2024年9月 7日 (土)

いくらまでお値下げ可能ですか?

あなたに気になる異性がいるとしよう
告白したいけれど、告白にはリスクを伴う
もしも、けちょんけちょんに振られてしまったら・・・
これまで築いていた友達としての関係にヒビが入る
「そんなふうに想っていたなんて」
サイアクの場合、もう口もきいてもらえなくなる
まだ「リスク管理」という言葉も考えもなかった頃、痛い目に遭い続けた僕にとっては、このサイアクはデフォルトに近い(泣)

「つきあってくれるなら告白します」

もしも、告られる側のあなたがこんな言い方をされたら、どうだろう?
「いやいやいやいや」と現代人が4回セットでいうところを倍の8回言うかも知れない。

そもそも、設問として成り立っていない。
相手には「好きだ」「付き合いたい」という気持ちがバレバレである。
それなのに自分を護るためにおかしな前提をつけている。
人として信頼できない。
「ごめんなさい、友達としてしか見れない」
で済んだかも知れないのに
「ごめんなさい、人として見れない」
になってしまうだろう。


サラリーマンの貴方が労働組合の執行委員になったとしよう。
年が明けると「旗開き」をして各職場から組合員の意見をとりまとめ、それを「春闘」という団体交渉の場で会社側(役員の皆さん)に要求する。
従業員の誰もが一時金は多いほどいいし、ベア(ベースアップ)も勝ち取りたい。
もしも、交渉が不調に終わり、組合員が「実際これくらいとれたらいいな」と想っていた予想を下回ったら・・・
「あいつら御用組合か。どうせエラくなるから会社に強く言えないんだな。腰抜けめ!」
サイアクの場合、交渉役の役員たちからも「臆病者」のレッテルを貼られる。

「今回の春闘ではぶっちゃけいくらまで出していいと想っていますか」

もしも、会社側のあなたがこんな言い方をされたら、どうだろう?
その場では笑ってやり過ごし、会議を終えて人事部長に電話を入れるかも知れない。

ものごとには言っていいことと悪いことが、場の格式によって決まっている。
できれば人と人はぶっちゃけて、腹を割ってつきあいたい。共に助け合いたい。
だが、組織で生きる者には「立場を演じる」という役割がある。
そして「立場を演じる」ことを意識している人は意外と少ない。


あなたはメルカリに出品している
不要になったからと言ってゴミに出すのは忍びない。
誰か大切に使ってくれる人の元へ渡れば、心の安住が得られる。
出品価格で売りたいが、値引き交渉があれば考えようと想う。
メルカリには評価制度があるので、できるだけ友好的に交渉を進めたい。
サイアクの場合、取引したうえで悪い評価をつけられかねない。

いくらまでお値下げ可能ですか?

あなたの出品にこんなコメントがついたら、どうだろう?
いやいやいやいや と4回で済ませるのではないか
なぜならば、もう飽き飽きだから

あなたが真摯に「2,000円までならば」と書いたとしよう
しかし、質問者からは待てど暮らせどコメントがつかない
質問者は「その値段ならば要らない」と去ってしまったのだ
そして、あなたの手の内をさらけ出した出品が残る

誰もが安く買いたい、他の誰かと同じように
だが、値段交渉には道徳がある。
それは買う側が金額を提示するということだ。

「値段交渉をしない方がおかしい」と言われる某国の**商店街に行く
500円の品をみて「450円にならない?」というのが普通
「これ、いくらまでまける?」
How much will you discount the price?
と言おうものなら、国際親善にヒビは入らぬものの、しっしっと追い払われるのが落ちだ。


メルカリで「いくらまでお値下げ可能?」をやっている人が、どんな人なのかを知らない。
なぜならば、身近な人に一人一人聞いて回ることはできない。
「いくらまでお値下げ可能?」コメントをしてきた相手に
「ちょっといいですか?あなたはどういう環境に育ち、現在どのような仕事をして、どのような経済状況にある方ですか?」と尋ねるわけにもいかない。

「いくらまでお値下げ可能?」の民は、ネット上で見ず知らずの相手だから、常識の枠を外してモノを言い、リアルではとてもまともな人なのかも知れない。

「いくらまでお値下げ可能?」が非常識な振る舞いとして淘汰されるのか
「100匹めの猿現象*」として広がっていくのか
前者であると信じたい。

*100匹めの猿現象
ある範囲の中で、ある行動をする者の数が一定の量になると、その行動が距離や空間をこえて広がっていくとする仮説

| | | コメント (0)

