2020年9月17日 (木)

おじさんがくれたTEACのカセットデッキ A-630

それは、佐世保に引っ越してきて2度めの正月だったと思う。
かつて、遠くに住んでいる時は年に1度の訪問が楽しみだった佐世保のイチロウおじさん。今はクルマで30分ほどの所に住んでいるのだが、やはり、訪問は年に1度だった。
子供の頃、親戚を訪ねるのが三度の飯より好きだった僕は、この現実に忸怩たる思いがあった。
おじさん宅の床の間には立派なオーディオセットが並んでいて、僕はそれを見るのが楽しみだった。

その日、おじさんのオーディオセットには新たにカセットデッキが加わっていた。
当時、音楽を聴く媒体の主役はカセットテープであり、カセットデッキはコンポの中核。いずれ自分で買う時、ハズレのないモノを買おうと日夜、ベスト電器店頭と「週刊FM」で研究に余念がなかった僕は、目が釘付けになった。

僕の選択基準はこうだ。まずはカタログスペック。

■ドルビーNR
ドルビー・ラボラトリーが開発した雑音低減機能。オーディオコンポのカセットデッキに搭載されており、ラジカセでの搭載は珍しかった。東芝には独自のADRES(アドレス)という仕組みがあった。

■フェザータッチ
電子的に制御されていて軽く触れるボタンをいう。ラジカセは物理的にしっかり押しこむボタン。フェザータッチはステレオラジカセが世の中に定着してから登場した。

■ピークメーター
瞬間のピーク(最大音量)を表示するメーター。
録音ボリュームを手動で設定する際、音が歪まないよう、逆に小さすぎないよう絶妙な地点を探すために有効なメーター。
デジタルメーターが登場すると、ピークのコマを1秒程残してくれる「ピークホールド」によりピークが確認しやすくなった。

カタログ以外では、やはりルックス。
カセットは左側、メーターは大きめな横長四角の2連。
子供の頃から家にはSONYしかなく、SONYに強いシンパシーを抱いていたのでSONYを軸として候補を募っていた。

さて、イチロウおじさんのデッキにはTEACとあった。
てぃーく?
週刊FMで見たことはあったが、それをなんと読むのかはわからない。
穴が空くほどガン見していると、おじさんが
「てぃあっくのあたらしかとばい」と教えてくれた。
いくらなの?と尋ねると119,800円だという。

たかっ!
という言い方は当時なかったので「たかかぁ」と僕は言った。
僕が選ぶとすれば、ヨンキュッパ(49,800円)が限度かなと思っていたので、そこで関心を打ち切ることにした^^)

それから一年後、僕の進学先が決まった翌日。
おじさんから一本の電話がかかってきた。
「デッキば、お祝いにやるけん、取りにこんね」
僕はわんわんわん、と電話口で尻尾を振った^^;)

おじさんが譲ってくれた"お古"は TEACのA-630
型番も記憶していなかったので、令和の今しらべると次のことがわかった。

A-630
価格:99,800円
1975年発売
ドルビーNR、プッシュボタン、ピークボタン
高価な機種だけに、僕の選択基準はすべてクリア。
他の機種とは一線を画す縦長の威風堂々とした筐体。
これが大学から社会人にかけて、僕の音楽生活を支える相棒となった。

プッシュボタンは夜中に操作すると、となりの住人が怒鳴り込んでくるんじゃないかと思うほど「がちゃーん」と大きな音が反響した。
電子的に操作しているのだが「中身は機械でやっています」という音だ。
晩年はプッシュボタンが反応しなくなり、次なるデッキにバトンタッチしたが、後継機の型番はやはり記憶がない。



46年の時を超えて、憧れのスタジオ1980を手に入れた

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2020年9月 5日 (土)

オーディオ山内とTechnics SL-2000

愛機「RQ-552」を破壊した僕は徐々に「ラジカセ」から「オーディオ」へと軸足を移していく。

転機はSONYの家具調ステレオのレコードプレーヤー(以後プレーヤー)が壊れたことだ。
ある日、レコードを乗せてスイッチを入れると、ターンテーブルが回らなくなっていた。恐らくドライブベルトが切れたか外れたのだろう。

