2026年1月21日 (水)

生きる勇気

その友達、名前はハシモトさん(仮名)ということにしよう
ハシモトさんとの再会は10年ぶり
いや20年ぶりなのかも知れない
「何年ぶりかな」と2人で考えたけれど、正確なことはわからなかった。
お互い歳をとっているというのもあるが、だいたいの人は過去の記録を暦日で覚えていないと想う。

年賀状のやりとりを続けていたが、数年前にハシモトさんから「今年で年賀状は終りにして、来年からはLINEでお願いします」として年賀はがきにLINEIDが書いてあった。
当時の僕はスマホにLINEが入っているが、それはパスタ屋さんで「煮卵サービス」をもらうくらいしか使っていなくて、世間でよくいう「友達追加」というのをやるのは初めてだった。

それから、元旦になるとハシモトさんから年賀LINEが届き、僕もそれを返す
「また、みっちゃん行きましょう」
「いいですね」
最後に会った日に呑んだ店にまたいこうというのが、お決まりのやりとり
そうは言いつつ昨今僕は呑みに行くことがないので、いわゆる社交辞令だ。


2026年元旦
いつものLINEが届き、僕は「みっちゃん行きましょう」と返す
その返答にちょっと衝撃をうけた。

「実は一昨年、がんがみつかり・・」

昨今「実は」はとても安く使われていて「実は・・」で始まる話しが大したことだった例しがない。
「実はピーマンが嫌いで」
とか言われても「知らんがな」(心の声)と想う



去年「余命半年」宣告を受けたという

その半年が今だ。
文面によると今も体調はよくてスポーツを楽しんでいるというので「よかったら、お茶でも」と返した

それから3週間
ハシモトさんの治療スケジュールをにらみ、わりと状態がおちつく辺りを選んでファミレスで落ち合う。
「お茶じゃなくて、昼飯ビールでどうですか?」
というハシモトさんの申し出に即応した

5年前に泥酔して怖い想いをして以来「外では一滴も呑まない」ことにした。
一瞬「僕はウーロン茶で」と返そうとしたがやめた。
それじゃ、無粋だから


ファミレスで再会したハシモトさんは(20年前と)さほど変わらなかった
元々痩せていたから、痩せたと言われてもそうかなというくらい

髪の毛は前から寂しい感じだったので「髪の抜けない抗がん剤にしてもらった」と言われて、そこツッコンでいいのかと一瞬想ったがやめた。

世の中には、久しぶりの再会で「老けたな~」と第一声を発する人がいる。
そういうヤツに限って、びっくりするくらい老けている。

ある意味、この話題は武士の情けというか禁句だと僕は想う。
僕は久しぶりに会う友には開口一番「全然変わってないね」ということにしている。
「変わらない」と言われて怒るのは元パワハラ上司くらいだから。
ただ30代の男の中には「成長していない」と勘違いする輩もいるので、そこは要注意。


5年ぶりに外で呑むビール、久々の昼飲みは格別だった・・
かというとそうでもなく普通だった。

ハシモトさんが新薬や治験に賭けているポジティブな姿
それは、いつもと変わらぬハシモトさん過ぎて、あまり感慨がなかった


それから、1日経った今
生きる勇気を見せてもらったな
と想っている。
その話しを聞きながら、最近自分が悩んでいることや懸案は、とても小さいなと想っていた。

生きていればなんでもできる
ハシモトさんとはまた会うかも知れないし、これが最後なのかも知れない

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2025年9月13日 (土)

新しい航海

荒波にこぎ出す新しい門出を祝います。

玄関を出た瞬間「ムリ」となる、この暑さ
効率のみを追い、プラスチックをまき散らした先人が悪いのか、もともと決まっていたことなのかわかりませんが、外を歩くだけでライフが削られるこの厳しい世界で生きていく。
まず、それだけですごいパワーだなと想います。


