2023年11月11日 (土)

街は驚きに溢れている

渋谷にバスケットの応援に行く
最寄り駅までの徒歩時間を逆算して決めた「出発」時間まで30分を残してやることがなくなったので早めに出ることにした。
早めに着いたらどこかで文庫でも読もう。

予定していたダイヤより3つ早い電車に乗り込み、リュックを膝に置いて着席。目力を温存するため目を閉じて過ごす。
いくつめかの駅に着いた時「ごとっ」と大きな音がした。その音に聞きおぼえがあった。
人が倒れ、固い床で頭を打った時の音だ。

きゃーと悲鳴が上がる。周りにいた人が群がっている
「ボタン押して」
「救急車だ」
強い言葉が飛び交う。こういう時、声の主は自分で何もせず誰かに指示を出してプレゼンスを示す。
壁際にいた青年が緊急停止ボタンを押す。電車はドアが開いたまま動きを止めている。

スマホをかざして撮影しているような不遜な人は見当たらない。

座っている場合じゃないな
立ち上がり人垣の後ろに立つと、女性が「お名前言えますか」と声をかけている。
すぐ手を出すことなく、まず状態を確かめる。正しい手順だ。
そこで膠着するようならば、普通救命の手順に沿って参加しよう。
そう考えていると事態は意外な展開をみせた。

倒れていたおじさんが夢遊病者のように「すっく」と立ち上がった
クラブ古城はいいところだね」といった第一声はなく「大丈夫ですか」といった周囲の呼びかけにも応じない

「無理をしないほうがいいですよ」
周りから声がかかる。でも、彼はなんだかとても怒っているようだ。
誰の問いかけにも応えず、そのままスタスタと開いているドアからホームに降りて改札へ続く人混みに消えてしまった。

周りの皆さんは目が点になっている・o・;)
僕と数人がホームに降りてその後ろ姿を見送る。

電車は止まったまま。この路線はワンマン運転なのですぐに車掌が来ることはない。
運転席の安全対策を終え運転手がようやくホームに降り立つと、その後ろから駅員が1人ついてきた。

現場に戻り、おじさんが倒れていた場所に落し物がないかを確認。
できるだけ早くコトが済むよう僕らはホームを歩いて2人を迎撃。
今起きたこと、立ち去ったおじさんの特徴について話す。
駅員がそれを聞き取って、おじさんの後を追う。
運転士は運転席に戻っていく。

他の車両に乗っている人たちは何が起きたか分からず、電車が遅れることに苛立ちを感じているだろう。
僕は近くのドアから電車に戻る。座席はどこも空いてなくて、リュックを前にかるい直して目的の駅までずっと車窓に流れる景色を見ていた。


青山学院への最寄り出口は宮益坂方面出口だが、心はハチ公口を目指していた。見ておきたいものがあったからだ。

ハチ公口に降りる階段は利用者数に対して幅が狭い。ホームの端に位置するため拡幅できないのだろう。
中心を仕切る手すりの向こうは本来「上り」レーンだが、そこも「下り」の人で埋まっている。
恐怖感を覚える。将棋倒しが起きたら大けがになる。
後ろから押された時に備え、中央の手すり沿いのレーンを見つけ、女子高校生の後に続く。
彼女は一心不乱にスマホに文字入力している。
階段恐怖症」の僕からすると、下りは足を踏み外さないで歩くのがやっとであり、そこでスマホが打てる能力が信じられない。


高い緊張感で半分ほど下った時だ。

スマホに高速打ち込みしていた女子高校生が階段を踏み外した。
彼女はなんとか転倒を免れたが、その拍子にスマホが宙を舞い、手すりの向こうへ
すると「上り」レーンを下っていた青年、それに好反応してキャッチを試みる
スマホがこの高さから固い地面に落ちれば、どんな損害が生じるか誰もが知っている

掴んだ!
かと思ったら手に着かずファンブル
やばっ
女子高生と僕は固唾を呑む
青年はそれでも諦めない
2度ファンブルした後、執念の拝み取り!
みごとにキャッチして女子高生に渡す
「ナイスキャッチ」
僕は思わず声をかける
女子高生はニコリともせず、受け取ったスマホに続きを打ち始めた・・・


飼主の死後10年にわたり渋谷駅で飼主の帰りを待ったという「忠犬ハチ公」のエピソードに感銘した外国人観光客がハチ公像の前で記念撮影の行列を作っている

数日前、テレビで言っていた。
観光地でカメラを首から提げ、行列を作るのは日本人の十八番だったのに、今や外国人が行列しているというのが興味深くて、様子を見に来た。

本当に並んでいた
遠くにハチ公が見える
並んでいるのは外国人ばかり。皆、とても嬉しそうだ
外国人だけなのに「行列」というルールが成立しているのは、とても美しいエピソードだ。整列という概念がない人々は見当たらなかった。


かつて寺山修司は「若者よ書を捨てよ街に出よ」と言った。
街は驚きに溢れている。
現代に置き換えた時「書」に当たるのはスマホ。若者がスマホを捨てるのは難しいが、せめて歩く時はポケットに入れた方がいいかも知れない。

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2023年10月15日 (日)

47全都道府県制覇まであと「1」 鳥取のモノコト・交通に纏わる記録

人はあるテーマについて好奇心が高まると、情報収集のアンテナが立ち、そのテーマについての情報が飛び込んでくるようになる。

初めて子どもができた夫婦が町を歩くと「町はこんなに妊婦で溢れていたのか」と思う。
一生に1度は富士山に上りたいと思うと、登山用品や登山番組が目に飛び込んでくる。

いま、僕に「鳥取県」が飛び込んできている。
図書館の棚からは「鳥取」の文字が飛び込んでくるし、テレビを付けていると「鳥取」の特集番組が始まりワンタッチ録画を押す。

