役者)みたいに面白い大人になりたかった。
(面白くなる目標だけ、少し近づけたと想う)

こうした訃報はニュースで飛び込んでくることもあるし
「あの人、まだ生きてるかな検索」
で「Google先生」に教わることもある。


それとは別に「まだ引退していないのかな検索」もしていたのが、二人の覆面レスラー。スポーツ選手というのは歳をとると現役を退くものだが、プロレスは例外で60歳を過ぎているから引退しているとは限らない。

一人は1973年から1979年までジャイアント馬場の全日本プロレスに参加していたザ・デストロイヤー。
プロレスというのは力道山の時代から、日本人が外国人を倒すのをみて溜飲を下げるものだったので、その外国人が「日本陣営」に入ったことには大変驚いた。
今でこそ、相棒を裏切る、敵に寝返るというストーリーはプロレスのお約束だが、当時はフルネルソン(羽交い締め)したら交わされて、相打ちでギャフンという猿芝居程度だった。
20世紀風にいえば「プロレス自由化」、いま風にいえば「プロレス・ダイバーシティ」の先鞭をつけたのがデストロイヤーだったと言える。

彼は米国に帰国後、1993年(62歳)まで現役を続けた。
2003年には日米の文化交流を促進する活動団体「NPOフィギュア・フォー・クラブ」発足
2019年に88歳で亡くなっている。


もう一人はミル・マスカラス
毎試合、異なるマスクをつけるという触れ込みで「千の顔を持つ男」と呼ばれていた。
地方会場では新デザインのマスクを披露し、大都市会場で行う節目の試合では額に「M」が入ったトレードマーク・デザインのマスクを着用した。


ある時期を境にマスク2枚重ねで入場し、リングアナからコールされると、上に被っている1枚を観客席に投げ入れるパフォーマンスを始めた。

当時はプロレスショップもインターネットもなく、お金を積んでもマスクは手に入らない時代。観客は、餌を投入された養殖ハマチのように必死でマスクに手を伸ばしていた。

マスカラスは1971年に日本プロレスに初来日。
1972年からは馬場が設立した全日本に参戦した。

1974年には「日本陣営」に居たザ・デストロイヤー「覆面10番勝負」の対戦相手となる。

試合は互いにフライングクロスチョップ、足四の字固めという十八番で1本ずつ取り合った3本目、再び「四の字」が決まる。なんとか逃れたマスカラスだったが、足にダメージがあり、デストロイヤーの頭越しのジャンプに失敗。急所を頭突きされるカタチとなりレフェリーストップ。互いの名誉を傷つけず痛み分け。
心配したデストロイヤーがマスカラスのタイツの腰ひもをゆるめると、マスカラスが嫌がるというシーンが印象的だった。

その後、ジャンボ鶴田の「鶴田試練の10番勝負」にも登場。こちらは1-2ピンフォール負けできっちり片が付いた。

エースのジャイアント馬場にも対戦を要望していたが、馬場はレスリングスタイルが合わないことを理由にシングルの対戦を一度も組まなかった。人気レスラーのブランドに傷をつけたくないという配慮だったと思われる。

今般「まだ引退していないのかな検索」をしたところ「Google先生」より2つの情報がもたさされた。

2019年「ジャイアント馬場没後20年追善興行~王者の魂~アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念~さらば呪術師~」に出場。同年現役引退(79歳)

2021年11月、スポーツを通じた日本・メキシコ間の相互理解促進に寄与したとして旭日双光章を受章

文化交流ならば、デストロイヤーだって負けていないぞと「Google先生」に尋ねると、デストロイヤーも一足早い2017年秋、旭日双光章を受章していて、ほっとした。

 

世の中が便利になり「ゴング」の発売を待たなくても、プロレスの情報が入るようになった。
あとは、マスカラスの覆面を大人買いしないよう、気をつけなければならない。
「マスカラス マスク」
わっAmazonでも大量に売ってるし^^;)

プロレスの歴史

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2022年1月 5日 (水)

スポーツの力。今、君はそれを手にしている

「スポーツの力」は大きい
見るだけで元気になる。スポーツを通して日本から世界を元気にしていきたい
そう言ったのは、聖火リレーを走った直後の明しゃちょー(高田明)だった