今から15年ほど前、僕はISO14001の仕事をしていました。
毎年1度新たな行動目標を決めて・・
例えば「ペットボトルを分別する」「レジ袋を断る」といった
研修では要員に興味をもってもらおうと、3R(Reduce,Reuse,Recycle)の現実、気候変動で将来気温がどれくらい上がるかといったことをしらべて話しました。
皆さん興味深く聞いてくれて、目の前の目標にしっかり楽しんで取り組んでくれました。

ただ、それでも気温上昇はやってきます。
僕らができることは、目の前でやらなければならないことをしっかりやって「100匹目の猿現象」を起こすことなのだと想っています。

今の僕にできることは、週に1度「プラスチックの日」に向けてしっかり分別することくらいですが、そこだけは頑張ります。


僕が仕事を終える直前、職場では「DX勉強会」が行われていて、そこには知識としてのAIが登場していました。
自主的な勉強会ということで、時間外にオンラインで有志が集まってきます。
事務局をやっていた僕は、仕事としてその様子をみていたのですが、参加者たちの高揚感に接して「僕には関係なくてよかった」と想いました(笑)

1990年に僕が50万円を投じてノートパソコンを買った時、職場では全員が紙とボールペンにFAXで仕事をしていました。
パソコンや電子手帳を駆使して仕事をする僕は「変わり者」と言われていて、異動先の支社では「変なヤツが来る」と歓迎されていなかったことを後で聞きました。
ノートパソコンが発売された頃、AIに集う有志たちのように「時代の変革に立ち会う共感」のようなものは皆無でした。


正直なところ「IT担当者」だった僕からみて「DX」を崇拝する人たちはいけ好かない。
かつて、情シと呼ばれた頃、SEたちは人情味のある人が多かったと想います。

DX、AIを崇拝する人たちには、人に対する敬意、親切さが欠けるなと想いました。
それが「僕には関係なくてよかった」と想わせたのです。

今、実力を発揮し始めたAIに接して、これを駆使する楽しさを想うとワクワクします。
どんな人がワクワクできて、どんな人がビクビクするのかは、賢明な君たちならばわかっていると想います。


荒波にこぎ出す新しい航海を祝います。
おめでとう。

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2025年4月20日 (日)

しらべる 25周年

2000年4月20日に始めた「しらべる」は今日で25周年。
その間、毎日更新(毎日1記事以上作成)を25年間 (9151日)つづけてきました。


今よりも可処分時間が短かった サラリーマン当時は「定年までなんとか頑張って続けよう。そうすれば時間ができて、そこから先は楽になる。今やめたらその時に後悔する」と想っていました。
しかし、こうして時間は増えたものの、なかなか楽になりません。

いま「定年したらゆっくりできる」と、それだけを楽しみに頑張っている皆さん
それはある意味 妄想です(笑)

サラリーマン時代、勤務+通勤で費やしていた「1日10時間」が自由に使える分、日々はゆとりだらけかと想ったら大間違い。
未だに昼間からメロドラマを見たり(古い)1度やってみたかった「昼間からビール」もありません。

以前は「時間は使えば使うほど増える」と想っていましたが、
今は「時間はあればあるほど減る」というのが実感です^^;)
次から次に時間を費やすアイテムが増えているのか、いったいどうなっているのかは、いつか立ち止まって検証したいと想います。

ただ「心の自由」は手に入ります。これは何物にも代えられないです。

物理的な自由~「あれもできる、これもできる」といった自由はお金に連動します。時間とは連動していません。
「お金で買えるもっとも素晴らしいものは、時間と自由と静けさだと僕は考えています」と村上春樹さんが語っているように。


そんな中でも時々、過去の「しらべる」やこのブログ「しらべるが行く」を読み返すことがあります。
サラリーマン時代には絶対にやらなかったことです。

なぜ、やらなかったかというと「書き間違いに気付くから
限られた時間で書きアップロードした原稿は、自分で読み返す時間がありません。
商業出版ではないので誰かが「校正」についてくれることもありません。