昔のプレーヤーはモーターとターンテーブルをベルトで結んで回転させていた。そしてその頃、ターンテーブルの直下にモーターを置きベルトを介さずに回転させるプレーヤーが登場していた。
前者が「ベルトドライブ」後者が「ダイレクトドライブ」という。

ベルトのせいでレコードが聴けなくなった僕は「ダイレクトドライブ」という合理的な仕組みの信者になったが、その新しいプレーヤーは、こずかい2,500円/月の高校生には手が出ない価格帯だった。

ちょうど、その頃、下京町のバス停そばに「オーディオ山内」という店がオープンした。
それまで、佐世保でオーディオといえば「ベスト電器の2階」いつも、買いもしないのに訪れては「これがエルカセットかぁ」と涎を垂らしていた。
四ケ町には千日音機もあったのだが、オーディオという格調の高い世界観に乏しかったのだと思う。
そこにできたのが山内。こぢんまりした店だったが「専門店」らしい佇まいと、上品な店主に惹かれて、やはり買いもしないのに通っているうちに「ここで何か買いたい」と思うようになった。

そして、ちょうどその頃、初めて3万円を切ったダイレクトドライブ機が発売された。

Technics(National)
SL-2000
29,800円
1977年発売

アーム、カートリッジまでオールブラックの筐体
今、見ても非の打ち所がなくクールな外観
カートリッジのバランス、内側へ滑る力の調節は手動。
オレンジのストロボライトをターンテーブルに照射して回転を目視。手動でピッチを調節する。

家のプレーヤーが壊れた代わりだから、親にねだってもよかったのだが、僕はこれを自分のお金で買いたいと思った。
「今日から僕もオーディオ界の一員です」と名乗りたい。そのための入会金は自腹を切る必要がある。
他人の懐を当てにしてきた子供時代から、大人への旅立ちだった。

その心意気に感銘した?店主は確か3,000円くらいまけてくれたと思う。
このプレーヤーは高校を卒業するまでは家具調ステレオに接続して使い、大学で福岡に行く時は下宿に持っていった。
そして、オーディオファン時代が終わるまで、僕にとって最初で最後のプレーヤーだった。

このプレーヤーのターンテーブルで佐野元春と出会い、レコードがCDに移りかわるまで幾多の音楽を僕に響かせてくれた。



46年の時を超えて、憧れのスタジオ1980を手に入れた

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2020年7月 4日 (土)

ラジカセのゴシック様式を壊して網戸にする

スタジオ1980とは縁が無かったのだが、未練はうっすらと残っていて、消しゴムで消せるようにはいかなかった。

1974年に発売されたスタジオ1980は、その後、1年ごとに「MarkⅡ」「MarkV」と進化を遂げる。僕は雑誌で動向をチェックして「モデルチェンジの度に千円上げていく作戦だな」と独りごちていた。

1976年には後継機「スタジオ1990」が発売される。
スピーカーは20cmに拡大し、その偉容を誇示するかのように全面がフルネット仕様になった。
つまり、全面網戸を張ったようなものだ。

僕のNational RQ-552は12cmダブルコーンスピーカーの前面にゴシック建築のようなデザインがあしらわれてる。それに比べて1990の機能美を前面に出した潔さはどうだ!
僕は網戸に憧れた。


当時、僕にはオーディオ仲間の友達ができていた。
クラスが違うフジオカ君とどうやって知り合ったのか記憶が無い。
接点といえば、家がとても近かったということだ。

彼は時々、なめくじが出没する僕の部屋へやってきた。
自作のスピーカーを壁から下げていたのもその頃で、恐らく彼の影響だと思う。音源はお年玉で買ったミニテレコ。後に登場するウォークマンのような形状をしたテープレコーダーだ。AIWAだったかSANYOだったか記憶がない。

僕はこれを英和辞典の箱を加工して作った盗聴器に入れるために買ったのかも知れない。
もう記憶は曖昧だし、考えただけでも荒唐無稽だし、正確に思い出すのも面倒くさい^^;)