47全都道府県制覇!は2000年に「しらべる」を始めた時のテーマだった。
その時点で未踏圏は「山形」「福島」「鳥取」「香川」「高知」「徳島」
「高速1000円の旅」「とくしまマラソン」で四国3県を訪れ、残り3県となったのが2013年。
それから10年遅々として進んでいなかったが、今年サッカー応援で「福島」「山形」を訪れることができて、いよいよ残すは「鳥取」だけになった。


東京からみて鳥取は遠い。
何処かを訪れたついでに寄れるルートでもない。
そこにいく目的 「買いたい・食べたい」「見たい」「したい」といったモノ・コトが必要だ。


僕にとって単独で旅が成立するコトは「スポーツ」
J.LEAGUEチームはJ3の「ガイナーレ鳥取」がある。
10月13日現在、J3では6位につけている。
残り8試合で自動昇格圏の2位と「7」差は、ぎりぎり逆転昇格の可能性を残している。
B.LEAGUEに所属しているバスケットボールチームはまだない。

マラソン(42.195km)大会は「鳥取マラソン」が圏内唯一の大会
2008年に第1回開催。
3月中旬開催、制限時間6時間というのは準備がしやすい。
コロナ禍により2020年から「オンライン開催」が続いたが、2024年は5年ぶりに通常開催が発表された。


しらべるを始めてからいつも心に「鳥取」のアンテナがあった。
ここで、それを時系列でまとめておきたい。

■鳥取県の歴史
1896年
白兎神社(はくとじんじゃ)の社殿が再建された
1871年7月14日
廃藩置県により鳥取藩が鳥取県となる
1876年8月21日
鳥取県が島根県へ併合される
1881年9月12日
島根県から鳥取県が分離・独立
1989年10月1日
市政・町政施行 1市4町233村となる
1943年9月10日
鳥取大地震(震源地鳥取市で震度6)


ここからは訪問を念頭に置いた
■モノコト・交通に纏わる記録

1960年
産地別ブランド化により、山陰地方で水揚げされるズワイガニが「松葉ガニ」、福井県で水揚げされるズワイガニが「越前ガニ」と命名された
1967年3月1日
鳥取空港 開港
1977年
東郷池の北岸下から長瀬高浜遺跡が出土
1987年
若桜鉄道(第三セクター)開業
1989年
境港市が「水木しげるロード」の整備を始めた
1994年6月18日
「週刊少年サンデー」1994年7月5日号に「名探偵コナン 消えた少年」第1回掲載
2004年
江島大橋開通
境港(鳥取県境港市)と中海の江島(島根県松江市)を結ぶ全長1,446mの橋。 鳥取側からの登りは「ベタ踏み坂」と呼ばれ 「天に向かって伸びる急勾配」の写真がSNSでよく投稿される
2006年3月18日
寝台特急「出雲」がダイヤ改正で廃止された
2008年3月16日
鳥取県内唯一の市民マラソン「鳥取マラソン」が始まる
2012年4月14日
「鳥取砂丘砂の美術館」開館
2013年3月23日
「中国縦貫自動車道」作用JCTと「鳥取自動車道」の鳥取区間が全線開通 鳥取自動車道は無料
2013年
鳥取カレーの認証制度が始まる
2016年
ispaceが 鳥取砂丘で月探査車の走行実験を始める。これを契機に鳥取県が鳥取砂丘月面化プロジェクトを始める
2017年3月1日
鳥取空港の愛称が「鳥取砂丘コナン空港」となった
2020年9月11日
「WEST EXPRESS 銀河」の山陰ルートが「京都・大阪~出雲市」間で運行開始。鳥取県内は「生山」「米子」に停車

できるだけ早い時期に、たった1つ、僕だけの道筋を見つけたい。

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2023年10月 2日 (月)

親切でフレンドリーな水戸の皆さん

「2017年に来た時、エクセルに雑貨店があったんですが、今も何処かにありますか?」
エクセルみなみの案内所で尋ねると、親切なお姉さんが教えてくれた。
「エクセル本館4階に無印良品とか、あと女性モノですけど・・雑貨店があります」

確かにエクセル本館は6年前とは変わっていた
単刀直入に言えば、垢抜けている。お店もずいぶんと入れ替わったのだろう。
「2年で5割が閉める」と言われる飲食店業界ほどではなくとも、お店が6年続いている可能性は低いか・・ そう想ってエクセル4Fに上がる。
無印じゃないよな・・ と想った時、その前にある店に、見覚えのあるガラスショウケースがあった。
店内が明るくなっているが、それは、フロアの照度が上がったのだろう。
しらべると、水戸駅の「エクセル本館」「エクセルみなみ」は、2023年7月22日にリニューアルオープンしたばかりだった。


今もまだそこに居るのではと想っていた鳩は、そこには居なかった。
「すみません。2017年に、ここでこのオブジェを買ったのですが・・」
そう言って、スマホで撮ってきた写真を店員さんに見せる。
「今はこういうものは置いていないですね」と店員さん。

7年越しのお迎えは成らなかった
それでも、お店が続いていたことは嬉しかった


旧友からの勧めにより、2023年からは何処かに出かけた時は、その地を守る神社に参ることにしている。
今回「旅の神社」は、権現さんの愛称で親しまれる水戸東照宮。

祭神:徳川家康公
御朱印:境内の授与所で頒布
施設:境内北側にある宝物館に宝物・文化財が展示されている
住所:茨城県水戸市宮町2-5-13

【水戸東照宮の歴史】
1621年
水戸初代藩主徳川頼房が父徳川家康公の御霊を祀り創建
1945年8月2日
太平洋戦争 米軍の空襲で焼失
1962年
社殿・境内再建整備完了
2021年
四百年祭