「音楽の力は大きいよ」
それは数十年前、仕事で悩んでいた僕に友だちが言ってくれた
その言葉は、十代、二十代と音楽三昧だったのに、三十代は音楽から離れていたことを思い出させてくれた

「ドラマに依存していい」
それは「ドラマ依存症」を自責する相談者に対して村上龍が言った。エンターテインメントは、本来そういう役割があるのだと

スポーツ、音楽、ドラマ(漫画でも書籍でもいい)には力がある。
(エンターテインメントと括って言うとイメージがぼやけてしまう)

 

きちんと心の整理が付いている人を除いて、多くの人は日々、苦悩の中にいる。
そんな時、スポーツを見る、音楽を聴く、ドラマを見る。そうしたことで一時、違う世界線へ往くことができる。

世界線(world line)は「別の世界」という意味で若者に使われる物理用語で、本来は「零次元幾何を持つ点粒子の時空上の軌跡」という意味。そこから転じて、昨今は「パラレルワールド」のような意味合いで使われている。
この言葉はofficial髭男「Pretender」※の歌詞で使われており、それに若者が共感しているようだ。ちなみに広辞苑 第七版 には収録されておらず、僕も含めて高齢者はボクシングかと想ってしまう(それは世界戦)

※2019年、映画「コンフィデンスマンJP ロマンス編」主題歌として配信された。同年、紅白歌合戦初出場の際に歌唱している


五輪開催への逆風が強まっていた2021年春、明しゃちょーは敢えて「スポーツの力」を強調してくれた。
その言葉は本当に嬉しかった。勇気づけられ、五輪へ向かう後ろ盾を得た。

2022年、元旦からVELCAの試合があり、箱根駅伝があった。
応援しているチームの勝負には高揚がある。一方、直接思い入れはない人たちにも、その苦しい表情や、競技を終えた笑顔に感情を移入した。
見るとどうしても心が動く。穏やかなままじゃ居られない。
それが「スポーツの力」だ

かつて、スポーツを見るにはテレビの前に座るしかなかった。
箱根駅伝でテレビを占領すると、家族から「いつまで、これあるの」と不興を買った。
テレビでやっていない競技は現地へ行くしかなかった。愛知県安城市で行われた試合を見たければ、東海道新幹線で三河安城まで行かなければ見ることはできなかった。それが、この5年で変わった。

2016年にDAZN、バスケットLIVE、B3TVがサービスを開始。
2019年に改正放送法が成立して、インターネットとのサイマル放送(同じ番組を同時に違うメディアで放送すること)が可能になった。
(箱根駅伝のLIVE配信は2019年、実証実験から始まった)


僕らの世界に「スポーツの力」を目の当たりにする機会が増えている。
とても、ありがたいことだ。

する、見る、支える
「スポーツの力」のお世話になりたい

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2021年9月 1日 (水)

スポボラの日 宇佐美彰朗さんの経歴

当初予定の閉会式に因み、9月6日は「スポボラの日」と制定された。
スポボラとはスポーツボランティアの略。

ボランティア団体「NSVA」代表の宇佐美彰朗さんが提案。
記念日協会により制定された。

(当初予定)2020年9月6日、東京2020パラリンピック閉幕日に因んでいる。
2020年9月6日には、福島のJビレッジで後夜祭が行われる予定だった。


■時系列の記録

2018年7月
記念日制定

2018年8月
JSVN上級スポーツボランティアリーダー講習にて、宇佐美彰朗講師が記念日制定を紹介した


宇佐美彰朗【うさみ あきお】さんはスポーツボランティア育成に力を入れている 元オリンピックマラソン選手(3連続出場)


■経歴

1943年5月31日
新潟県生まれ

スポーツ歴は中学はバスケット、高校は軟式テニス
陸上を始めたのは大学からと遅い。走り方を目学問で吸収したので、他人のフォームを見て目標と現状のギャップを見極める力がついた

1964年
初マラソン 中日マラソン11位

1968年
メキシコ五輪マラソン9位

1970年
12月、福岡国際マラソン(当時の大会名称は国際マラソン選手権)優勝 この時の2時間10分37秒がベストタイム(PB)