冒険王の通販広告で育った世代ならば、わかってくれると思う。
「盗聴」「スパイ」という言葉は甘いささやきだった。
結局、その盗聴器を実戦投入する日は訪れなかったし、盗聴する対象も特に考えていなかった。若いということは、それだけでバカなのかも知れない。


僕はある日、暖めていたアイデアを実行に移す。
下駄箱の缶缶に入っているドライバーやプライヤーなど、ありったけの工具を駆使して「RQ-552」の"ゴシック建築"を取り壊す。
ゴシックの下には網戸がある。表の装飾を取り外せば「スタジオ1990」の網戸が再現できると思ったのだ。

作業は難航した。装飾のエッジに沿って真円が切り出さればと期していたが甘かった。それでも、バリが残りまくりの網戸が出現し、一定の成果は出た。

大切にしていた「RQ-552」に対して、なぜそんな無茶なことをするのか
それは、長く連れそううちに、愛着が薄れていたに他ならない。
今思えば、よくないことだ。


その週末、尋ねてきたフジオカ君は、いつも通りにかっと馬のように笑って言った。
「いやいや、派手にやりましたな」
ラジカセと僕という相対関係を知ったうえで、ひとこと言ってくれる友達がいて、僕は幸せだった。
ただ、フジオカ君とはその後、音信が途絶える。特に理由は覚えていない。

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2020年7月 3日 (金)

2時までボリュームが上がると ○が来て苦情を言われた

ラジカセ生活が3年めに入ると、僕のラジカセへの興味はずいぶん薄れていた。かつてはカセットが回り、音が出るだけで奇跡を見るように打ち震えることができたのだが、今やそんなこと当たり前。スイッチを押せば音が鳴る。そんなありきたりの毎日に僕が刺激を求めたのは「オーディオ」

そのきっかけは「ヤングオーディオナウ」だ。
1975年に中1コースの別冊として発行されたオーディオ雑誌で、僕らど素人!のオーディオ小僧向けにオーディオの入門知識、コンポの選び方、最先端のオーディオ機器をまとめていた。まさにオーディオ入門総合誌である。

この雑誌でコンポとはレコードプレーヤー、チューナーから音を入れて、カセットデッキ、オープンリールデッキで記録。それをアンプで増幅し、スピーカーを鳴らすという基本を学んだ。

今のように「Google先生」が居ない時代なので、このように基本的なことから、最低限の予算で最高のものを集める知識までが、まとめてあることはとてもありがたかった。

知識をため込むほどに、それを実践したくなるのが世の常。
だが、高校生の僕には予算がない。
かつて、月200円のおこずかいを全額「TVマガジン」につぎ込んで、PTAで問題になった僕だが、その頃はぐっと増額して 2,500円。
ちょうど、LPレコードが1枚買える金額だ。
従って、おこずかいはそのままQUEEN「世界に捧ぐ」やビートルズ「リボルバー」BOSTON「幻想飛行」といったアルバムに消えた。

自腹でコンポを組むのは無理
当時の僕は家にあった家具調ステレオ~レコードプレーヤー、チューナーのセンターコンソール、両脇に同じ高さのスピーカー~しかなかった。

土曜の午後
お昼を食べるとステレオが置いてある洋間にこもる
QUEEN「華麗なるレース」を"2時"までボリュームを上げてかけて、フレディの振りを真似て全力で歌う
当時の僕は、ごく一部(1人とも言う)の友達から「佐世保北高のフレディ・マーキュリー」と呼ばれていて、大学に入ったらロックバンドを組み、フレディの「ぴたもっこりスーツ」を着てステージに立つための練習に余念が無かった。

ステレオアンプを持っている人だったら、この"2時"のボリュームが、どれだけ狂気かがおわかりになると思う。

割れるくらいに音が上がると警察が来て苦情を言われたのは、後年の尾崎豊だが、フレディを踊っていると、突然ドアが開き

「あんた、ええ加減にせんね。近所から苦情が来るよ」
と警察ではなく、姉から文句を言われた

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2020年7月 2日 (木)