水戸駅北口ペデストリアンデッキにある「水戸黄門像」でお約束の撮影をすると、スケジュールに書いておいた住所をタップしてマップアプリを起動。そこからは徒歩5分。
「外出は控える」とNHKの画面に常時表示される夏。そのせいか、この夏は何処の町に行っても人通りが少ない。

一の鳥居をくぐり階段を上って二の鳥居、その先の本殿の背景には高層マンション。あまり見たことがない構図にちょっと驚いた。
水戸東照宮の境内に人影はまばら・・ではなく、僕しかいなかった。


権現さんにこの地を守ってくださっているお礼を述べると、水戸駅に戻り、ケーズデンキスタジアム水戸に向かう北口④バス乗り場へ。
バスを待つ間は、茨城交通バスの職員さんからサッカーとバスケの噺を聞く。
水戸はJ2リーグの水戸ホーリーホック、B1リーグの茨城ロボッツの本拠地。
バスケットの日のほうが、お客さんが多いと聞き、やはり「1」と「2」の違いは大きいと想う。

バスケでは我々も今年から「1」となり、茨城ロボッツ - 長崎ヴェルカの対戦は「関東アウェイ戦」なのだが、残念ながら会場は水戸ではなく日立。
2023-24シーズン 茨城ロボッツは アダストリアみとアリーナ(水戸市)で30試合、池の川さくらアリーナ(日立市)で2試合、かみす防災アリーナ(神栖市)で2試合を開催。長崎ヴェルカの試合は池の川さくらアリーナで行われる。

フレンドリーな茨城交通バスの方のお陰で待ち時間はあっという間に過ぎた。

target=non>水戸 - V・ファーレン長崎戦の話し

試合が終わると、新里選手の挨拶を待たずに水戸駅へ急ぐ。
お目当てである「豚べん」「牛べん」の確保のためだ。
事前のしらべでは改札ヨコと改札内2か所の「NewDays」に売られているらしい。
改札ヨコのお店によると、ここにはないと言うので「それじゃ改札内の店に行ってみます」と言って店を出る。
改札にPASMOをタッチしようとした時、店員さんが追いかけてきた。
「さっき確認したのですが、改札内の店は完売でした」
改札に入る前に、他の選択肢が採れるよう教えに来てくれたのだ。

僕はその気遣いだけでご飯三杯いった気分になり、幸せな気持ちで水戸を後にした。

「えきねっと」アプリで予約していた2便前の特急指定席に手数料なしで変更することができたことを、付け加えておきたい。
JR東日本さん、ありがとうございます。

東京から北東の吉方旅行 水戸三泊の旅(旅日記もくじ)

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2023年10月 1日 (日)

7年越し、水戸駅に鳩のオブジェを迎えに行く

コロナ禍が開けて初めてのお盆休みが始まろうとしていた日、三泊四日の吉方旅行で訪れて以来8年ぶりに水戸駅に降り立った。

11:55
品川駅の9番線に入線したひたち8号からは家族連れがたくさん降りてきたが、お盆のラッシュとは逆方向であり、それもすぐに途絶えた。

12:15
ときわ61号定刻発車
ワゴン販売がないことは事前にわかっていたので、ホームの自販機で缶コーヒーを確保してきた。
タリーズのキリマンジャロブレンドが意外に美味くて、一気飲みしそうになる。

特急ときわ・ひたちは、全席肘掛け前端にコンセントが装備されている。
車内ではJR東日本のフリーWi-Fiも飛んでいる。
情報セキュリティの仕事をしていた頃は(社則で禁止なので)口をすっぱくして「フリーWi-Fiは危ない」と言っていたが、もうそれは過去の話。今はギガの節約が優先だ。

今回もえきねっとで進行方向窓側のA席を予約。
頭上を見上げると、A席が緑、B席に赤ランプ。
つまり、当面の間、となりは空席ということがわかる。
お盆の里帰りで混み合うかと想っていたが、乗車率は75%ほど。


えきねっとのチケットレスサービスを利用しているので、運賃はスマホinのPASMO支払、特急券はデータ上も存在しない。

「指定席券、特急券をお持ちでない方は、空いている席にお座りください」
このアナウンスを聴く度に、疑問に思っている。
特急料金を払わずに乗車することを容認しているとは思えないが、実際にそういう人はいないのだろうかと。
検札はとうに廃止されている。
車掌さんが時折、頭上のランプに目をやりながら足早に歩いて行くことはあるが、巡回自体がないほうが多い。

13:44
ときわ61号 水戸定刻到着
改札内の「NewDays」に「豚べん」「牛べん」が売られていることを確認。これが帰路の楽しみだ。
改札を出ると「歓迎V・ファーレン長崎サポーターの皆さま」の文字が目に飛び込んできた。

水戸駅の方による手作りのボードに心温まって、コンコースを歩いていると地元男性に声をかけられた。
「今日はお手柔らかにお願いします」
ユニフォームを着て歩くと、こういう嬉しい出来事が起きる。
「もうウチ(水戸ホーリーホック)は尻に火がついていて。長崎さんは強いから・・・ それ、きれいなユニフォームですね」

互いに必死なのだ。それぞれのサポーターが、それぞれの不安と希望を併せ持って試合を迎えている。それは、サッカーを愛する仲間の幸せな共通点。
「うちも必死です。台風の影響がなくてよかったですね」
ユニフォームを褒めてもらえて、ちょっと誇らしかった。