2024年9月 4日 (水)

まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がする体内暦年時計「今年が去年のような気がする」問題

1日に1回は必ずパソコンに打ち込んでいる数字がある。
新しいサービスに入会しない限り、自分の名前は滅多に打たないが、その数字は1日1回と言わず多い日は10回くらい打つ。

それが「暦年」
今年であれば「2024年」
これだけ打つのならば単語登録したほうがよいと想って今登録した^^;)
24→2024年

ことし→2024《今年》 《》内はコメント
ATOKでは「ことし」とタイプすると上記の候補が出るが、大抵の人は「今年が何年か」を覚えているので「2024」と打つ。僕もその一人
・・・のはずだったのだが、ここ数年異変が起きている

■僕の脳内(中継)
西暦を打つよ~
今は202・・あれ? 2024は去年だったか
だから2025
いや違う、まだ2024でいいんだ
(「2024」と手を動かしながら)
2024年ってもう終わったような、もう2025年を生きているような気がするな


この「暦年感覚」が狂いだした始まりは「2020」だった。
東京2020があまりに楽しみで、2019年を生きている時既に脳は2020年を生きていた。
そこで1年「体内暦年感覚」が狂い、そのままなのか。

それとも「歳をとるほど時間の流れは速くなる」
つまり僕が歳をとったためなのか。
経験済みのことは時間が短いと感じる。
「土俵づくりボランティア」の1度めは、すべてが未経験なので1時間は1時間なのだが、2回めからは次になにが起きるかが読めるので体感的には1時間よりは短く感じる。

経験済みのことが増える
 ↓↓
時間に順応する能力が高まる
 ↓↓
相対的に時間を短く感じる


加齢はここ数年に始まったことではない。
「時の流れが速い」ことに違和感を覚えて、その理由をしらべたのは2007年だった。
歳をとると時間が速く過ぎる

恐らく、僕の「今年が去年のような気がする」原因は上に挙げた2つの理由が合わさったものだ。


2000年に「ドッグイヤー」という言葉が流行った。時代の移り変わりのスピードが速いことを犬の成長が速いことになぞらえた言葉だが、実際なんの足しにもならない言葉遊びだった。
2024年の今死語となっているが、ドッグイヤーという言葉が定義されたことは無駄ではない。こうして後生の人が「こんなことを伝えたい。多くの人が"あれね"とわかるように」と考えた時に引用できる。


ものごとには名前が必要で、名前が定義されていない物事は説明が煩わしくて、話題にのぼりづらい。

あなたにもしも名前が定義されていなければ・・
「推定年齢20台、一見なんの変哲もない男だが、やたらとサッカーに詳しい丸顔の好青年」
あなたを呼びたい人は毎回、呼び方に気を遣い、頭を使わなければならない。

僕が謎に感じている「今年が去年のような気がする」問題にも名前をつけてみたい。

①「2024年問題」 チガウチガウ^^;)
②「時間は未来から過去へ流れている」 長い
③「LIF=live in the future」

僕が「今年が去年のような気がする」のは、来年にリアリティを強く感じているから。「未来を生きる」は英語で live in the future
ということで しらべるの造語 として新たに「LIF」を加えよう。


さて今日は「かまってちゃんのSNS」みたいに締めくくりたい。
まだ2024年なのに、もう2025年を生きている気がするのは僕だけでしょうか?

| | | コメント (0)

2024年7月30日 (火)

もしも玄関の前が「***」だったら・・・

ドラえもんの道具でなにが欲しいと聞かれると
圧倒的に多い答えが「どこでもドア」

「時」を超えるタイムマシンは量子論の世界では既に実現しているというが「空」を超える「どこでもドア」は開発中という話しも聞かない。


もしも玄関の前が「最寄駅」だったら・・・
朝はもっと遅くまで寝ていられる。終電も苦にならない

もしも玄関の前が「佐世保玉屋」だったら・・・
月に3度は玉屋のサンドが食べたい

もしも玄関の前が「デパートの1階」だったら
ドアを開けっぱなしにしてエアコン代が節約できる

もしも玄関の前が「チョコザップ」だったら・・・
腹筋を割り、腹を出した服を着てみたい(嘘)