1972年
ミュンヘン五輪マラソン12位

1976年
7月、モントリオール五輪マラソン32位
8月「走れ!走れ!」日本経済新聞社 現代のマラソン指南書の原型がここにある
「マラソンひとりぼっち」講談社

1980年
8月「ぼくとマラソン」岩波書店

1981年
5月「ザ・ジョギング」情報センター出版局

1988年
8月「マラソンランナー」朝日新聞社

1994年
9月「きみも走れる42.195km」自由国民社 児童向けのランニング指導書

1996年
11月「女子マラソン」筑摩書房

2001年
ウォーキング指導に力を入れ始める

2002年
11月「からだに効くウォーキング」山海堂

2003年
スポーツボランティア団体 NSVA設立

2004年
笹川スポーツ財団がこの年に始めたスポーツボランティア・リーダー育成事業に協力する

2008年
NSVAウォーキング指導者養成教室を始める

2009年
NSVA主催 宇佐美彰朗のランニング・クリニックを始める

2011年
クリール2011年5月号で「宇佐美彰朗のフォーム改造塾」の連載が終了した。6月号から同連載は「谷口浩美のランニングフォームセミナー」として引き継がれた

2017年1月刊行
「スポーツボランティア読本」二宮雅也著 に「スポーツボランティアの夢」を寄稿

 

2020年9月6日
パラリンピック閉会式予定日だったこの日、NSVAでは講習会を開催

2021年9月6日(月)
今年の「スポボラの日」は東京2020パラリンピック閉会の翌日に当たる

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2021年8月31日 (火)

「とっきょう」ロゲ会長の訃報に接し、初心に返る

パラリンピックが佳境を迎えている8月30日、ロゲ会長の訃報が伝えられた。
東京2020はロゲ会長の「とっきょう」から始まった。


■第32回夏季五輪、東京2020の時系列の記録

2013年9月7日(日本時間8日5時)
IOC総会でロゲ会長が「とっきょう」と開催地を発表

2015年6月25日
東京オリンピック・パラリンピック大臣任命

2015年7月17日
安倍晋三首相が国立競技場の建設計画について見直しを発表

2015年9月1日
ベルギーのリエージュ劇場のロゴに似ていると指摘されていたエンブレムの使用中止を発表

2015年10月1日
スポーツ庁創設 初代長官は鈴木大地

2015年12月22日
再度コンペが行われていた新国立競技場建設プランが、森に囲まれたA案に決まる

2016年4月25日
再度の公募により東京五輪2020エンブレムが組市松紋に決定

2016年8月4日
IOC総会で「野球・ソフトボール」「空手」「サーフィン」「スケートボード」「スポーツクライミング」の5競技18種目を東京五輪で行うことが決定

2018年4月
2020年に限り「海の日」「山の日」「体育の日」を五輪開催期間へ移動させる方針が固まる

2018年9月
「大会ボランティア」公募開始

2019年初旬
チケット発売開始

2020年3月24日
新型コロナウイルス感染症の影響で延期発表

(ここから、延期された当初予定)
2020年7月24日(金)~2020年8月9日<日>
東京五輪2020開催

2020年8月25日~9月6日
パラリンピック開催
(ここまで)

2021年7月23日~8月8日
東京五輪2020開催

2021年8月24日~9月5日
東京パラリンピック2020開催


当初予定の閉会式に因み9月6日は「スポボラの日」と制定された。

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2021年8月24日 (火)

きょうパラリンピック開会 今度こそ、ブルーインパルスを見たい!