ブルーチップでもらったカセットスタンド

「ラジカセ時代」は3年ほど続いた
その後は家にあったオープンリールデッキやカセットデッキへ移行したらしい。
"らしい"というのは、カセットデッキが自宅にあったという記憶がないからだ。
記憶では自分にとって初めてのカセットデッキは大学進学祝いに親戚のイチロウおじさんがくれたTEACのA-630。それ以前、家でカセットデッキを使っていた記憶はなかった。

ところが今年 "コンマリ片付け"をしていた時に当時エアチェックしたテープが出て来た。
テープは TDK AD-C60。紙のラベルには RECORDING MEMORANDUM という録音の備忘録を記入する欄があり、そこにこう記している。
(MEMORANDUM=メモ)

AIR CHECK
STEREO
Noise Reduction IN(ADRES)

RQ-552ならば MONO をチェックするはず
RQ-552にはNoise Reductionは装備されていなかった
そして(ADRES)というのは東芝が開発したシステムであり、ドルビーが大勢を占めるなか東芝ブランドの Aurex だけがADRESを採用していた。
ということは、家に Aurex のカセットデッキがあったということになる。買ったのは父ということになるが、鬼籍に入った今、尋ねることは叶わない。

「ラジカセ時代」の間、僕のカセットライブラリーは常時15本の中に収まっていた。
これは15という数字を覚えていたのではなく、当時ブルーチップでもらったカセットスタンドを愛用していたからだ。


ブルーチップは小売業のポイント事業を担う会社であり、ブランド名。
ブルーチップは小ぶりな切手の大きさ。裏面には切手と同様、予め糊がついている
糊面を湿らせて、セービングブックと呼ばれる小冊子にブルーチップを貼っていく
ラジオ体操の出席カードで育った世代なので、この作業はとてもエキサイティングだった
母と買い物に行くと、決まって、僕が貼らせてもらった
現在はポイントカードに拠るものが多いが、セービングブックも残っていてダイソンコードレス掃除機がおよそ170冊となっている

お中元のギフトカタログのような冊子に、交換商品が一堂に載っている
新しいカタログが店頭に置かれると、すぐに持ち帰り、目を皿のようにして隅から隅をチェックした。

ある日、僕の目は一点に釘付けになった
カセットスタンド(15本収納)
プラスチック製で前に倒れる蓋が付いている
何冊で交換だったかは失念した
僕が来る日も来る日もこのページを見返していると、母が「それ、もろーちゃろうか」と言ってくれた

新しいテープを作りたい時は、どれか一本を消す
それ以来、僕は最大15本の枠に収まるようカセットライブラリを調整した。

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2020年5月24日 (日)

中一時代 百恵ちゃんの万年筆

シンちゃんがラジカセを買ってもらった
シンちゃんは僕の家から50mほどの一戸建てに住んでいて、2階の僕の部屋からは、同じく2階にある彼の部屋が見える距離。

家が近いと言うこともあって、よく彼の家に遊びに行った。
彼の父親がどんな仕事を営んでいるのかは知らないが、その家が裕福であることは明白で、シンちゃんの個室に行くと、僕が欲しくても買ってもらえないモノがいろいろと置いてあった。


毎月「中1コース」が発売されると、僕はシンちゃんを訪ねた。
その雑誌にはアンチョコつまり教科書ガイドと言えるものが別冊付録で付いていたからだ。
今の子供たちが自動翻訳を使っているのかは知らないが、当時、英語の予習は子ども達の大きな負担だった。


中1コースというのは学研が発売する学年別月刊情報誌。
旺文社には「中1時代」がありしのぎを削っていた。

年が明けると、4月から中入(ちゅうにゅう)する生徒の囲い込みが両誌によって行われる。それぞれが中一誌の年間予約にプレゼント(景品)を付けて、小6生のご機嫌を伺うのだ。
それを看板となる芸能人が薦めるテレビCMが流されていた。
私の記憶が確かならば・・・
中入した年はコースが桜田淳子、時代が山口百恵
確か時代の景品は万年筆だったと思う。

