2020年6月27日 (土)

音が揺れるNational RQ-552 これがワウフラッター?

令和の今、インターネット記事やオーディオ専門誌で、時折ラジカセ&カセットが取り上げられている。
そこに「Nationalのラジカセは回転系が優れている」という記事が散見される。
いくつものラジカセを所有することはできないので、僕には目の前の「National RQ-552」しかない。ただ、それを使っている時は、回転系には少し不安を感じていた。
使い始めて1年が過ぎた頃から、曲の終わりがけに音が頼りなく揺れた。
テープの巻きが固いのか、モーターがへたってきたのか、あるいは音源がそうなのか、分析できるだけの知識も材料もない。ただ「あぁあまり揺れないでくれ」と祈るしかない

昭和の楽曲はフェイドアウトで終わるものが大半だった。
徐々に音が小さくなるのがフェイドアウト。突然ばしっと終わるのはカットアウト。
逆に音が始まる時はフェイドインとカットイン


かつて佐野元春がカットアウトについて語っている
(佐野元春の口調で)
「ナイアガラトライアングル2」の「彼女はデリケート」のレコーディングで、僕はこの曲をフェイドアウトで作っていたんだ。当時はそれが当たり前だったからね。ところが大瀧詠一さんは「何をやってんだ、佐野君!ロックンロールはカットアウトだよ」と言って、録り終えていた音源を編集してカットアウトにしてしまったんだ。こんなことができるんだ!って僕はスゴいなと想った」

ちなみにこの曲「出発間際にベジタリアンの彼女は東京に残した恋人のことを想うわけだ。そう空港ロビーのサンドイッチスタンドで・・」という科白で始まるが、僕は佐野元春が喋っていると信じて疑わなかった。ところが「あれは大瀧詠一が元春の口調を真似ている」と元春ファンから聞かされた。本当だろうか


このカットインなどの用語は「RQ-552」を買った時に、おまけで付いてきたラジカセ読本で学んだ。恐らくNationalがどこかの版元に委託して作らせたものだろう。
この本は実によくできていた。
「ナマ録」「エアチェック」「ミキシング」というラジカセの楽しみ三本柱と「BCL」について、イラスト付きで易しく解説。コミックス一冊くらいの分量にまとめている。
読み進めるにつれて、これからこのラジカセと共に広がる楽しい世界を夢見ることができた。
今でもふと読みたくなって、ネットで検索するのだが「Google先生」の耳には届いていないようだ。
誰か同じ思いをした人が何処かにいないだろうか。当時を知るラジカセファンと、いろいろと話してみたいと想う。

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2020年6月26日 (金)

「Fリク」でハガキが読まれなくなった理由

FMリクエストアワー通称「Fリク」で僕のハガキがぱたりと読まれなくなってから1年が過ぎていた。
それでも僕は番組を聴き続けていたし、リクエストハガキも送っていた。
それは、この番組が最新のシングル曲を仕入れる唯一の頼りだったからだ。
(アルバムは「夕べのひととき」で入手)

そんなとき、こんなハガキが読まれた
「以前はいつも読まれていたのに、最近はぴたりと読まれなくなり枕を濡らしています。それでもこの番組はいつも応援していますよ」
DJの2人(男女)が応える

女「それは申し訳ないですねぇ」
男「そうですねぇ、ただ、たくさんの方から(ハガキを)頂きますからねぇ」
女「これからも、懲りずにリクエストをお待ちしています」

録音していたわけではないが、記憶を辿ればおよそこういう文脈だったと想う。40年前のことをこれだけ覚えているのは、それが、僕が探していた答えだったからだ。

この1年間、なにか僕に落ち度があったのか?放送局としてそういう方針に転換したのか?ハガキが読まれない理由を探して堂々巡りをしていたが、答えは見つからなかった。
そこにあるリスナーから嘆きのハガキ。これで僕の悩みは氷解した。
僕だけじゃなかったんだ・・