もしも玄関の前が「かき氷屋」だったら・・・
秋から春は他の業種にしてほしい

もしも玄関の前が「ニューヨーク」だったら・・・
佐野元春さんが暮らした聖地巡りがしたい

もしも玄関の前が「餃子の王将」だったら・・・
日参して炒飯の技を盗みたい

もしも玄関の前が「アベニュー」だったら・・・
毎日通ってマスターと話しがしたい

もしも玄関の前が「コンビニ」だったら・・・
アイスで冷凍庫がいっぱいにならなくて済む

もしも玄関の前が「下関港」だったら・・・
パソコン仕事に疲れたら潮の香りを嗅ぎに行きたい

もしも玄関の前が「品川駅」だったら・・・
ドクターイエロー引退イベントに応募するために「のぞみ」に乗りたい

もしも玄関の前が「マクドナルド」だったら・・・
夜食にナゲットを食べたい

もしも玄関の前が「子どもの頃過ごした家」だったら・・・
1年に1日限定でそうなって欲しい

もしも玄関の前が「長崎スタジアムシティ」だったら・・・
シーズンシートのリセールで気を揉まなくて済む

もしも玄関の前が「とんかつ檍」だったら・・・
太って仕方がない

もしも玄関の前が「父と母が眠るお墓」だったら・・・
ときどき、お墓の掃除ができる


人々は「どこでもドア」の代わり探しにしのぎを削っている。
既にお金で買えるものもあるが、時間がセットでついてこない。
インターネットは時間と距離を圧縮したけれど、僕はまだまだ時間と距離に負けている。

| | | コメント (0)

2024年4月 1日 (月)

聞きたくない人の話やニュースをカットする「気持ちの良い放送システム」始まる

7時のZXYニュースです。
まず今日入っているニュースはこちら
政府が新たに打ち出した福祉政策に対して、野党からの批判が強まっています

この映像は配信していません

つづいて、新橋の駅前で町の声を聞きました

この映像は配信していません

つづいてのニュースはこちら、好調な企業実績を受けて株価が値上がりしています。
日経平均は本日終値で過去最高値をつけました。
東証からサトウさんに伝えてもらいます・・

リポーターのサトウさんが映る

--- ・ --- ・ --- ・ --- ・ --- ・ ---

4月からネット配信の新サービス「気持ちの良い放送システム」が始まった。
予め登録しておいた「NGワード」を含む情報をAIが検知。
その映像が流れている間、画面には「この映像は配信していません」と表示される。

上記の例では、僕がNGワードに「どの口が言う党」(略称「どの口党」)「町の声 評価する」を登録しておいた。

「遅すぎますね。うちの党が3年前に出した案のパクリです。このことで、**政権がネコババ政府だと国民に知れ渡りました」

これまでは「どの口党」党首の下品極まりない決めつけトークが全国に流れている間、僕はじっと耐えなければならなかった。

「評価しないです。議論が足りないと思います。説明責任を果たして欲しいです」

評価するとか・しないとか、いったい何様なのだ。そもそも聞く側の設問がおかしい。それに非難の映像ばかり選んでるだろ!ニュースの「町の声」がなにかを生み出すとは思えないが、町の声はなくならない。


今日、凶悪犯が無差別に3人を殺しました。
そんなニュースを聞くと心を痛める人がいる。
「**町殺人事件の続報です」「手口はこうです」「同級生の感想は」
もうえーっちゅーにと想っても、ショッキングなニュースをメディアはトコトン追究する。
情報の受け手は番組そのものを「見ない」ことしか自衛手段がなかった。

ただ、すべてを見たくないわけではない。
知りたいことは多い。人は好奇心をもって明日への希望をつなげる生き物なのだ。
情報を能動的に取捨選択できる手段は、時代が求めていたものだ。


人生には、知らなくていいことが、あふれている。
知りたくないニュース、聞きたくない話がテレビからあふれ出てくるため「私はテレビは見ない」という人が右肩上がりで増えていた。

テレビ、ネット配信を生で見ている限り、見たくない情報が避けられない。
録画、時間差で見れば、多少は回避できるのだが「このニュースだと、この後どの口党首が出るな」とスキップ・ボタンに手を掛けて待つのはストレスだ。


だが、これからは違う。
「気持ちの良い放送システム」の登場により、国ではなく自党のことしか考えていない政治家の話や、健全な気持ちで生きるにはあまりに陰鬱な出来事を詳細に知らされるリスクが軽減される。

AIはこれからも、人々が幸せに生きるための仕組みとして活躍してもらいたい。


【お知らせ】
今日は4月1日。エイプリルフール。
現実には起こりえないけれど、こんなことあったらいいなという話しを、2010年から毎年この日に書いています。
嘘の話しの歴史

| |

2023年4月 1日 (土)

ついに、どこでもドアが発売された!