誤字・脱字、言い回しの重複、用法の誤り
まちがえて、そのまんま、放置

気付いてしまうと、直さずに居られない性格なので、見るのが怖かったのです。
最近は時折「あの時は、どう書いていたかな」と見返すことがあるわけですが、誤字がなくても、言い回しを書き換えたい欲求に駆られます。
従って、できるだけ見ないようにしています^^)

プロでお金をとっている原稿に、こうした誤字・脱字のオンパレードなものがありますが「書くことで精一杯なんだな」と想います。
「誰かに校正してもらえばいいのに」とも想います。
お金を出して読んでいる人は「またかよ」と想っているのですから。
ただ、有料読者からしてみれば「少々書き間違えてもいいから、旬の情報をたくさん書いて欲しい」というのが願いです。



いつも、読みに来てくださってありがとうございます。
できるだけ、誤字脱字がないよう、役に立つことが書けるよう、続けていきたいと想います。

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2025年4月 1日 (火)

ベン千代子

君も聴いたことがあるかもしれない
社会の端で震えている
けれども少しだけユーモラスな、その人の名を

僕が最初に彼女を知ったのは長崎ヴェルカが関東アウェイ戦にやってくる試合のチケットを買おうとした時だった。

それはもう5年前のことなので、すっかり彼女のことは忘れていた。
つい最近、V・ファーレン長崎の応援で遠征しようと思い立ちしらべていて再会した。

B.LEAGUEの各チームはベンチ横のシートを最も高い価格で販売している。
試合もよく見えるし選手との距離も間近

B.LEAGUEの特異性は試合との近さ、選手との近さ。
V・ファーレン長崎のPeace Stadium(ピースタ)は「日本最短 ピッチまで5mの近さ」だが、B.LEAGUEの場合は何処でもコートまで1~2m。
試合前には手が届く距離で選手がうろうろしている。
況してやベンチ横シートとなると、試合中も選手の真横。
TIME OUT!時には、チームの一員になったような臨場感がある。

ベン千代子

バスケットLIVEを見ていると、ベンチすぐそばのシートがぽつんと1つ空いていることがある。
千代子という名前の人は、そのシートに購入枠があるという伝説を知って以来「あぁ今日は千代子さんの買い手がなかったんだな」とわかった。


ピースタはベンチが客席にめり込んでいる(笑) とても珍しいスタジアム。
恐らく日本では他に類を見ないと想う。
従って、メインスタンド SSシート右端あたりがベンチ横となる。
そこをシーチケで買う場合、事前に名前が千代子であるか確認が入るらしい。

B.LEAGUEではベンチ横シートの最前列、もっともベンチ寄りのシートは千代子さんの席。
発売開始日にチケット購入画面を開くと、その座席は既にグレーアウトしているという。


ベン千代子さんが、ベンチ横に座ると本人確認のため、控えの選手がやってきて合い言葉を問いかける。
「千代子さんですか?」
すると、そこに座った方は「べんべん」と応えなければならない。

このネタ、わかる人がいるのか不安だ
外国籍選手に吹き込まないようにお願いしたい

嘘の話しの歴史


ベン千代子は、僕が使っている かな漢字変換システム ATOKで「べんちよこ」と入力した時の First Choice
5年前に現れ、今回再会したということは、ATOKユーザーにはB.LEAGUEファンがいないのだろう。

あなたが使っているスマホ、パソコンのFEP(現代はIME)では、誰が出てくるか試してみて欲しい。

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2024年9月 7日 (土)

いくらまでお値下げ可能ですか?