その日は、徐々に日が長くなる春先だったが、時間帯は恐らく5時を回っていて、日が長い日本の西端にある長崎でも、僕の部屋にはセピア色の夕べが訪れていた。


この話しを書くにあたり「Google先生」に「Fリクって知ってる?」と聞いてみると、どえらい詳しく知っていて驚いた。
世の中の人は、こんなに「Fリク」が好きだったんだ・・
そして、2020年4月からNHKがこの番組を「R1=ラジオ第1」で復活させる計画があると出ていた。

NHKのウェブページより
(引用ここから)
ラジオ第一の午前の新番組『らじるラボ』(月~金 午前8時30分~)内で、毎月第1、第3金曜で放送します。
(引用ここまで)

"大半の人がラジオはインターネットで聞いている"
という前提なのだろう。この番組は中波(AM)の番組として企画されているようだが「Fリク」をAMでやってどうする。それじゃ「Aリク」じゃないか。
「Fリク」の魅力はラジオの電波を捕まえて、カセットでエアチェックするところにある。
今でも、ラジカセやカセットデッキ+チューナーでエアチェックを楽しんでいるファンにとって、AM放送での復刻は興醒めである。

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2020年6月25日 (木)

読まれなくなったハガキ FMリクエストアワー

「◆さんはいつもハガキが読まれて羨ましいです」
他のリスナーのこんなコメントが紹介されたこともあった。
もちろん、僕は有頂天。足下を見つめて精進しますとは想っていない。

数年後、清岡教授退任の講義で
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉を教えてもらった時は「早く言ってよぉ」と松重豊になった。


上記の◆には僕が使っていたペンネームが入るのだが、恥ずかしいので伏せ字にしている。
大人になってから同年代の長崎県出身者と「Fリク」の話題になり、僕は◆というペンネームで投稿してましたと口にしたところ「え?◆さんですか?よく覚えていますよ!確か、毎週のようにハガキ読まれてましたよね」と言われた。やはり、嬉しかった。


「◆さんのハガキ、いつもスゴイですよねぇ」
とDJからお褒めの言葉をいただいてから数ヶ月のことだ

確かそれは春だった
年度が替わり、僕は学年が1つ上がった4月
その最初の土曜日、いつもの「Fリク」にダイヤルを合わせる

その日の3曲めあたりで、僕がリクエストを送っている曲がかかる
よし、来た!
DJがハガキのエピソードを読み上げる。つづいて名前だけの紹介がつづき「それでは**です」
曲に行ってしまった。
僕はキツネにつままれた。いや、もしかすると曲の後にもハガキを紹介するという趣向に変わったのかも知れない。年度替わりだし
しかし、その読みは外れて粛々と次の曲へ移る。

なにかの間違いだろう
郵便屋さんが届け損なったのかも知れないし
それとも、ハガキのクオリティが下がったことを見透かされたか
そういえば確かに、ちょっとやっつけ仕事で書き上げた1枚だったように思えてくる

しかし、次にリクエストした曲も、またその次も。
僕のハガキはスルーされた

他にもたくさんのハガキが届いているのだから"今日は◆さん1回お休み"ということなのかも知れない。
確かに、これまで、ちょっと読まれ過ぎ。読まれる率100%はできすぎ君だったのだ。
その日は、納得はいかないものの、なんとか自分を落ち着かせてエアチェックを終えた。

僕はそこで初めて、謙虚という言葉を身にしみて知った
だが、そのまま、僕のハガキが読まれることはなかった。
翌週も、翌月も、半年後も。

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2020年6月21日 (日)