僕はその頃、毎日、日記をつけていたのだが、別に万年筆でしたためたいというわけでなく、ただ「百恵ちゃんの万年筆」が欲しかった。
今と比べれば、当時はまだモノがない時代で、子供たちは未だ使ったことがないモノに飢えていたのだ。
景品は年を追う毎に進化を遂げ、後には小型ラジオなどもあったと思う。


この「年間予約」は、1年間の代金先払いといった厳格なものではなく、版元から書店には予約数が定期配本されるのだが、消費者側は事情により中止することができた。

1980年代後半には総合情報誌が売れない時代となり、1990年代に両誌とも休刊になった。
ちなみに「休刊」というのは事実上の廃刊を意味するのだが、雑誌コードや商標権を保留するため、つまり、万が一にも再刊することになった時に権利が維持できているよう、そう宣言される。
ただ過去40年間、休刊した雑誌が、その雑誌コードのまま再刊したのは記憶にない。

その日、シンちゃんの部屋に行くとナショナルのラジカセが置いてあった。

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2020年3月22日 (日)

これが歴代ベスト、理想の図書館用バッグ トラストマップトートバッグ

14年間使った「理想の図書館バッグ」(ダイソーで購入)の後任として、2017年にコンビニで見つけたのが今使っているバッグ。
雑誌「MonoMax」の付録、BEAMSのBIGトートバッグだ。
コンビニで発見!理想の図書館バッグ

ところが最近困ったことが起きている。
ポケットに入れたはずの10円玉や家の鍵が行方不明になるのだ。
手でさぐっても一向に手に取れない。しかし確かにそこにある。
よくみるとポケットの底に穴が空いて、その内側に入り込んでいた。

困ったことはそれだけではない。
本を入れて階段を昇降する時、鞄の底が階段に当たる。
だから、ちょっと肘を引いて持たなければならない。
これは、気にし始めるとけっこうストレスだ。

よし、鞄を探そう
俺はどんな鞄が欲しい?

って言うまでもなく、条件は決まっている。
それは3年前と同じだ。

【1】マチがある(本が20冊程度入る)
【2】ヨコ長
【3】外側に複数のポケット
【4】間口が広い
【5】価格が安い
【6】キャンバス地

今回はこれにもう1つ
【7】持ち手が短くて階段に当たらない(高い位置で持てる)


まずは吉田カバン店頭へ
感じのいいトートバッグがあったが【2】【5】【6】を満たすものがなかった。

続いてネットで探す
すると、あっさりとAmazonで見つかった。

「トラストマップトートバッグ」
■生地:キャンバス 16オンス帆布
■実勢価格:2,500円程度
■発売:2020年1月

サイズはS/M/Lの3種類があるが、条件【1】【7】に照らしてMを選択
本が15冊程度入り、A3、B4の本も入る
■容量:18L
■サイズ:マチ14cm 幅42cm 高さ29cm


肝心の条件【7】だが、階段の昇降時、地面にぞろびかない

【3】のポケットは外側と内側に1つずつ
外側はマチが浅いので貸出カード、家の鍵に好適
内側はマチが深いので小銭入れ、スマホなどに好適

図書館バッグ用途には不要だが、ファスナー付き。本の出し入れの邪魔にはならない。
肩掛け用のベルトが付属するが、これも図書館用途では使わない。

使ってみて意外な長所だったのは、マチが深く生地が硬いので自立すること。玄関先で靴を履く時など、これまでならば、倒れないようバランスを考慮して、壁にもたれさせていた。鞄が自分で立つのは、なかなかいい。

2,500円という価格帯で、これだけしっかりした物を作るトラストマップというブランドは侮れない。

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2020年3月21日 (土)

全裸で走る聖火リレー走者像はミッドフット着地だった

1965年4月
第18回オリンピック東京大会から半年後、五輪記念事業として「大田区体育館」が建てられ開館しました。

その際、体育館の表玄関側、国道15号線に面した所に「聖火リレー走者像」が建立されました。
ただ、向きが違いました。
聖火リレー走者は東京方面へ北向きに走ったのですが、西望の意向で走者像はランナーが走った向きとは逆、太陽光に映える南向きで設置されました。
「東調布信用金庫が寄贈」という記録があるので、恐らく、東調布信用金庫が制作費を負担したのでしょう。