2021年8月20日
日本の47都道府県で採火された聖火は東京に集められた。
そしてこの日、パラリンピック発祥の地、英国のストーク・マンデビルで採火された火が赤坂迎賓館で加えられた。

8月21日~24日
東京都で聖火リレー


世界で初めて「パラリンピック」として2度めの開催を迎えることを誇りに思う。

■挨拶スピーカー
東京オリパラ組織委員会の橋下聖子会長
日本政府から菅義偉首相
開催都市東京都から小池百合子知事
IPCアンドリュー・パーソンズ会長

「人類の15%を占める障がい者 12億人が受け入れられて初めて、彼らは光となることができる」
(パーソンズ会長)


IPCは International Paralympic Committee
国際パラリンピック委員会
(五輪はIOC)

各国のパラリンピック委員会は NPC
National Paralympic Committee
(五輪はNOC)

日本のNPCはJPC。
国のパラリンピック組織委を指すとき「NPC」という。
国のパラリンピック選手団を指すときも「NPC」という。


【 時系列の記録 】

1894年6月23日
IOC設立

1989年9月22日
IPC設立

1999年8月20日
JPCが厚生省の認可を受け発足
JPC発足後は、初めてのパラリンピック自国開催


パラリンピックに出場するためには、IPCに加盟している必要がある。
前橋で1年9か月にわたって合宿していた南スーダンのクティヤン・マイケル選手は、IPC加盟が叶わず出場できなくなった。

また、アフガニスタン選手団は空港封鎖のため、出国手段がなくなり参加を断念した。

開会式前日時点で、参加を予定しているのは158または159の国と地域。
当初は「およそ170の国と地域」を見込んでいたが、2012年ロンドン五輪の「164の国と地域」に届かず、史上最多とはならなかった。


8月24日(火)
14時~14時15分頃
北区、港区、足立区、葛飾区を巡るルートで航空自衛隊アクロバットチーム「ブルーインパルス」が展示飛行

20時~23時
オリスタで開会式

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2021年8月20日 (金)

Tokyo 2020 Summer Paralympic Games いよいよ開幕

東京2020パラリンピック
Tokyo 2020 Summer Paralympic Games
は2021年8月24日(火)に開幕する


東京でパラリンピックの開催は2度めだが「パラリンピック」として行われるのは初めてとなる。

※1964年東京五輪で「パラリンピック」という言葉が登場したが、正式名称ではなかった。
「パラリンピック」が正式名称になったのは1985年
夏の大会では、同一都市2度目の開催は初めて


東京五輪2020は「205の国と地域」が参加した。
パラリンピックは「170の国と地域」が参加予定。
直前になって、空港が封鎖され渡航手段のなくなったアフガニスタン選手団が参加できなくなった。


■東京2020パラリンピック時系列の記録

2013年9月7日(日本時間8日5時)
IOC総会でロゲ会長が「とっきょう」と開催地を発表

2016年4月25日
大会エンブレムが野老朝雄氏が制作した「組市松紋」に決定

2018年7月22日
大会マスコットの名前が投票により「ソメイティ」に決まる
(五輪はミライトワ)

2020年3月24日
1年延期が決まる

2021年8月12日~16日
47都道府県で採火式

2021年8月17日
選手村(Paralympic Village)開村

8月17日~20日
各地で採火した聖火リレー

8月19日(木)
イギリスのストーク・マンデビルで採火

8月20日(金)
各地でつながれた火を集め、ストーク・マンデビルで採火した火を加えて東京で集火式

8月21日~24日
東京都内で聖火リレー

8月24日(火)
開会式

9月5日(日)
閉会式

9月8日(水)
選手村(Paralympic Village)閉村

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2021年8月19日 (木)

パラリンピックの歴史とオットーボック

2021年8月19日
英国のストーク・マンデビルで東京2020Paralympic Gamesの採火式が行われる


1948年
英国のストーク・マンデビル病院でルートヴィヒ・グットマンがアーチェリー大会を開催したのが、現代パラリンピックの始まり

1960年
ローマ五輪後、ローマで「国際ストーク・マンデビル大会」開催 車いす使用者400人(23カ国)が参加

その後、この大会が第1回パラリンピックと位置づけられている


1964年
東京五輪後 東京で第2回開催
車いす使用者以外のその他の障がい者も参加
この大会で初めて「パラリンピック」という愛称が使われた

1985年
パラリンピックが正式名称となった

1988年
ソウル五輪 五輪組織委員会がパラリンピック運営を始めた
これ以降五輪と同一開催地で行われている


この大会からドイツの医療福祉機器メーカー ottobockが無償の修理サービスを開始した。

ottobockは日本表記「オットーボック」
海外のパラアスリート達は「オットボック」と発音する
1919年ベルリンで創業した。


2000年
五輪開催地は五輪後にパラリンピックを行うことが規定された
シドニー五輪で優勝したスペインのバスケットボールチームに健常者がいたことがわかり、2004年アテネ五輪から知的障がい者が参加できなくなった