どこでもドアが発売された

どこでもドアが発売されることは、2年前に、首都TVの経済番組WBCで知った。
それ以来、Googleアラートに「どこでもドア 発売」を登録しておき、予約開始ともに申し込んだ。
ずいぶん、値の張る品だが、WBCで観てすぐ発売元の株を買っておいたので、その売却益でおつりが来た。

購入契約後、三ヶ月にわたる研修期間を終え、筆記と実技の検定試験に合格すると、利用免許証がインストールされた、どこでもドアタブレットが納品された。


「今日の晩ご飯なに?」

突然、僕が居間に現れると、実家の姉が腰を抜かした。
「え、どうしたん?いつからおったと?」

1,500km離れた場所に住んでいる僕が、玄関のピンポンも鳴らさず、いきなり現れたので、まるで幽霊に出くわしたかのように、目を丸くしていた。

これは、まずかった。
そもそも、利用規約に抵触している。

唐突に予期せぬ人が現れるのは、あまりに非現実過ぎて、相手を驚かすどころか、恐怖心を抱かせてしまう。
場合によっては、生命の危険など、不測の事態も起きかねない。


反省した僕はその足でNEW YORKのセントラル・パーク・ウエストにある安ホテルに仮の宿をとった。
「どこでもドア」で移動しても、移動先の言語が話せる訳ではないので、そこは、東京2020のボランティア用に買った「POCKETALK S ドラえもんEdition」が役に立った。

運動着に着替えると、イーストリバーのうねりを感じながらジョギングして、ブルックリン橋を背景に「太陽がまぶしいな」と言わんばかりの苦い顔をして自撮りした。


その写真を添えて、東京のサッカー仲間に「今から日本に帰るよ」とメールを送った。
バルセロナのカンプノウに立ち寄り、FCBOTIGA MEGASTOREで仲間へのお土産を買うと、その5分後に友達のアパートを訪ねた。

彼はあまり驚かなかった。
「さっきの写真は昔のもので、お土産はネットで買った」
そう僕が説明したからだ。


翌日、僕は広大な砂丘のてっぺんに立った。
その県には47都道府県で、唯一足を踏み入れたことがなかったからだ。

「どこでもドア」には致命的な難点がある。
出口のドアは、誰からも見えてしまうため、見つかると、他人が誤ってドアの中に入ってしまう。
操作タブレットを持たない人が中に入った場合に備えて、安全装置は装備されているが、その操作を誤ると、時空の歪みに巻き込まれて、元の場所に二度と戻れないこともある。

"本来、立ち入ってはいけない場所"に行くことを禁ずる意味も込めて、出口の設定については「異空間移動法(通称:どこでもドア利用法)」で厳しく制限されている。


交通機関の旅ならば、砂丘を訪れた後、水木しげる記念館に足を伸ばしただろうが、またいつでも来れるので、砂だらけのスニーカーで自宅の玄関に戻った。
靴についた砂を記念にとっておこうかと思ったが、やめておいた。

記念という概念が僕の中から、欠け落ちようとしていた
いずれ、思い出作りとか、景色をまぶたに焼き付けるという価値観もなくなるだろう


2023年、ChatGPTが普及し始めた頃、僕はAIに質問した。
「ドラえもんのどこでもドアが実用化される確率は何%?」

AIはこう応えた。
「確率は0%です。しかし、技術の進歩により将来的に可能性が出てくることもあり、完全に不可能とは言えません」

 

*法律の規制なしで誰でも買える「どこでもドア」はこちら(2020年発売)
 ↓↓


このブログで毎年4月1日に書いている話のもくじ

| | | コメント (0)

2022年4月20日 (水)

しらべる22周年

ノストラダムスの大予言が外れて、地球はこれからも続いていくことが共通理解され始めた2000年4月に始めたしらべるは、おかげさまで22周年を迎えました。

いつも読みに来てくださっているあなた!
最近、見つけたというあなた!
ありがとうございます。

しらべるは毎日更新なので、今日で8055日連続更新。
2000日遅れで始めた、このブログは6055日連載です。


一年前、21周年のご挨拶では「BCP」について触れました。
この1年、小池百合子都知事がコロナ禍の事業継続として策定を呼びかけたことで「BCP」が一般にも知られるようになりました。
しらべる周年記事の目次

その記事のなかで、しらべるを継続するための課題として(バッテリーで動く)「ノートパソコンによるアップロード環境をつくること」を掲げました。
自然災害により24時間以上の停電が続いた場合、その日のアップロードができなくなるからです。