2008年
43年使われて施設が老朽化した「大田区体育館」が取り壊されます

2012年
「大田区体育館」跡地に「大田区総合体育館」が完成
「聖火リレー走者像」は表玄関ではなく、体育館の裏に隣接する東蒲田公園に移設されました。
住所:東京都大田区東蒲田1-19-25


体育館の地下駐車場にクルマを停めて地上に上がり、裏手にある走者像へ。
まだ、新型コロナウイルス感染症の影響で学校が休みになる前だったので、体育館ではバスケットボールの試合が行われていました。

子どもの頃から長崎の平和祈念像には、何度か足を運んでいますが、西望の作品と意識して見る像はこれが初めて。
初対面に胸がはやります。
東蒲田公園には、たくさんの自転車が停められていて、ヤンママと幼児が遊んでいます。


その姿は早咲きの梅に紛れるように、地道に立っていました。
早速、一眼レフを取り出して、像の周りをぐるりと一周
まるで、グラビアアイドルでも撮影するかのように、嘗めるようにシャッターを切りまくる僕は、幼児たちからみると不思議だったかも知れません。

よくみると、走者像は全裸?
ランニングパンツも履いていません
ストリーキングか?(古い)

平和祈念像も「なぜ男?しかも裸」(腰には布を巻いています)と批判があったと西望は書き残しています。
彼にしてみれば、裸像こそ生命の躍動を表現できるということなのでしょう。

確かに後ろ足をはね上げて走る時に発生する筋肉の隆起が、しっかりと表現されています。
足下はミッドフット着地でしょうか。


「走る時はかかとから着地しなさい」
という指導法だった時代ですから斬新です
(ただ、その方が作りやすかっただけだと思いますが)

その表情は精悍
かというと、ちょっと表現しづらいです
(若い人はそういうのをビミョーと言います)


平和祈念像の場合、求道者らしい長い髪が似合っていますが、こちらはスポーツマン。
それにしては髪が長い。それが風になびいている?
アニメの主人公にこういう髪型がありましたよねぇ
カメハメハ~とかいう人(ドラゴンボールかな)

そんなことを考えていてふと、気づくと、前後ともに空気が抜けた自転車を押したおじさんが、僕を不思議そうに見つめていたので、何事もなかったように、カメラを仕舞ってその場を後にしました。
実際、なにもなかったのですが

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2020年3月20日 (金)

聖火リレー走者像を見に行く

ギリシアで聖火が採火されました。
目に見えるカタチで五輪が動き出しました。
これから日本での聖火リレーが始まります。


僕はオリパラ・スポーツボランティアだけではなく、聖火ランナーにも応募しました。
応募できるのは全部で5口。4つの大会スポンサーと1つの自治体です。

■総数:1万人
■スポンサー枠:およそ7,500人(4社)
日本コカコーラ、トヨタ自動車、日本生命保険、NTT
■実行委員会枠:およそ2,500人(47都道府県)


僕は5つとも応募して、どれかに引っかかるつもりでしたが、実際には4つしか応募しませんでした。
応募しなかった1つは「東京都」です。
他のスポンサー4社の場合、それぞれ要項は異なるものの、すべて自力で応募できたのですが、東京都だけは第三者の推薦文が必要だったのです。

僕のいいところを作文して書いてくれないか?
なんて、恥ずかしくてとても言えません。

友だちにネタとして話すと「僕が書きますよ」と言ってくれましたが、辞退しました。どんな風に持ち上げてくれるのか?一瞬興味が湧きましたが、やはり、そこまでしなくてもいいと思ったのです。
そして、結果的にすべて落選。


従って、聖火リレーが地元に来た時は沿道に見学に行こうと思っているわけですが、その前に1度見ておきたかった「聖火リレー走者像」を見に行ってきました。

「聖火リレー走者像」
作者は北村西望。え、知らない?
ムリもないですね、歴史上の彫刻家ですから。
平和祈念像(長崎市)をつくった彫刻家といえば、あぁその人ねとなるのではないでしょうか。