FMリクエストアワー1回の放送で3回ハガキを読まれる

FMリクエストアワー、通称「Fリク」
NHK FM長崎では、毎週土曜日午後3時から3時間ほど。
私の記憶が確かならば・・
前半が邦楽、後半が洋楽のようにコーナーが分かれていたと想う。
その名が表すとおり、かける曲はすべてリスナーからのリクエスト。
「RKBベスト歌謡50」のようなランキングではなく、リクエストが多いものだけがかかるわけではなかった。
僕にこの番組によって「アワー」という単語を「楽しい時間」と記銘したので、大人になって「ラッシュアワー」に悪いイメージが沸かない。
もしも尾崎豊が「Fリク」で育っていたら、今頃どこかでサラリーマンとして暮らしていたかも知れない。

 

次の曲は甲斐バンドのバス通りです
甲斐バンド、新しいアルバムが出ましたね
さてリクエストは島原市の夢見る少年さんから
「**さんこんにちは!(こんにちは)
毎週聞いています(ありがとうございます)
私の一週間はこの番組を中心に回っています
甲斐バンドのバス通りをリクエストします
この歌詞を聴くと憧れの女子のことが目に浮かび、胸がきゅんとなります^^;)
これからも、がんばってください!」
といただきました。
同じような声をたくさんいただいていますねぇ

・・・と、こんな感じで数人のハガキが読まれる
(当時、絵文字はない)
メッセージを紹介するのは1曲につき1人か2人。あとはペンネームだけが読み上げられる

僕はこれに人生を賭けていた(笑)

よほどのことがない限り、メッセージは書かない
ただ、ペンネームを読み上げて欲しいだけ
初めの頃は曲名、歌手名、ペンネームだけを書いたシンプルなハガキだったが、凝りだしたら止まらないのが僕の悪いクセ

エアチェックしたい曲の発売情報を得ると、引き出しから買い置きのハガキを取り出す
鉛筆で下書きをしながらハガキのレイアウトを決める
そこで、本来ならば参考書を塗りつぶすために、親から買い与えられた緑・黄・オレンジの「蛍光ペン」が登場
文字を色分けしながら立体的に浮かび上がらせていく作業だ
今のようにフリクションはないので、失敗しないよう集中する
作業時間は日増しに長くなり、ついには1枚を仕上げるのに1時間はかけていたと想う。

その甲斐あって、僕のハガキは毎週のように読まれた
多い時は1回の放送で3~4回読まれることもあった
まさに「常連」である

ある時、ハガキを読む女性パーソナリティがハガキのクオリティに言及した
「◆さんからいただきました。この◆さんのハガキ、いつもスゴイですよねぇ。蛍光ペンで書いているんですよね~、お見せできないのが残念なのですが、毎回、すごく力作を送ってくださるんです」

僕は感無量だった・・
かというと、そうではなかった
なにせ、若くてお調子者なのだ。まだ、謙虚という言葉をよく知らない

賞賛に気をよくして、さらにハガキ作りに時間をかけるようになり、止めておけばいいのに「これを書くのに1時間かかりました」といったことを書き添えた

幸せの絶頂にいる時は、その幸せがいかに脆いかを気づかない

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2020年6月20日 (土)

90分テープにバラバラな音楽が同居する時代

前回の話しを読み返していて、気づいたのだが、想えば「夕べのひととき」のエアチェックには90分テープを多用していた気がする。
当時のLPは大半が両面で45分以内。90分テープならばテープを裏返さないで、そのまま1枚が録音できる。
45分テープでエアチェックした場合、LPのA面が22.5分で終わらないというリスクもある。90分テープならばそこは安心だ。

ただ、都合よく同じ歌手のアルバムが2枚手に入ることはない。
従って、僕のカセット・ライブラリーには

A面「ホテルカリフォルニア」イーグルス
B面「イルカライブ」イルカ

のように、全くテイストが違うどころか、和洋バラバラの音楽が入ったものが散見された。
幼少より几帳面な性格だった僕は、そういうカセットの背見出しを見て忸怩たる想いだったが、今ならばとても懐かしく微笑むことができる。

1981年に「貸しレコード屋」ができるまでこの傾向は続いた。
レコードの10分の1の値段で、好きなレコードが借りられるようになってからは"同じアーティストのリリース順にアルバムを揃える"といった音源収集ができるようになり、カセットライブラリーは、几帳面な僕の納得いくものになっていった。