その3ヵ月後にはノートパソコンを購入したのですが、選手村活動、定年退職などの出来事が連なり、作業を先延ばし。
年の暮れには十分な時間はあったのですが、自然災害という〆切のない相手になかなか危機感が高まらず放置が続きます。

放置が7ヵ月に迫った時、ようやく重い腰を上げました。
実はこれ、1990年に初めてのノートパソコン(エプソン386NOTEA)を手に入れた時も同じことがありました。

1989年まで市場にあったのは東芝のダイナブック、NECの98NOTEの二銘柄。そこに登場した98互換機 NOTEA は別売ハードディスクと合わせて50万円もしました。

しかし、電源を入れると「ぴーっ」と音が鳴り響き「NO SYSTEM DISC」と表示されるだけの筐体に手も足も出ず、再び化粧箱に仕舞って6ヵ月。

「自らの努力不足で箱に仕舞われたままの高額商品」
というのは、それを見る度に心から活力を奪います。
あなたも経験があるかも知れません。

「美味しいものを作るぞ」と奮発した圧力鍋
「キャリアアップ」を目指して揃えた資格教材
「進学校合格」のためのたて売り訪販教材

メルカリに出して買い手がつけば、肩の荷が下りることもあるでしょうが、貨幣価値は大きく目減りします。


30年前の時は、悩んでいた時に「パソコンに詳しい知人」を見つけて、習いに通いました。
ただ、今回は自分がやれば済むこと。

箱を開けて実際に取りかかってみると、呆気ないほど簡単に設定は終わりました。
電源を入れれば、向こうから色々指示してくれるし、アカウント設定は登録情報を元にほぼ自動。
「Windows11スペック」の機種を選んでおいたので、Windows11へのアップグレードも自動提案されて手間いらず。


最近、20周年の回で書いた「ハウステンボス20周年マグカップ」が旅立ちました。不燃ゴミから小物入れに戻したものの、再びそこで2年間眠っていたのです。

やるべきことは先送りしない
直感を信じる

教訓を得ることはたやすいですが、今は同じ轍を踏むのもまた楽しからずやと思います。

また、時々、しらべるに遊びに来てください!
moto

| | | コメント (0)

2022年4月 1日 (金)

セットプレー守備 革新的な2つのアイデア

サッカーというスポーツはとても難儀なスポーツだ。
人類がもっとも便利に活用している「手」が使うことが禁止されているのだ。
手より足の方が上手く使えるという人はなかなか居ない。

もしも、そういう人が多ければ世の中には「足作りケーキ」「足打ちそば」といった食べ物が流行るだろうし、自動車やバイクは足で操舵するギミックが登場しているはずだ。
今こうして文字を打っているパソコンも、足下にキーボードを置いて、両手で優雅にコーヒーでも飲みながら作業しているだろう。

ということで(どういうことだ)
サッカーはなかなか点が入らない。
そこで、偶発的得点機会としてセットプレーが重用される。
コーナーキックで1点とって、それで勝ちという試合は少なくない。

そんな重要な機会ゆえ、攻撃側は工夫を凝らす。
相手がゾーンで守る場合、ショートコーナーなどのデザインプレーを用意する。
第100回高校サッカーで高川学園が見せた「トルメンタ」は、マンツーマンで守る相手に効果的で、見る者を驚かせた。
今のところJリーグでは、まだ見られていないようだが、Jリーグで見ることが多い、一カ所に固まって蹴る瞬間に持ち場へ散るプレーは、トルメンタと同源のものである。


一方、守る側にはマンツーマン、ゾーンの選択肢しかない。
攻撃に「トルメンタ」という技術革新があるならば、守備にもあっていい。
そこで、しらべるでは4月1日にあたり、かねてより暖めていたセットプレーの守備方法を2案、発表したい。


【1】レーンディフェンス
CK、FKのキッカーがボールをセットすると、ペナルティエリア内で守備の選手が手をつなぎ「人の鎖」を作る。これは、波消ロープにヒントを得た。
ただし、手をつないだ下をくぐって攻撃の選手がレーンの内側に入ってしまうと、効果が半減するのが欠点だ。

【2】ウォールディフェンス
ゴールの前にまさに壁 wall を作る。11人の選手がゴールのライン上でヨコに並ぶ。
ゴールの幅は732cmと決められているので、1人あたり66cmの幅を守ればよい。
ただし、ゴールの高さは244cmあるため、頭の上に隙間ができてしまう。それを補うために10人でライン上に並び、GKが飛んできたボールに対して左右に位置を変えて守るとよい。
ただ、相手がショートコーナーでじっくりゴールに迫ってきた場合、守る側は心臓に悪いという難点がある。