あなたに気になる異性がいるとしよう
告白したいけれど、告白にはリスクを伴う
もしも、けちょんけちょんに振られてしまったら・・・
これまで築いていた友達としての関係にヒビが入る
「そんなふうに想っていたなんて」
サイアクの場合、もう口もきいてもらえなくなる
まだ「リスク管理」という言葉も考えもなかった頃、痛い目に遭い続けた僕にとっては、このサイアクはデフォルトに近い(泣)

「つきあってくれるなら告白します」

もしも、告られる側のあなたがこんな言い方をされたら、どうだろう?
「いやいやいやいや」と現代人が4回セットでいうところを倍の8回言うかも知れない。

そもそも、設問として成り立っていない。
相手には「好きだ」「付き合いたい」という気持ちがバレバレである。
それなのに自分を護るためにおかしな前提をつけている。
人として信頼できない。
「ごめんなさい、友達としてしか見れない」
で済んだかも知れないのに
「ごめんなさい、人として見れない」
になってしまうだろう。


サラリーマンの貴方が労働組合の執行委員になったとしよう。
年が明けると「旗開き」をして各職場から組合員の意見をとりまとめ、それを「春闘」という団体交渉の場で会社側(役員の皆さん)に要求する。
従業員の誰もが一時金は多いほどいいし、ベア(ベースアップ)も勝ち取りたい。
もしも、交渉が不調に終わり、組合員が「実際これくらいとれたらいいな」と想っていた予想を下回ったら・・・
「あいつら御用組合か。どうせエラくなるから会社に強く言えないんだな。腰抜けめ!」
サイアクの場合、交渉役の役員たちからも「臆病者」のレッテルを貼られる。

「今回の春闘ではぶっちゃけいくらまで出していいと想っていますか」

もしも、会社側のあなたがこんな言い方をされたら、どうだろう?
その場では笑ってやり過ごし、会議を終えて人事部長に電話を入れるかも知れない。

ものごとには言っていいことと悪いことが、場の格式によって決まっている。
できれば人と人はぶっちゃけて、腹を割ってつきあいたい。共に助け合いたい。
だが、組織で生きる者には「立場を演じる」という役割がある。
そして「立場を演じる」ことを意識している人は意外と少ない。


あなたはメルカリに出品している
不要になったからと言ってゴミに出すのは忍びない。
誰か大切に使ってくれる人の元へ渡れば、心の安住が得られる。
出品価格で売りたいが、値引き交渉があれば考えようと想う。
メルカリには評価制度があるので、できるだけ友好的に交渉を進めたい。
サイアクの場合、取引したうえで悪い評価をつけられかねない。

いくらまでお値下げ可能ですか?

あなたの出品にこんなコメントがついたら、どうだろう?
いやいやいやいや と4回で済ませるのではないか
なぜならば、もう飽き飽きだから

あなたが真摯に「2,000円までならば」と書いたとしよう
しかし、質問者からは待てど暮らせどコメントがつかない
質問者は「その値段ならば要らない」と去ってしまったのだ
そして、あなたの手の内をさらけ出した出品が残る

誰もが安く買いたい、他の誰かと同じように
だが、値段交渉には道徳がある。
それは買う側が金額を提示するということだ。

「値段交渉をしない方がおかしい」と言われる某国の**商店街に行く
500円の品をみて「450円にならない?」というのが普通
「これ、いくらまでまける?」
How much will you discount the price?
と言おうものなら、国際親善にヒビは入らぬものの、しっしっと追い払われるのが落ちだ。


メルカリで「いくらまでお値下げ可能?」をやっている人が、どんな人なのかを知らない。
なぜならば、身近な人に一人一人聞いて回ることはできない。
「いくらまでお値下げ可能?」コメントをしてきた相手に
「ちょっといいですか?あなたはどういう環境に育ち、現在どのような仕事をして、どのような経済状況にある方ですか?」と尋ねるわけにもいかない。

「いくらまでお値下げ可能?」の民は、ネット上で見ず知らずの相手だから、常識の枠を外してモノを言い、リアルではとてもまともな人なのかも知れない。

「いくらまでお値下げ可能?」が非常識な振る舞いとして淘汰されるのか
「100匹めの猿現象*」として広がっていくのか
前者であると信じたい。

*100匹めの猿現象
ある範囲の中で、ある行動をする者の数が一定の量になると、その行動が距離や空間をこえて広がっていくとする仮説

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2024年9月 4日 (水)

まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がする体内暦年時計「今年が去年のような気がする」問題

1日に1回は必ずパソコンに打ち込んでいる数字がある。
新しいサービスに入会しない限り、自分の名前は滅多に打たないが、その数字は1日1回と言わず多い日は10回くらい打つ。

それが「暦年」
今年であれば「2024年」
これだけ打つのならば単語登録したほうがよいと想って今登録した^^;)
24→2024年

ことし→2024《今年》 《》内はコメント
ATOKでは「ことし」とタイプすると上記の候補が出るが、大抵の人は「今年が何年か」を覚えているので「2024」と打つ。僕もその一人
・・・のはずだったのだが、ここ数年異変が起きている

■僕の脳内(中継)
西暦を打つよ~
今は202・・あれ? 2024は去年だったか
だから2025
いや違う、まだ2024でいいんだ
(「2024」と手を動かしながら)
2024年ってもう終わったような、もう2025年を生きているような気がするな


この「暦年感覚」が狂いだした始まりは「2020」だった。
東京2020があまりに楽しみで、2019年を生きている時既に脳は2020年を生きていた。
そこで1年「体内暦年感覚」が狂い、そのままなのか。

それとも「歳をとるほど時間の流れは速くなる」
つまり僕が歳をとったためなのか。
経験済みのことは時間が短いと感じる。
「土俵づくりボランティア」の1度めは、すべてが未経験なので1時間は1時間なのだが、2回めからは次になにが起きるかが読めるので体感的には1時間よりは短く感じる。

経験済みのことが増える
 ↓↓
時間に順応する能力が高まる
 ↓↓
相対的に時間を短く感じる


加齢はここ数年に始まったことではない。
「時の流れが速い」ことに違和感を覚えて、その理由をしらべたのは2007年だった。
歳をとると時間が速く過ぎる

恐らく、僕の「今年が去年のような気がする」原因は上に挙げた2つの理由が合わさったものだ。


2000年に「ドッグイヤー」という言葉が流行った。時代の移り変わりのスピードが速いことを犬の成長が速いことになぞらえた言葉だが、実際なんの足しにもならない言葉遊びだった。
2024年の今死語となっているが、ドッグイヤーという言葉が定義されたことは無駄ではない。こうして後生の人が「こんなことを伝えたい。多くの人が"あれね"とわかるように」と考えた時に引用できる。


ものごとには名前が必要で、名前が定義されていない物事は説明が煩わしくて、話題にのぼりづらい。

あなたにもしも名前が定義されていなければ・・
「推定年齢20台、一見なんの変哲もない男だが、やたらとサッカーに詳しい丸顔の好青年」
あなたを呼びたい人は毎回、呼び方に気を遣い、頭を使わなければならない。

僕が謎に感じている「今年が去年のような気がする」問題にも名前をつけてみたい。

①「2024年問題」 チガウチガウ^^;)
②「時間は未来から過去へ流れている」 長い
③「LIF=live in the future」

僕が「今年が去年のような気がする」のは、来年にリアリティを強く感じているから。「未来を生きる」は英語で live in the future
ということで しらべるの造語 として新たに「LIF」を加えよう。


さて今日は「かまってちゃんのSNS」みたいに締めくくりたい。
まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がするのは僕だけでしょうか?