あらゆる世代間ギャップにおいて「○○登場前後」というものがある。
パソコン、インターネット、携帯電話、電子ゲーム、在宅勤務^^;)
大概の場合「登場前」を知っている世代は、登場の前・後を知る幸せを懐かしみ、登場前はどれだけ不便だったかを嘆いてみせ、それでいて、そこには幸せがあった。その幸せを君らはわからないだろう・・と独りごちて「登場後」の世代に嫌がられる。

「貸しレコード」の登場はラジカセファン、オーディオファンの暮らしを飛躍的に幸福化した。
今でも、ジョイフル西新店で検盤をして250円と引換に「Journey」の新譜レコードを持ち帰った幸せを想い、笑顔になれる。
(結局言ってるし)


「夕べのひととき」と並んで、僕のラジカセ生活に欠かせなかったのが「FMリクエストアワー」(以下「Fリク」)だ。
僕の一週間はこの番組を中心に回っていたと言っても過言ではない。

父の異動で僕は中3に上がる時、五島から佐世保に引っ越した。もちろんラジカセ「National RQ-552」を持って。
魚中(うおちゅう=魚目中学校)では全校生徒に部活加入(しかもすべて運動部)が求められており、バレーボール部に入っていた僕は、転校先の佐世保の中学では帰宅部に入った。
「バレー、入ればいいやん」と誘ってくれた友達に対しては、表向き「五島ん時もレギュラーになれんかったけん、佐世保のレベルには付いていけんよ」ということにしておいたが、土曜日の午後「Fリク」を録るためだったのだと想う。

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2020年6月19日 (金)

DJとミキサーとリスナーの信頼感

スタジオのレコードをかける人(ミキサーかな)はエアチェックしている僕らの気持ちを察して、DJの声をマイクオフしてから2秒ほど間を開けて静寂を作ってくれる。
僕らはその猶予の間に[PAUSE]ボタンを上げればよい
この安心感が僕らとこの番組をつなぐ信頼。今風にいえば絆だ。

AMの番組は音質がいま1つということもあり、エアチェックには向かないが「RKBベスト歌謡50」を録音するリスナーはいた。
こういった番組ではDJの声と音楽の頭や終わりが被ることも珍しくない。そこは保証されていないというのが、僕らの認識だった。

ある時、リスナーからの「エアチェックしているから配慮して欲しい」という投書に対して、ハヤシさんは「この番組はエアチェックを想定していません。DJと音楽の妙を楽しんで」と明確に応えていた。
多くのリスナーはそれに異論がなかったし、僕はハヤシさんのように、誤解を恐れずしっかり主張を通せる大人になりたいと想った。
これはけっこう本当である。
そうか、僕のこの性格はハヤシさん譲りだったのか・・
今気づいた


さて「夕べのひととき」では、LPのA面が終わる
3秒ほど間を置いて、DJが再登場する
NHKなのでCMは入らない
そろそろ終わりかなとは想っているものの、A面がいったい何曲入っているのか、どれがA面最後の曲なのかわからないので、DJの声を聞いてテープを止めていた。

DJは僕らのために間をつないでくれる
いやぁ陽水いいですね、進化してますねぇ
と言ったかどうか知らないが、とにかく話しながら時間をつくる。
もしかすると、ここでリクエストハガキを紹介していたかも知れない。
この番組でどのレコードをかけるかは、リスナーからのリクエストに拠っていた。

親から「おいおい頼むから、もっとお金を使って減らしてくれ」と懇願される子供以外は、お小遣いで買えないレコードをリクエストする。
それは、大抵、発売されたばかりの新譜だ。
週刊FMの新譜紹介で「おっ甲斐バンドの新しかとのでとる」と見つけると、僕らは親からせしめた使わずに余った年賀はがきでリクエストを書いた。
1度だけ、僕のリクエストが叶いペンネーム(最近はラジオネームと言うようだ)が読まれたのは、友川かずきのLPだった。
「若いこだま」のDJをやっていたとはいえ、当時の友川はマイナーで(その後もか)正直なところ、そのLPがかかるとは想っていなかったので「あぁNHKに一生ついていこう」と誓ったのだった。