聖火リレー走者像は、東京都大田区の「大田区総合体育館」のそばにあります。
なんで、長崎の人が東京に?と思いますよね?
北村西望は、長崎県南島原市(現住所表記)の生まれですが、23歳からは東京に住んで活動していたのです。
長崎の平和祈念像を落成させたのは71歳の時。
(北村西望は1987年に102歳で鬼籍に入りました)
平和祈念像の制作は、東京都から借り受けた井の頭自然文化園のアトリエで行われました。

そのアトリエを借り受けた恩義に報いるため、北村西望はその作品の大半を東京都へ寄贈しています。
また、それらは夜には鍵がかかる博物館の中に格納されているわけではなく、無防備なくらいに屋外に設置されているのです。
それを"無防備"と感じる僕のほうが、実はどうかしているのかも知れませんが。


平和祈念像落成から10年後、聖火リレー走者像は建立されました。

1964年10月
東京五輪1964の直前、大田区民の聖火ランナーが神奈川から東京方面に向けて国道15号線を走りました。


この道は地元では「一国(いちこく)」と呼ばれています。
現在は、箱根駅伝のコースであり、多摩川を渡って東京に入り、蒲田踏切(現在は高架)を過ぎたあたりです。さらに行って品川区に入ると新八ツ山橋です。

ちなみに、その北側を並走する国道1号線は「二国(にこく)」と呼ばれています。
東京に来た頃、地元の人が「にこく」というので、なぜ一号線なのに「二国」なのか、訳が分かりませんでした。

つづく

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2020年3月19日 (木)

いつも、図書館員に感じているストレス

僕はいつもこの瞬間にストレスを感じている
それは毎週の定例行事「図書館通い」で、ほぼ毎回のように起きる

返却です
まず初めにカウンターに立ち寄り、図書館バッグから本を取り出して、カウンターに積む。

図書館員が一冊ずつぱらぱら漫画のように本をめくって確認する。
ページの抜き取り、切り取り、書き込みなどがないかを確認しているのだ。
少々旧聞だが、2001年刊行「図書館で考える道徳」によると、東京23区の図書館で書き込み被害の割合は13.5%。つまり10冊に1冊強の割合で、利用者による書き込みがみつかった。

図書館本の被害は書き込みだけではない。
多いのはページの端の▼折り曲げ
恐らく「ここは大事」と思ったのだろう。
要点?にびっしりと波線が引かれていることもある
何が心に響くかは人それぞれ。押しつけないで欲しい
図書館ではないが、キンドル本で「100人がハイライト」という表示も余計なお世話だ。SNSかっ!

「ページの抜き取り」「落書き」といった極端なものから、鼻毛を並べているといったものまで、図書被害は枚挙にいとまが無い。
だから、図書館員は真剣にチェックする。
その作業が15冊繰り返される間、僕はカウンター奥の掛け時計を眺めて待つ

つづいて開架へ回り「最大枠」までの差を埋める
インターネットで予約して「確保済み」の冊数は事前にチェックしてきている

最大枠=確保済み+開架から選択

これを図書館の公式と呼ぶ^^;)
最大枠が15冊で、確保済みが8冊の場合、開架を周り7冊を選んでくる
そして、再びカウンターへ

7冊をカウンターに置き、貸出カードを提示する
ストレスはここで起きる

図書館員がカードをスキャン
ピンポンといい「確保済み」アラームが鳴る
「予約資料が来ていますね。お持ちになりますか?」

いや、ここまで来て、お持ちにならない選択があると考える方が難しくないか?
と口には出さずに、お願いしますと告げる

そして、ここがクライマックス
図書館員がカウンターに置いた本を数え始める
つづいて、端末に表示された「確保済み」の冊数をかぞえる

「あ、オーバーですね
(僕の怪訝な顔をみて、数え直して)
いや、ちょうどか」

これを毎回聞かされるのに飽きている。
もう少し、利用者を信じてはどうだろう


人は立場を与えられると、その執行官としての役割以外のことが見えなくなってしまう。
サービス提供者として笑顔で接すること、相手の気持ちをくみ取ることは置き去り。
「ルール通りに正しく運用する管理官」
にはまり込んでしまうのである。

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