2012年
ロンドン五輪2012 再び知的障がい者が参加するようになった

2016年
走り幅跳びで健常者と同レベルの記録を持つマルクス・レームはリオ五輪への出場を自ら断念し、パラリンピックに参加

ottobockの修理センターには22カ国から92名の技術者が参加


2021年
東京で2度目のパラリンピック開催

8月15日、オットボックが選手村にottobock Repair Service Centerを開設した。
車椅子、義肢、装具等の修理・メンテナンスを無償でおこなう。他社メーカーの製品も対応する。
23カ国・地域の義肢装具士や技術者など、およそ100人でサービスに当たる。
今回は2,000件の修理サービスを想定する。

これだけの準備をして費用をかけながら、サービスが「無償」であり「他社製品にも対応する」というところに多いに胸を打たれる。

「支えるスポーツ」の一員として最大限の敬意を表したいし、できることはなんでもしたい。

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2021年8月18日 (水)

パラリンピックのスリーアギトス 東京五輪2020の組市松紋

東京五輪2020が終わった。
それでも、僕にはまだ終わったという感覚が無い。
それは今、パラリンピックに向けた準備をしているからだ。


パラリンピック(Paralympic)は障がい者が出場する「もう一つのオリンピック」
夏季、冬季ともに五輪と同一開催地で、五輪閉幕後に開幕する。


「パラリンピック」という言葉が作られたのは1960年。
パラプレジア(下半身麻痺)とオリンピックを合わせた造語だった。

1964年からは意味づけが変わり、パラレル(平行)とオリンピックを合わせた造語となっている。

 

パラリンピックのシンボルマークは赤、青、緑の炎を組み合わせたマークで「スリーアギトス(Three Agitos)」という。
「アギトス」はラテン語で「私は動く」

3つの炎は「ボディ」「マインド」「スピリット」を表す。
(「三日月を組み合わせた」と説明している文献もある)

赤、青、緑の三色は各国の国旗に最も多く使われている色として選ばれている。オリンピックの五輪マークの色も各国の国旗に多く使われている色ということで選ばれている。


■パラリンピック シンボルマークの歴史

1988年
初めて「パラリンピック」の名称で行われたソウル大会で、初めてシンボルマークが使われた
当時は五輪カラーの5つの勾玉だった

1994年
リレハンメル大会から「3つの勾玉」に変更された

2004年
アテネ大会の閉会式で「スリーアギトス」が発表された
それ以来、スリーアギトスが使われている

 

東京五輪2020のエンブレムは紆余曲折を経て現在の「組市松紋」に決まった。

■東京五輪2020エンブレム決定の経緯

2015年9月1日
当初発表されたものが、ベルギー・リエージュ劇場のロゴに似ているとして使用中止を決定

2015年12月7日
仕切り直しでエンブレムを公募
締切時点で 14,599作品の応募があった

2015年12月22日
年明けの審査に進む64作品に絞る

2016年1月7日~9日
採用候補作品を4点に絞る

2016年4月25日
オリパラ共に野老朝雄氏が制作した「組市松紋」に決定

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2021年8月 8日 (日)

「開催か中止か」から「延期か中止か」へ

2020年3月13日、IOCバッハ会長が「違うシナリオを検討している」と言ってしまったことで、世の中は「我が意を得たり」と五輪バッシング一色となる。


2020年3月20日
米国水泳連盟、英国陸上競技連盟、ノルウェー五輪委員会などが「延期すべき」という声明

3月22日
IOC臨時理事会(board meeting)後、発表
「IOC大会の延期を含めた具体的な検討を組織委員会などとともに始め4週間以内に結論を出す」

この発表を境に「開催か中止か」という論点は「延期か中止か」に変わった。

同日
世界陸連セバスチャン・コー会長
「開催の判断が数日か数週間以内に行われる可能性がある」
※ロイター通信取材

3月23日
安倍総理大臣が参議院予算委員会で答弁
「仮に完全な形での実施が困難な場合には延期の判断も行わざるをえない」

この日、大会組織委員会が2020年3月にスタートする予定だった、トーチを使った聖火リレーを行わない方針を決めたことがわかる。


そして、迎えた2020年3月24日
20時、安倍総理とIOCバッハ会長が電話会談

21:10、安部総理会見
「中止はないことを確認した。1年程度の延期を提案し、バッハ会長から100%同意するという答えをいただいた。遅くとも2021年夏までに開催すると合意した」