DJがツナグ間に僕らはカセットを終端まで巻き送りして[EJECT]
リードテープを鉛筆ときどき指で起用に回して磁性体のついた所に合わせて、さっきの裏面にしてテープを装着。再び録音スタンバイ
つづいてB面をエアチェック。


ラジオから録音したテープを個人で楽しむことは合法だとはいえ「夕べのひととき」ほどエアチェックファンに親切な番組は後にも先にもないと想う。

当時はレコードを録ることに必死で、それだけしか録音していなかったが、今となっては番組の始まりから終わりまでの一部始終を録っておけばよかったと想う。

ときおり、カセットに残っている消し忘れ、余計に録れた音が、後世にはとても貴重だ。

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2020年6月18日 (木)

LPをまるごとかけてくれたエアチェック御用達のFM番組

それは木曜の午後6時
週に1度、僕にとって最大のイベントの時間がやってくる

少し早めに部屋に入り、紐を2度引いて蛍光灯を点す。
二灯並んでいる蛍光灯の片方だけが点る。
ここから約1時間は、どんなことがあっても紐を引くことはない。
デンキをオンオフすると、それがラジカセに「ぶつっ」というノイズとして録音されてしまうからだ。

その時の強いプレッシャーが今も拭えないのか、調光できるシーリングライトを手に入れてからも、デンキの切替は最低限に抑える習性が身に付いている。
1日じゅう出かけない日は朝「白い色」をつける。
日が暮れる頃「全灯」に切り替える。
夜寝る前に消す。操作はたった3回だ。

ある時、僕がレコードを録音している時に、姉が部屋に入ってきて「デンキば明るくせんね」と言ってデンキを操作した。
僕は散々文句を言ったあと、録音を最初からやり直したのは言うまでもない(言うまでもないのか・・)


NHK FMを選局
といっても、長崎ではFMはこれ1局しか入らなかった。
AMならば福岡、SWならば海外の電波も入るのだが、FMの電波は遠くまで飛ばないので、長崎県内の放送局に限られるのである。

番組の名前を憶えていない
「音楽のゆうべ」
「夕べのひととき」
なんか、そんな名前だった気がする
いま「Google先生」に聞いてみたら「夕べのひととき」で合っていた。
先生はなんでも、知ってるな~


この番組はありがたいことに、LPレコードを1枚まるごとかけてくれた。
ぷっぷっぷっぷー
他局より1回多い NHK、6時の時報が終わるとDJが挨拶も早々に今日かけるアルバム名を紹介する。
それで、その日、エアチェックできるレコードがわかる。

よし、もらった!
今でいえば「きたーーーーーーーーーーー」

という日はまず[PAUSE]を押しこんでから[REC]+[PLAY]を押下してスタンバイ
息を殺して彼女の声に耳を傾ける(彼の時もある)
記憶にはないが、ここで、曲目と曲数の紹介があったかも知れない。

DJの「それではお聞き下さい」という言葉が終わったのを見極めて「PAUSE」ボタンを一旦押しこんで離す。
勢いよくカセットテープが回り始め、音楽が始まる。

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2020年5月23日 (土)

音楽の先生が貸してくれた「断絶」

中学校に上がって音楽と出会う。
それまでもフォーリーブス、スパイダース、Pygといったグループのレコードは持っていたが、おこづかいには限りがある。
保有している音源はとても少なく、たまにステレオで聴き、歌詞カードを見ながら歌う程度だった。

その日、音楽の授業が終わり、音楽室から教室に戻ろうとした時、音楽の立岡先生に声をかけられた。
「moto君、ようすい聴いたことある?」
その名前が、かすかに記憶に引っ掛かった。
確か、従姉妹のアツコちゃんが言っていた人だ。