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2024年7月30日 (火)

もしも玄関の前が「***」だったら・・・

ドラえもんの道具でなにが欲しいと聞かれると
圧倒的に多い答えが「どこでもドア」

「時」を超えるタイムマシンは量子論の世界では既に実現しているというが「空」を超える「どこでもドア」は開発中という話しも聞かない。


もしも玄関の前が「最寄駅」だったら・・・
朝はもっと遅くまで寝ていられる。終電も苦にならない

もしも玄関の前が「佐世保玉屋」だったら・・・
月に3度は玉屋のサンドが食べたい

もしも玄関の前が「デパートの1階」だったら
ドアを開けっぱなしにしてエアコン代が節約できる

もしも玄関の前が「チョコザップ」だったら・・・
腹筋を割り、腹を出した服を着てみたい(嘘)

もしも玄関の前が「かき氷屋」だったら・・・
秋から春は他の業種にしてほしい

もしも玄関の前が「ニューヨーク」だったら・・・
佐野元春さんが暮らした聖地巡りがしたい

もしも玄関の前が「餃子の王将」だったら・・・
日参して炒飯の技を盗みたい

もしも玄関の前が「アベニュー」だったら・・・
毎日通ってマスターと話しがしたい

もしも玄関の前が「コンビニ」だったら・・・
アイスで冷凍庫がいっぱいにならなくて済む

もしも玄関の前が「下関港」だったら・・・
パソコン仕事に疲れたら潮の香りを嗅ぎに行きたい

もしも玄関の前が「品川駅」だったら・・・
ドクターイエロー引退イベントに応募するために「のぞみ」に乗りたい

もしも玄関の前が「マクドナルド」だったら・・・
夜食にナゲットを食べたい

もしも玄関の前が「子どもの頃過ごした家」だったら・・・
1年に1日限定でそうなって欲しい

もしも玄関の前が「長崎スタジアムシティ」だったら・・・
シーズンシートのリセールで気を揉まなくて済む

もしも玄関の前が「とんかつ檍」だったら・・・
太って仕方がない

もしも玄関の前が「父と母が眠るお墓」だったら・・・
ときどき、お墓の掃除ができる


人々は「どこでもドア」の代わり探しにしのぎを削っている。
既にお金で買えるものもあるが、時間がセットでついてこない。
インターネットは時間と距離を圧縮したけれど、僕はまだまだ時間と距離に負けている。

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2024年4月 1日 (月)

聞きたくない人の話やニュースをカットする「気持ちの良い放送システム」始まる

7時のZXYニュースです。
まず今日入っているニュースはこちら
政府が新たに打ち出した福祉政策に対して、野党からの批判が強まっています

この映像は配信していません

つづいて、新橋の駅前で町の声を聞きました

この映像は配信していません

つづいてのニュースはこちら、好調な企業実績を受けて株価が値上がりしています。
日経平均は本日終値で過去最高値をつけました。
東証からサトウさんに伝えてもらいます・・

リポーターのサトウさんが映る

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4月からネット配信の新サービス「気持ちの良い放送システム」が始まった。
予め登録しておいた「NGワード」を含む情報をAIが検知。
その映像が流れている間、画面には「この映像は配信していません」と表示される。

上記の例では、僕がNGワードに「どの口が言う党」(略称「どの口党」)「町の声 評価する」を登録しておいた。

「遅すぎますね。うちの党が3年前に出した案のパクリです。このことで、**政権がネコババ政府だと国民に知れ渡りました」

これまでは「どの口党」党首の下品極まりない決めつけトークが全国に流れている間、僕はじっと耐えなければならなかった。

「評価しないです。議論が足りないと思います。説明責任を果たして欲しいです」

評価するとか・しないとか、いったい何様なのだ。そもそも聞く側の設問がおかしい。それに非難の映像ばかり選んでるだろ!ニュースの「町の声」がなにかを生み出すとは思えないが、町の声はなくならない。


今日、凶悪犯が無差別に3人を殺しました。
そんなニュースを聞くと心を痛める人がいる。
「**町殺人事件の続報です」「手口はこうです」「同級生の感想は」
もうえーっちゅーにと想っても、ショッキングなニュースをメディアはトコトン追究する。
情報の受け手は番組そのものを「見ない」ことしか自衛手段がなかった。