男性が「尻に火が付いている」と言ったのは降格圏のことで【30節】時点で21位の徳島から+4点だった。その後、水戸は負け無しを続け【35節】時点ではプレーオフ圏まで-9点に迫っている。

水戸のサポーターさんと健闘を誓い合うと、続いてエクセルみなみで「水戸の梅」を確保。
銘菓「水戸の梅」は、2017年の水戸旅行で買って気に入り、今回はこれ一択。そして、ここからが旅の本題。
水戸駅には「鳩」を迎えにきた。

サッカー応援で水戸に来るようになってから、水戸戦はすべて「有志バスツアー」スタジアム直行だったため、水戸駅に降り立つのは6年ぶり。

前回、旅の終わりににエクセルの雑貨店で見つけた「鳩」
ガラスショウケースの一番下の段に、誰にも見つからぬようになのか、誰も買わないからそこに追いやられたのか、ひっそりと"二個"並んでいた。

あれから6年、その日の「鳩」は平和を想起させてくれるオブジェとして、あちこちと置き場所を変えながらも、いつも目に届く場所に置いた。
1個の木材から削り出した高い技術、これ以上のデフォルメはできないほどシンプルな造形。ありきたりの言い方でいえば「飽きの来ないデザイン」の鳩。
その愛着が増すにつれて、僕にはひとつの後悔が膨らんでいた。
「あの時"二羽"とも買えばよかった」
そして、それは「いつか、あの店に行ったら、もう1羽を買おう」に変わった。

昨今は、マスコット・キャラクター商品を買うことを「お迎えする」という。
思い入れが伝わってくる言い回しであり、他人がそれを言うことに違和感はない。
ただ、無生物を擬人化して書くのは、フィクションの舞台以外では躊躇する。
それでも、心の中では「もう一羽をお迎えしたい」と考えていた。


すぐ側に無人のカウンターがあったので、場所を借りて「水戸の梅」をリュックに詰め込んでいると、主のお姉さんが戻ってきた。案内カウンターだったのか・・
すみません、すぐどけます・・
と言いつつ、せっかくなので「鳩」の情報収集を試みた。

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2023年9月30日 (土)

N700Sに乗って最後のワゴン販売でカチコチアイスを買う旅

東海道新幹線のワゴン販売終了まで、あと1ヶ月

いつものように夜の楽しみ「WBS」を見ていると、JR東海パッセンジャーズが東海道新幹線の車内販売を2023年10月いっぱいで終了するというニュースが流れた。
大江麻理子キャスターは「いつもワゴン販売が来るまで寝るのを我慢している」とワゴンファンであることを話した。
大江さんには「アド街」でダジャレを連発していた頃から親しみを持っているが、この発言でさらに親しみが増した。できれば月曜~金曜まで担当してほしい。


このニュースを聞いた僕に大いなる戸惑いが生じた。
新幹線といえば「ワゴン販売」買うのはホットコーヒーとアイス
コーヒーは缶入りの既製品ではなく、ドリップしてポットに入れたもの。
アイスはめいらくグループの名古屋製酪が製造する通称「カチコチアイス」だ。

JR東海パッセンジャーズによると、2023年8月現在は、以下の3種を販売している。
スジャータアイスクリーム(バニラ)¥340
スジャータアイスクリーム(ベルギーチョコレート)¥400
スジャータアイスクリーム(ずんだ)¥400


ワゴン販売が終わってしまう前に、もう1度、アイスとコーヒーを買いたい
そういえばまだN700Sにも乗っていない
そうだ、新幹線、乗ろう
ということで早速プランを考えた。


【1】基本的なプラン

【往路】
始発駅「東京」から7号車に乗車する
A車ワゴン」が来る
アイス・珈琲を買う
速攻で飲んで食べる
次の駅で降りる(交通費を節約するため)

【復路】
下車駅から折り返して「上り」に乗車
7号車に乗車する
戻ってくる「A車ワゴン」を待ち受ける
アイス・珈琲を買う
終点「東京」で降りる


◆なぜ7号車に乗るのか?
車内販売の準備室は7号車にある。
7号車から1号車を往復する「A車ワゴン」の場合、7号車→1号車に向かい巡回する。7号車から遠くなるほど、巡回の時間は遅くなり、長い距離を乗車する必要が生じる。


【2】現状をしらべる

■ひかり、こだまの車内販売は終了していた
「のぞみ」の一部列車、「みずほ」「さくら」「ひかり」「こだま」では車内販売はございませんので、ご注意ください。(JRお出かけネットより)
ヘタをするとのぞみでも"一部の列車"にはまるとワゴンが来ない。

■のぞみ7号車は指定席
「のぞみ」の自由席は1~3号車です(JRお出かけネットより)
従って、準備室がある7号車は指定席

■東京発「のぞみ」の停車駅
品川→新横浜→名古屋
"1時間に1本、静岡に停まる"ようなダイヤはない


【2】の現状に照らして【1】のプランを検証すると・・

情報収集
・「N700S」の「のぞみ」運行便を確認(事前にわかる)
・乗車前「ワゴン販売」の有無を確認(ホームで確認?)
・乗車予定ダイヤに「ワゴン販売」がない場合、ダイヤ変更

【往路】
始発駅「東京」から7号車指定席に乗車する
「A車ワゴン」が来る
アイス・珈琲を買う
速攻で飲んで食べる
「新横浜」で降りる(交通費を節約するため)

ただし、新横浜までにワゴン販売が来なかった場合「名古屋」まで乗ることになる。
テーブルを出してアイスを置き、ほどよく溶けるまでコーヒーを飲んで待つ。
それには、10分程度は必要だ。
コーヒーとアイスの旅情を味わうという目的が損なわれては本末転倒。
「新横浜」下車は現実的ではない。
そうなると「名古屋」に行く用事(必然性)が必要だ。