その後、小池百合子都知事 ぶら下がり会見
「名称は東京2020のままでいくという話しがあった。2020年内の開催はない。2021年の夏にという話し」

23:30、IOC理事会が電話会談で延期に合意

「中止だけは勘弁して欲しい」
と思っていた、アスリート、大会関係者にとって、安堵感が漂った。


3月25日
聖火リレーのルートと聖火ランナーは維持されると発表

3月26日
販売済みチケットは、日程以外はそのまま維持されると発表

3月26日
大会スポーツボランティア「Field Cast」について、決定済み役割・会場の維持を告知

3月30日
曜日のずれ1日を修整しただけの延期日程が発表された。


スポーツボランティアの僕らには「1年待てば五輪に参加できる」という安堵があった。
一方、受験、就活、様々な理由で参加できなくなった人たちもいた。
一年の延期により、出場を諦めたアスリートもいる。

「ここに来られなかった人たちを思う」
今こうして、五輪が開催されて、一定の満足感を得た者の1人として、その視点を忘れてはいけないと思う。

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2021年8月 7日 (土)

2020年3月からの辛く長い、1年4か月の憂鬱

2020年2月25日
IOCディック・パウンド委員が非公式として発言
「新型コロナウイルスの感染終息のデッドラインは5月24日前後。事態が収束できていない場合は中止を検討するだろう」
※AP通信

日本では世間の動向を探るために非公式な場でおこなう発言を「アドバルーン発言」と言ったり「観測気球をあげる」という。
ただ、この非公式発言は、観測気球というよりは、下地づくりのように思われてイヤな予感が漂った。


2020年3月3日
IOC理事会が公式声明
「オリンピック2020東京大会を7月24日から8月9日に開催し、成功させるために全力を尽くす」
「2月中旬からIOCや日本政府、東京都、WHOなどと「合同作業部会」を開いている」


2020年3月11日
高橋治之 組織委理事(元電通専務)非公式発言
「今夏に開催できない場合は1~2年後の夏に延期するプランを考えるべき」
※ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)


大手広告代理店とパイプをもつ理事の発言は、あたかも「本当はもう決まっている」という空気を醸し出した。

非公式発言で否定的な見解を出し、公式発言がそれを打ち消す、その応酬がつづいたあと、いよいよ、公式発言も五輪開催に及び腰なトーンに変わっていく。


2020年3月13日
IOCバッハ会長 取材応対
「開催判断についてはWHOの助言に従う」
※ドイツ公共放送ARD

2020年3月16日
G7首脳がネット会議「五輪は完全なカタチで開催」を確認

2020年3月19日
IOCバッハ会長 取材対応
「もちろん違うシナリオは検討している」
※ニューヨーク・タイムズインタビュー

このIOCバッハ会長の発言を機に、翌日以降「延期」を求める発言が相次いだ。
いわゆる「乗っかり」行為だ。ある程度、形勢がはっきりした途端、それまで様子をみていた人が一斉に「僕もそう思っていた」と持論を論う。
しかし、その言葉の内容は立派な言い回しの割りに、いつも中身が空っぽだ。

これは、コロナ禍以降、世の中に跋扈する「DX人」に於いて顕著だ。
実務の経験がないのに「DX」という人々が逃れられない勢力を我が物顔で背負って、幼気な人々を恫喝する。


2020年3月13日、この日から実際に五輪が始まるまでの1年4か月。
五輪を「する」「みる」「支える」人たちにとって「五輪をディスりたい人々」から一方的に言われっぱなしの日々が始まった。

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