ただ、すべてを見たくないわけではない。
知りたいことは多い。人は好奇心をもって明日への希望をつなげる生き物なのだ。
情報を能動的に取捨選択できる手段は、時代が求めていたものだ。


人生には、知らなくていいことが、あふれている。
知りたくないニュース、聞きたくない話がテレビからあふれ出てくるため「私はテレビは見ない」という人が右肩上がりで増えていた。

テレビ、ネット配信を生で見ている限り、見たくない情報が避けられない。
録画、時間差で見れば、多少は回避できるのだが「このニュースだと、この後どの口党首が出るな」とスキップ・ボタンに手を掛けて待つのはストレスだ。


だが、これからは違う。
「気持ちの良い放送システム」の登場により、国ではなく自党のことしか考えていない政治家の話や、健全な気持ちで生きるにはあまりに陰鬱な出来事を詳細に知らされるリスクが軽減される。

AIはこれからも、人々が幸せに生きるための仕組みとして活躍してもらいたい。


【お知らせ】
今日は4月1日。エイプリルフール。
現実には起こりえないけれど、こんなことあったらいいなという話しを、2010年から毎年この日に書いています。
嘘の話しの歴史

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2023年4月 1日 (土)

ついに、どこでもドアが発売された!

どこでもドアが発売された

どこでもドアが発売されることは、2年前に、首都TVの経済番組WBCで知った。
それ以来、Googleアラートに「どこでもドア 発売」を登録しておき、予約開始ともに申し込んだ。
ずいぶん、値の張る品だが、WBCで観てすぐ発売元の株を買っておいたので、その売却益でおつりが来た。

購入契約後、三ヶ月にわたる研修期間を終え、筆記と実技の検定試験に合格すると、利用免許証がインストールされた、どこでもドアタブレットが納品された。


「今日の晩ご飯なに?」

突然、僕が居間に現れると、実家の姉が腰を抜かした。
「え、どうしたん?いつからおったと?」

1,500km離れた場所に住んでいる僕が、玄関のピンポンも鳴らさず、いきなり現れたので、まるで幽霊に出くわしたかのように、目を丸くしていた。

これは、まずかった。
そもそも、利用規約に抵触している。

唐突に予期せぬ人が現れるのは、あまりに非現実過ぎて、相手を驚かすどころか、恐怖心を抱かせてしまう。
場合によっては、生命の危険など、不測の事態も起きかねない。


反省した僕はその足でNEW YORKのセントラル・パーク・ウエストにある安ホテルに仮の宿をとった。
「どこでもドア」で移動しても、移動先の言語が話せる訳ではないので、そこは、東京2020のボランティア用に買った「POCKETALK S ドラえもんEdition」が役に立った。

運動着に着替えると、イーストリバーのうねりを感じながらジョギングして、ブルックリン橋を背景に「太陽がまぶしいな」と言わんばかりの苦い顔をして自撮りした。


その写真を添えて、東京のサッカー仲間に「今から日本に帰るよ」とメールを送った。
バルセロナのカンプノウに立ち寄り、FCBOTIGA MEGASTOREで仲間へのお土産を買うと、その5分後に友達のアパートを訪ねた。

彼はあまり驚かなかった。
「さっきの写真は昔のもので、お土産はネットで買った」
そう僕が説明したからだ。


翌日、僕は広大な砂丘のてっぺんに立った。
その県には47都道府県で、唯一足を踏み入れたことがなかったからだ。

「どこでもドア」には致命的な難点がある。
出口のドアは、誰からも見えてしまうため、見つかると、他人が誤ってドアの中に入ってしまう。
操作タブレットを持たない人が中に入った場合に備えて、安全装置は装備されているが、その操作を誤ると、時空の歪みに巻き込まれて、元の場所に二度と戻れないこともある。

"本来、立ち入ってはいけない場所"に行くことを禁ずる意味も込めて、出口の設定については「異空間移動法(通称:どこでもドア利用法)」で厳しく制限されている。


交通機関の旅ならば、砂丘を訪れた後、水木しげる記念館に足を伸ばしただろうが、またいつでも来れるので、砂だらけのスニーカーで自宅の玄関に戻った。
靴についた砂を記念にとっておこうかと思ったが、やめておいた。