【復路】
「新横浜」から折り返し「上り」に乗車
・「N700S」の「のぞみ」運行便を確認(事前にわかる)
・乗車前「ワゴン販売」の有無を確認(ホームで確認?)
7号車指定席に乗車する
戻ってくる「A車ワゴン」を待ち受ける
アイス・珈琲を買う
速攻で飲んで食べる
終点「東京」で降りる


残された時間はあと「1ヶ月」
まだ、本当にやるかどうかは決心していない。
カチコチアイスは駅の自販機でも買えるし「ワゴン再体験」のためだけに、そこまでするかと僕は想う。
もう1人の自分は「今しかできないコトは、後からできないぞ」と言っている

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100系 300系 500系 700系 レールスター N700系に一日ですべて乗る品川-博多の旅

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2023年9月 2日 (土)

「なせば成る」をテーマに母と話してみたかった

初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅

「なせば成る成さねば成らぬ何事も成らぬは人の成さぬ成りけり」
は上杉鷹山が家臣に言い聞かせたことば。
上杉鷹山は自らがまず模範を見せる「して見せて、言ってきかせて、させてみる」人材育成を行った。
昭和の軍人山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は上杉鷹山に学んだもの。

母がよく「なせばなる」と僕に言って聞かせた。
僕がなにかにつけて「無理」って言う度に。
「なせばなる」を言われると、子どもの僕は「またか」と想っていたが、もう話すことができない今となって、その言葉は宝物のように感じる。母がこの言葉を何から(誰から)学んだのか、今となっては聞くことができない。

12:08
松岬神社には授与所などの施設はなく、つづいて隣接する上杉神社へ。
上杉神社は戦国武将最強と言われた上杉謙信を祀る神社。
「稽照殿」には上杉謙信の遺品などを展示している。
上杉鷹山「なせばなる守」は上杉神社の授与所で授与される。
子どもの頃「なせばなる」を共に言い聞かされた姉の分も合わせていただいた。

□上杉神社の歴史

1578年3月13日
上杉謙信が49歳で逝去
1876年
米沢城の本丸跡に上杉神社を建立 上杉謙信、上杉鷹山を合祀

1912年
松岬神社を建立
1919年
米沢大火で上杉神社が消失
1923年
4年越しで再建し完成


12:22
今日最後の観光目的地、上杉神社に隣接する米沢市上杉博物館へ
ここには、上杉鷹山の資料が多数保管・展示されている。
常設展、特別展が行われており常設展のみに入場。

13:00
映像コーナーでおよそ15分、上杉鷹山の業績を紹介したアニメ映像を見る。
自らの収入を削り、民衆に尽くした上杉鷹山。その施政の姿勢はまさに公僕の鑑。
2007年に讀賣新聞がおこなった全国自治体首長に対する「理想のリーダー」アンケートで上杉鷹山が1位となっている。

一時間に1本の循環バスまで40分ほど時間が余ったので、図書コーナーで特別展の内容を記録した「特別展 上杉鷹山の財政改革」を読む。この特別展ならば見たかった。


屋外は相変わらず30度超え。暑いというより、日差しがひりひりと熱い。
博物館の前にあったファミマ米沢上杉神社前店でキューピーコーワαドリンクでエネルギーを補充してから、バス停に並ぶ。

14:04
上杉神社前バス停から循環バス(左周り)の黄色いバスに乗車
意外にもICカード使えた(JR在来線はまだ使えない)


14:15
今日最後の目的地に立ち寄るため、米沢駅前の1つ手前「駅前二丁目」バス停で下車。
10年前から目を付けていた「米澤牛焼肉重 松川辨當」は米沢駅(1番線ホーム売店/駅舎のおみやげ処よねざわ)でも買えるが、確実に手に入れるために「松川弁当店」へ。
持ち帰り弁当店然としたお店のカウンターに駅弁の見本が置いてある。
その中から「これを」と松川辨當(べんとう)を注文
「お待ちください。これから作ります」と店主(たぶん)

1899年、米沢駅創業の年に創業した松川弁当店。
駅弁ホームページによると、米沢駅意外にも大宮駅、東京駅で売られているという。
辨當の掛紙に貼られた消費期限はおよそ8時間後。この先は冷房が効いた電車旅。辨當は常温で持ち帰り、帰宅後の夕飯にする。


15:28(34)
6分遅れで米沢を出た臨時つばさ88号は、板谷峠の下りで挽回したのか福島を過ぎて東北新幹線路上に乗った時には遅れを取り戻していて、定刻で東京駅のホームに滑り込んだ。

松川辨當を一口食べて笑いがこぼれた
いつまでも食べていたい
またすぐに食べたい
録音や録画はできても現代の技術には「録味」がないことが、こんなにも惜しいと想ったのはいつ以来だろう
120年の歴史をもつ美味しい辨當のお陰で、旅の終わりが幸せな気分に包まれた

この旅を始める前、47都道府県の未踏は「山形」と「鳥取」
これで、あとは鳥取県を残すのみ
既に「こういう案はどうだ?」ともう1人の自分が囁き始めている

おわり

初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅
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2023年9月 1日 (金)

上杉鷹山と松岬神社の歴史

初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅

10:35
憧れの「米沢牛」と「牛にぎり」を「登起波」で食べるという、夢のような時間はあっという間に過ぎて、僕は再び「30.1度 ムシッと暑い」うすぐもりと呼ぶにはあまりに雲が少ない米沢の日差しの下に立った。