僕が親戚の家に遊びに行くと、彼女はその時"はまっている"音楽について、僕を啓蒙する習慣があった。
ある時はディープパープル、ある時は南こうせつ、そして、その日は陽水。

「満員電車で床に倒れた老婆が笑うとってよ、詩のすごかろ~」
と言って、彼女はその秀逸さを力説した。
なんじゃ、そりゃと思ったが、尋常ではない人だということは伝わり、その違和感が記憶に残った。
(ディープパープルについて、何を説得されたかは覚えていない)


立岡先生から「家にステレオあるとよね?これ貸してあげるけん」といって手渡されたLPのジャケットには階段に座ったアフロ青年。タイトルは「断絶」とあった。
なぜ、学校に私物のレコードを持って来ているのか、それを生徒の僕に貸そうとするのか意味不明だったが、せっかくのご厚意なので僕は快く借り受けた。

今思えば、自宅にステレオセットがある家というのは、他にはあまりなかったのだろう。もしかすると、この記憶は僕のねつ造で、僕の方からレコードの貸与を要請したのかも知れない。
もう会うこともないから、いいだろう(笑)


「音楽」と出会った。
まとまった音楽という形に出会い、それが、習慣になるきっかけは陽水だった。
とここで、陽水について語りたいところだが、本題から逸れるので、後日の巻として、ラジカセの話しに戻る。


それまで僕の音楽習慣は、レコードをターンテーブルに乗せて盤面を傷つけぬよう慎重に針を落とし、聞き終えたら元の袋に仕舞うだけのものだった。
初めて借りて来たレコード。借りたものは返さなければならない。いずれ、聴くことはできなくなる。
この音楽を手元に残したい。されど、方法がない。
後に少々の知識を得た後ならば、ステレオのヘッドホン端子に変換アダプターを挿し、ミニプラグのコードでテレコにつないで録音するという手段を思いついただろう。

「断絶」を盤面に傷つけることなく、立岡先生に返すことができて、ほっとする反面、また聴きたい、もっと聴いていたいという思いが募った。

つづく

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2020年4月10日 (金)

佐野さんがソーシャルディスタンスで新曲を公開!

いつも通りGoogle news をチェックしていると、佐野さんの新曲情報があがっている。

■新曲「この道」(Social Distancing Version) 4月8日夜9時プレミア公開
どうやら、新曲はネット配信。しかも無料

日本政府から新型コロナウイルス感染症についての緊急事態宣言が出るなか「いつもの佐野さんだ」というのが最初の印象だった。

過去には阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、同時多発テロ、東日本大震災・・人々が苦境に立った時、彼は音楽家の使命として、音楽や言論あるいは暖かい励ましの言葉を発信してきた。


「9.11」米国同時多発テロが起きた一週間後の9月18日。
佐野さんがテロの夜に書き、プライベートスタジオで録音した「The light」が一週間(2001年9月18日21:00~9月25日)公式ウェブサイト「Moto's Web Server」で無償提供された。
当時まだ音楽配信は一般的ではなく、ましてや音楽家が無償で楽曲を公開することはなかったので驚いた。
そして、僕らは「佐野さんらしい」と思った。


時は流れ、音楽家が無償で社会に貢献することは珍しくはなくなった。
そんな中での無償配信
情報を詳しくチェックすると、そこに"佐野さんらしい"ことが書かれている


Moto's Web Serverより引用)

佐野元春のコメント:

外出を控え、距離を保ち、健康に気をつけて、支えあう。
たとえ離れていても絆は壊れない。僕はそう思っている。

この曲は、コヨーテバンドのみんなそれぞれの自宅で、インターネットを介してマルチレコーディングをした。
映像はみんなそれぞれに自撮りをした。僕たちはこの作業を、一切誰にも会うことなくそれぞれの自宅で進めた。