記念という概念が僕の中から、欠け落ちようとしていた
いずれ、思い出作りとか、景色をまぶたに焼き付けるという価値観もなくなるだろう


2023年、ChatGPTが普及し始めた頃、僕はAIに質問した。
「ドラえもんのどこでもドアが実用化される確率は何%?」

AIはこう応えた。
「確率は0%です。しかし、技術の進歩により将来的に可能性が出てくることもあり、完全に不可能とは言えません」

 

*法律の規制なしで誰でも買える「どこでもドア」はこちら(2020年発売)
 ↓↓


このブログで毎年4月1日に書いている話のもくじ

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2022年4月20日 (水)

しらべる22周年

ノストラダムスの大予言が外れて、地球はこれからも続いていくことが共通理解され始めた2000年4月に始めたしらべるは、おかげさまで22周年を迎えました。

いつも読みに来てくださっているあなた!
最近、見つけたというあなた!
ありがとうございます。

しらべるは毎日更新なので、今日で8055日連続更新。
2000日遅れで始めた、このブログは6055日連載です。


一年前、21周年のご挨拶では「BCP」について触れました。
この1年、小池百合子都知事がコロナ禍の事業継続として策定を呼びかけたことで「BCP」が一般にも知られるようになりました。
しらべる周年記事の目次

その記事のなかで、しらべるを継続するための課題として(バッテリーで動く)「ノートパソコンによるアップロード環境をつくること」を掲げました。
自然災害により24時間以上の停電が続いた場合、その日のアップロードができなくなるからです。


その3ヵ月後にはノートパソコンを購入したのですが、選手村活動、定年退職などの出来事が連なり、作業を先延ばし。
年の暮れには十分な時間はあったのですが、自然災害という〆切のない相手になかなか危機感が高まらず放置が続きます。

放置が7ヵ月に迫った時、ようやく重い腰を上げました。
実はこれ、1990年に初めてのノートパソコン(エプソン386NOTEA)を手に入れた時も同じことがありました。

1989年まで市場にあったのは東芝のダイナブック、NECの98NOTEの二銘柄。そこに登場した98互換機 NOTEA は別売ハードディスクと合わせて50万円もしました。

しかし、電源を入れると「ぴーっ」と音が鳴り響き「NO SYSTEM DISC」と表示されるだけの筐体に手も足も出ず、再び化粧箱に仕舞って6ヵ月。

「自らの努力不足で箱に仕舞われたままの高額商品」
というのは、それを見る度に心から活力を奪います。
あなたも経験があるかも知れません。

「美味しいものを作るぞ」と奮発した圧力鍋
「キャリアアップ」を目指して揃えた資格教材
「進学校合格」のためのたて売り訪販教材

メルカリに出して買い手がつけば、肩の荷が下りることもあるでしょうが、貨幣価値は大きく目減りします。


30年前の時は、悩んでいた時に「パソコンに詳しい知人」を見つけて、習いに通いました。
ただ、今回は自分がやれば済むこと。

箱を開けて実際に取りかかってみると、呆気ないほど簡単に設定は終わりました。
電源を入れれば、向こうから色々指示してくれるし、アカウント設定は登録情報を元にほぼ自動。
「Windows11スペック」の機種を選んでおいたので、Windows11へのアップグレードも自動提案されて手間いらず。


最近、20周年の回で書いた「ハウステンボス20周年マグカップ」が旅立ちました。不燃ゴミから小物入れに戻したものの、再びそこで2年間眠っていたのです。

やるべきことは先送りしない
直感を信じる

教訓を得ることはたやすいですが、今は同じ轍を踏むのもまた楽しからずやと思います。

また、時々、しらべるに遊びに来てください!
moto

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