ここからは午後の新幹線の時間まで米沢観光タイム。
上杉神社、松岬神社、米沢市上杉博物館が一か所に固まっているエリアまで登起波から直線距離で 1.5km。
ここからは市街地循環バス(左回り)で行くことができるが、便数が少ないため歩くことにする。

NHKをつけると画面左上に「外出は控える」と表示される夏
元々そうなのか、暑いからそうなのか、クルマは走っているが人が歩いていない町。ときどき給水しながらゆっくりと歩を進め、24分かけて松岬神社にたどり着いた。


11:59
「松岬神社(まつがさき)」は上杉鷹山公をはじめ六柱を合祀する神社。
当初は上杉神社に上杉謙信公と合祀されていたが、後に摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座している。

上杉鷹山は江戸時代、米沢藩(山形県)の藩主。
養蚕事業、肥育を米沢に根付かせ、歳入不足に喘いでいた米沢藩の財政再建を成功させた。
初めに肥育を奨励したのは米沢藩主 上杉綱憲で、米沢に肥育農家が根付くきっかけとなった。後に米沢藩主となった上杉鷹山も肥育を奨励し、米沢に肥育を根付かせた。
2013年にこの旅行を計画した際、上杉鷹山の生涯をしらべて、その施政の姿勢に感銘を受けた。

■肥育農家
肉を多くとるため家畜を太らせる事業を行う農家。短期間に太らせる飼育法を採る。
乳牛を飼育して搾乳するのは「酪農農家」酪農農家も搾乳後の牛を肉牛として出荷するが、肥育農家は肉牛として出荷することに特化している

□上杉鷹山の記録

1751年7月20日
高鍋藩(宮崎県児湯郡高鍋町あたり)秋月家の次男として江戸で生まれる
1760年
出羽国米沢藩(山形県)上杉重定の養子となる
1764年
細井平洲を政策プランナーに招聘
1766年
元服し上杉治憲を名乗る
1767年3月
米沢藩第9代藩主となる 養蚕事業、肥育を米沢に根付かせた
1785年
35歳で隠居
1802年
上杉鷹山を名乗る
1822年3月12日
上杉鷹山 72年の生涯を終える
1826年
米沢藩が積年の借金を完済
1894年
思想家 内村鑑三が著書「代表的日本人」で上杉鷹山を紹介。後世これを読んだJKケネディ大統領は上杉鷹山に影響を受けた
2014年
ケネディ・キャロライン米国大使が、着任直後の講演で父JKケネディが上杉鷹山を尊敬していた逸話を紹介した


□松岬神社の歴史

1902年
上杉神社から上杉鷹山公を分祀 松岬神社 創立
1912年
松岬神社 社殿建立
1923年
米沢藩初代藩主 上杉景勝公を合祀
1938年
上杉景勝公の重臣である直江兼続、上杉鷹山公の師・細井平洲先生、上杉鷹山公の藩政改革を補佐した功臣・竹俣当綱、莅戸善政を合祀

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2023年8月27日 (日)

10年越しでたどり着いた登起波の米沢牛ステーキ

初めての山形県 鳥中華、山形戦、米沢牛の旅

11:00
開店と同時に店内は満席・・ということはなく、店内には予約客の僕1人
予約しておいた注文をおさらいして、ウーロン茶を注文

まずはじめに薬味とサラダが配膳される。
「食べる順番は主菜の前に野菜から」は、もはやニッポンの常識となりつつある。従って肉が来る前にサラダを完食。

その9分後、いよいよミディアムで焼いてもらった米沢牛ステーキが登場。
当然ながらレアで供される「牛にぎり」を頼んでいることもあり、ステーキは標準的に焼いてもらおうと考えた。鉄板に乗ってくることを計算に入れていれば、レアにして良かったかもしれない。
小鉢で先ほどお土産に買った「米沢牛つくだ煮」がついた。

ナイフとフォークを操り、記念すべき最初の一切れを口にはこぶ。
「んまい」とか「やわらかい」とか言うつもりはないが、頭のなかに「?」マークが浮かぶ。
テレビの食レポによると、美味しい肉は「やわらかい」「口の中で溶ける」「箸で切れる」ことになっているらしい。
それらはどれも「食感」すなわち「固さ」の評価であり、僕はそれに賛同していない。柔らかいことが美味しいものの条件だとすれば、人は一生アイスと豆腐で暮らすだろう。
(考えには個人差があります)

ただ、今食べている米沢牛がどれにも当たらないことは確かだ。
さらにもう一切れ・・
僕の心に戸惑いの雪が積もり始める。
これが米沢牛なのか! という特別な感慨が沸いてこないことに戸惑っている。

霜降りがいっぱい入っていれば「その割に脂っぽくない」という感想になるのだろう。
焼いた後なので素人の僕が見定めるのは難しいが、この肉はさほど霜降りは多くない。脂肪交雑でいうと標準の「3~4」あたりだろうか。

脂肪交雑(BMS=Beef Marbling Standard 牛脂肪交雑基準)とは、霜降りの度合いを表す等級で、牛肉 肉質等級基準のひとつ。

□牛肉 肉質等級基準
1, 脂肪交雑☆
2, 肉の色沢
3, 肉の締まり及びきめ
4, 脂肪の色沢と質
このうち2~4は歩留まり等級、肉質等級で「A5」のように表される

A5とは?牛肉の格付

BMSは12段階、それを5等級で表す
()内数値がBMS
1, ほとんどない (1)
2, やや少ない (2)
3, 標準 (3-4)
4, やや多い (5-7)
5, かなり多い (8-12)


僕は脂身やや多めが好みだが、そういうことをお店に言ったことはないし、言っていいのかもわからない。
たった1つ言えることは、肉の善し悪しは僕にはわからないということだ。