(引用ここまで)


4月8日、お釈迦様誕生日・灌仏会の夜 21:00
リリースの時間にパソコンの前で待ち構えていた
右ペインではオンライン・リスナーのtweetがタイムラインで高速に流れていく。
1,837人が視聴中と表示されている。


マルチスクリーンの中央に佐野さん
左右に3人ずつCOYOTE BANDのメンバー
これは最近、仕事でも見慣れたテレビ会議(board meeting)の情景だ
お、佐野さんのフレームには犬が映っているぞ^^;)
(仲間のtweetによると、ZOOEY君らしい)


これはまだ誰もやったことないだろう
どうだ!
僕が威張ることじゃないけれど、嬉しい


副題の(Social Distancing Version) が素敵だ。
ソーシャルディスタンス
感染を防ぐためにとる人と人との間隔(2m)

1980年、アンジェリーナでデビューした佐野さんは今年デビュー40周年
松田聖子と同期
(ちなみに「ハートのイヤリング」は佐野さんが提供)
今はこうして互いに2mの距離をとっているが、三密(密閉、密集、密接)の場所で、アニバーサリーイヤーの佐野さんに会う日が待ち遠しい。

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2020年1月 6日 (月)

2020年は、LOVE PSYCHEDELICO 20周年

最終話
2019年9月24日(火)
EX THEATER ROPPONGIPremium Acoustic Live “TWO OF US"

いつものロック・ライブではどうなのだろう?
誰かに意見を聞きたい。
しかし、家に帰って「教えてくー」に聞いても、説教されるのがオチだ。
その答えを持っている人は今、ここで駅に向かって歩いている人達だ。

「すみません。僕は今日初めてデリコのライブに来たのですが、いつものライブも今日みたいに曲によっては手拍子を打たず、静かに聴き入っているのですか?」

誰かを呼び止めて、聞いてみたいという衝動に駆られたが、実行には移さなかった。
それは、いつか、自分が「ロック・デリコ」に行った時、この目で知ることにしよう。

2020年はデリコ20周年のライブを見たい。
普通の立って歌うロックコンサートも見たい。
今日は「Everybody needs somebody」が聞けなかったからね
KUMIはその時は楽器を演るのだろうか
「デリコの聴衆」たちはどう動くのだろう


翌日、NAOKIがtweetした
「昨夜東京公演初日、素敵な時間をありがとうございました。
演奏に深く集中することが出来た貴重な体験、オーディエンスの皆さんに感謝します。
楽しかった!」

僕が感じていた「デリコの聴衆」の特別な素晴らしさを、彼も感じていたと知って嬉しかった。

 

ライブからおよそ3か月後
あれだけ話題になった令和も、いつもの年の瀬と同じように暮れようとしていた12月13日。
LOVE PSYCHEDELICOの20周年関連ニュースがリリースされた。

■テレビ放送
2020年1月25日19:00
日テレプラス(CS放送)
「LOVE PSYCHEDELICO 20TH ANIIV. EDITORIAL CONCERTS」

■ライブ出演
2020年2月8日
LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
「新日本製薬 presents SONGS&FRIENDS」
※佐野元春「Cafe Bohemia」再現コンサート

2020年4月25日-26日
仙台市みちのく公園北地区エコキャンプみちのく
「ARABAKI ROCK FES」

■発売
2020年3月25日

【1】全シングルを集めた4枚組CD
「Complete Singles 2000-2019」

【2】東京・EX THEATER ROPPONGI公演を収録した映像作品
「Premium Acoustic Live “TWO OF US” Tour 2019 at EX THEATER ROPPONGI」

【3】「“TWO OF US” Acoustic Session Recording at VICTOR STUDIO 302」のアナログレコード

【4】【1】【2】【3】と「譜面集」「特製トートバッグ」のBOXセット
「20th Anniversary Special Box」

LOVE PSYCHEDELICO Premium Acoustic Live“TWO OF US" Tour 2019

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