子どもの頃からナイフとフォークの使い方は躾けられたので、まずまずの捌きができると自負しているが、それでも次の一切れを切るのには苦戦した。肉の線維に逆らってナイフを入れてしまったようだ。

ステーキ登場から6分後、どのタイミングで来るのだろうと思っていた「牛にぎり」がやってきた。

「わぁ、きたきた~」
大勢での会食ならば、テーブルは大きな歓声に包まれるのだろうが、僕は心の声を外には出さず「ありがとうございます」と応える。
ようやく会うことができた「牛にぎり」に「はい、ポーズ」と心の声で号令をかけて、念のためにフラッシュあり・なしで何回かシャッターを切った。

皿に盛られたご飯をナイフで寄せてフォークの背によそって食べる。
今では、ほとんど機会がなくなった。それだけ僕がいかした雰囲気のレストランから遠ざかったのだろう。
ご飯が皿に盛られてでて来たのは嬉しかった。子どもの頃、有川にあった洋食レストランに家族で食べに行ったのを想いだした。店の名前は思い出せない。2018年夏、40年ぶりに五島を訪れた時、店は既になかった。それが時の流れというものだと想った。
故郷に帰った時、子どもの頃から慣れ親しんだ店が今もあり、ずっと続いていくということは心の拠り所になる。


登起波は創業1894年(明治27年)米沢市で最も古い米沢牛専門店

■登起波の歴史
1894年
登起波牛肉店開店
1969年(昭和44年)
登起波が牛肉専門飲食店を併設
1983年
登起波三代目店主尾﨑茂一が「米沢牛肉物語」を出版
1998年
登起波(本店)改装
2004年
手ごろな価格で食べられる分店「登」開店
2012年
登起波五代目店主尾﨑仁が「米沢牛物語」を出版


米沢牛一口食べる、ご飯を含む、からの牛にぎり
なんと幸せな組み合わせ、ひとときだろう
この味をしっかり脳に記憶させよう。
余計なことは「もういいよ」というくらい覚えているもう一人の僕が、これはしっかり覚えておくよと言っている。

鰻屋で焼く鰻のにおいをおかずにして飯を食べるのは落語「しわい屋」だが、僕は家に帰ったら、この食感、味を思い起こしながらご飯を食べてみたいと考えていた。

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2023年8月26日 (土)

一生に1度は食べたい「牛にぎり」を米沢牛で予約する

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実話を話すと長くなる。できるだけ抽象的に、それでも最低限度のドラマ性を持たせ、僕から運転手さんに「登起波と私」を語る。

(実話)
登起波を知ったのは一冊の本による。
「米沢牛物語」登起波五代目店主 尾﨑仁 エル書房 2012年8月初刷
山形旅行をしたいとも、美味しい牛肉を食べたいとも想っていなかった僕は、この本で米沢牛を知り「2泊3日米沢の旅」を思い立った。それが、2012年秋のこと。土日はお店が混むだろうと踏んで、平日の有給休暇を申請して許可も下りた。
ところが、その日程にピンポイントで講師依頼が入ってしまった。
さすがに、ありがたいご指名の仕事を断ることもできず、有給休暇を取り下げ米沢旅行は延期した。
そして、今年「鳥中華」「山形戦」で天童に行くことになり、その帰り道で立ち寄れる米沢旅行が10年越しに実現した。

(語り)
10年ほど前、登起波店主の本を読んで、食べに来ようと想ったのですが、仕事が入ったりして、なかなか来れなくて、ようやく今日来たというわけです。だから、10年越しの念願なんです

(運転手さんの反応)
「それは、きっとお店の方も嬉しいでしょう。米沢は食べ物は美味しいと想います。愉しんでください」

最初に「寒暖差が厳しい」と落とした分、最後は我が町を持ち上げたところで、タクシーは登起波の駐車場に滑り込んだ。
タクシーに乗ったのは何年ぶりだろう。初めてPayPayでタクシーの支払を済ませ、駐車場に立つと、まずは外観を写真に撮った。

お店の一階は精肉店。米沢牛や登起波オリジナル製品を販売している。
予約の時間までまだ20分あるので、先にお土産を確保しよう。

名物の「登起波漬」は、米沢の味噌と酒粕に米沢牛を漬け込んだ、いわゆる味噌漬け。常温保存ができ、焼いて食べる。
大正元年、登起波二代目尾﨑世禄氏が考案して発売。
尾﨑世禄氏はその製法を公開し、現在、山形の名産の1つとなっている山形牛・米沢牛の味噌漬の端緒となっている。
大正14年、当時皇太子だった昭和天皇が米沢を訪れた際、2樽を購入。天皇御用達の品となった。
米沢牛100%の「米沢牛つくだ煮」は2PACK入りで1,000円と気軽に買える。ご飯のお供に肉好きの知人がきっと喜んでくれるだろう。
これらの商品はネット通販でも購入できる。

登起波の公式サイト


「11時に二階で食事の予約をしている」ことを告げると「外は暑いですから」と、店内で待たせてくれたうえに、5分前には2階の店員さんが迎えに来てくれた。
僕が気づかぬうちに内線で連絡を回してくれたのだろう。そのさり気ない心遣いが嬉しかった。

今回、米沢で食べると決めているのは「米沢牛ステーキ」「牛にぎり」「米澤牛焼肉重松川辨當」の三品。中でも愉しみにしているのが「牛にぎり」米沢牛のにぎり寿司である。
これまでの人生では、不思議と何処の牛の「牛にぎり」にも縁が無く、いつかは食べてみたい。一生に1度は食べたい。せっかく食べるならば、最高の牛で食べたいと考えていた。

今回の旅で最も入念に準備したのが、この「牛にぎり」だった。
2013年に立案した「2泊3日米沢の旅」で、牛にぎりを食べる候補に挙げていた店は閉店していた。
「二年で五割が閉める」と言われる飲食店業界である。10年経てば閉まっていても不思議ではない。
しらべを進めると「牛にぎり」が食べられると確信をもって言える店は少なく、そんな時、米沢牛ステーキを食べる「登起波」で「牛にぎり」を食べたという投稿を見つけた。
だが、こうしたサイドメニューは季節ものであったり、提供される日であっても品切れ御免ということがある。一生に1度の機会なのに「今日はやっていません」「あいにく、もう終わりました」では洒落にならないと想った僕は、すべてのメニューを事前に予約することにした。

そして、電話予約したメニューが次のとおり。
□特選ロースステーキ 120g
□牛にぎり 6貫
牛にぎりは2貫単位とのこと。長年の夢だったので、ちょっと多いかと想ったが6貫を確保した。

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2023年8月25日 (金)

タクシーの運転手さんから、その土地ならではの話しを聞くのが愉しい

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就寝前の23時、ビジネスホテル室内の気温は23.6度。
日中のスタジアムで、30度を超える猛暑に晒されたのが嘘のようだ。
なぜ、こんなに過ごしやすいのかはわからないが、快適に超したこと無い。
7月に入って初めて、電気代を節約するためではなく、エアコンを使わずに眠りについた。


【旅の2日め】
寝苦しくて夜中に起きることも、エアコンを入れることもなく目覚める。
リリース日から始めて3日目となるポケモンスリープの睡眠計測では、深い眠りを表す「ぐっすり」の比率が 63% を記録していた。きっと、カビゴンが大きく育ったことだろう。


予定より200円多く支払ったチェックイン以来のフロントに寄り、カードキーを返却しただけで「いってらっしゃいませ」と笑顔で送り出される。
かつて、公衆電話より割高な電話代の精算や、当時はなかなか見る機会がなかった珍しい映像の料金請求にドキドキしたのが懐かしい。
ちなみにこのホテルでは"珍しい映像"のVODサービスが数ヶ月前に終わっていた。


天童を出て10時までに米沢に着くための新幹線は7:50発(米沢8:39着)
少し早過ぎるので在来線(奥羽本線)で行くことにした。

9:04
天童発 山形行き
9:24
20分で山形着 ホーム上10分の待ち合わせで乗換
9:34
米沢行き
日曜日の午前中。背もたれが切り立ったクロスシートは人影もまばら。のんびりと 47分の列車旅を愉しむ

10:21
米沢着
改札にいた駅員さんに「天童→米沢」の軟券を渡したついでに、コインロッカーの場所を訪ねる。事前の調べでは駅を出て左側にあり 400円だった。
「右と左にありますが、右が近いです」
駅員さんのオススメに従い右側のコインロッカーへ。割かし新しさ漂うロッカーは確かに近かったが、すべて大型荷物用で500円。少しもやっとしてから出口まで戻り、今度は左側のロッカーへ。
こちらは「昔からここにあります」という風情で小型は400円。デイパック1つを余裕で仕舞い、スマホ・財布・・と最後の指さし確認をして鍵を捻った。

ここから、11時に予約を入れている食事場所「登起波」までは、バスではなくタクシーを使う。
米沢駅からは市内循環バスが運行していて、上杉神社などの観光地を回ることができる。ただ、便数は少なく1時間に1本程度。
この次に来る左周り(黄色)のバスは 10:35 発で、登起波の最寄りバス停「中央四丁目」着は10:58の見通し。
予約時間にほんの少し遅れてしまう。
お店に事前連絡して「5分ほど遅れます」と言うか迷ったが、夢にまでみた10年越しの登起波に敬意を表して、早めに行こうと想う。

駅待ち列の先頭にいたタクシーに乗り込み「登起波本店」というと、運転手さんはすぐにギアをドライブに入れた。

「なぜ、おじさんは二言目には天気の話しをするのだろう」
最近、SNSでそんな投稿を見た。
顔文字を使うとか、!マークを多用するとか、おじさんと若者を分断する稜線が深まっている。感情表現の顔文字はよくても、潤滑油としての顔文字はおじさんらしい^^;)

誰が何処からどう見てもおじさん同士の運転手さんと僕は、何の違和感もなく天気の話しから入った。

運転手さん「暑いですね」
moto「えぇ、でも昨日の晩は涼しかったですよ」
運転手さん「見ていただくとわかるんですが、米沢の家には雨戸がないんです」
言われて辺りの住宅を見回すと、確かに雨戸はついていない。

運転手さんが米沢の気候解説を続ける
「雨戸は夜のうちに凍って開けられなくなるんですよ。寒暖差が大きいですから。冬は0度から氷点下15度まで下がります」
氷点下15度は、九州生まれの僕には想像がつかないし、そんな僕がこの土地に住むことは難しいと想うが、もちろん口には出さない。運転手さんが続ける。
「夏の夜もエアコンつけないですよ。東京の人は汗を掻かないですよね。東京に行った時、僕はだらだら汗を掻いているのに、東京の人は汗1つかいてなくて・・体のつくりが違うんですかねぇ」

路線バスに乗っていたら、こんな話しは聞けなかった。タクシーに乗るとその土地の話しが聞ける。タクシーにしてよかった。

「どうなんですかねぇ」
それ以上、話題が膨らまない相づちを僕が打つと、運転手さんは話題の矛先を変えた。
「登起波はいいですね。でも僕ら、なかなか行けないですよ」
そこで僕は、手短に「登起波と私」について語る。

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