これらの方法について「J2」においては、V・ファーレン長崎以外のチームが使うことは認めない。
それ以外のディビジョンから、アマチュアまでは、その限りではない。

嘘の話しの歴史

| | | コメント (0)

2022年2月24日 (木)

しらべる8,000日 しらべるが行く6,000日

2000年4月に始めた「しらべる」は今日で8,000日を迎えました。
毎日更新(新規記事を追加)しているので、連続更新も8,000日です。

今こうして、読んでいただいているブログ「しらべるが行く」は、しらべるを始めてからちょうど2,000日後に始めたので、こちらは6,000日連載です。

今は名刺のない立場なのですが、なにか肩書きを名乗るならば「用語集作家」です。
これは、僕がつくった造語です。定義は用語集をつくる専門家。2010年12月に造りました。


初めて作った用語集は20代の時に担当していた商品の用語集でした。
時は1980年代。パソコンは普及しておらず、会社にあったワープロで作りました。
それを同僚や得意先に印刷して配ったところ、思いの外好評で、全国的に配ってもらうようになりました。
「わかりやすい用語集を作る人」として承認されたことで、用語集という舞台にはまったのです。


当時、世の中で用語集といえば「現代用語の基礎知識」(自由国民社)
電電公社の電話帳を分厚くした束の書籍で、1年毎に年次版を刊行していました。
その後、2匹目のドジョウを狙って集英社が「imidas」朝日新聞社が「知恵蔵」を、ほぼ同じ束で発売。2022年版が出ているのは「現代用語~」だけとなっています。


imidasはいち早く1990年代終盤にはインターネット版を作り、書籍の購読者に公開していました。ただし、それは数年しか続かなかったと記憶しています。

今でこそ「Google先生」を初めとして、大抵のことはネットでしらべることができますが、1999年時点では、答えがすぐわかる用語集がありませんでした。


ないならば、僕がつくろう

そう想って、できたのが「しらべる」です。
自分1人で、世の中の事象を網羅するのはムリなので「チームしらべる」という枠組みをつくり、一般の投稿を呼びかけていました。
ただ、細々と個人がやっているサイトなので、寄せられた記事は数本でした。

後にウィキペディアができて、広く執筆者が参加できる「wiki」という仕組みが使われるのをみた時は、世の中スゴイ人がいるなぁと感心しました。
ちなみに、当時ウィキペディアの「百科事典」の項目には、インターネット上の百科事典として「しらべる」のリンクが貼られていて、誇らしかったものです。とうにそのリンクは消えていますが。


サラリーマンをやっていた頃、退職後は「旅する用語集作家」になりたいと想っていました。
日本のあちこちから「ウチの組織の用語集を作って!」とお座敷をかけていただき、数週間、インタビューして用語集を完成し、次の街へ・・
今考えてみれば、荒唐無稽ですね
どこかに、そんな奇特な方が、いらっしゃるとよいのですが^^)


これからも、ご縁があった皆さんに役立つことを書いていきたいと想います。
時々、想いだして、読みに来てくださいね!
moto

| | | コメント (1)

2022年2月13日 (日)

中学生はなぜヨコ一列に並ぶのか?

閑静な住宅街
時折、渋滞する幹線道路を避けて侵入してくるクルマが猛スピードで駆け抜けていく。
その道路の両脇には一段かさ上げされた歩道がある。
大人ならば2人、または大人1人犬1匹が通行できるほどの幅

道交法を守り誰もが右側歩行すればよいが、一方が左側歩行した場合、辛うじてすれ違うことができる。

向こうから下校途中の中学生がやってくる
集団下校ではないが、ある程度の人数だ。

男の子たちは2人並ぶのが精一杯の歩道に4人が並んで歩いてくる。
これから麻雀に行くわけではないだろうから、1人くらい欠けたって構わないはずだが、それでも隊列を大切に守っている。
朝からずっと一緒に居たのに、なぜ、下校の道でそんなにくっつかないといけないのだろう。


歩道の幅は大人ならば2人。
身体が小さいから3人までは歩道の上を歩いているが、1人だけ1段低い車道を歩いている。仮にササキ君としよう。

時折、クルマがくるとササキ君は、歩道に上がり、仲間たちの後ろにまわる。
クルマが行き過ぎると、再び、車道に降りてヨコ4列の隊列を堅持する。
もしかして、名前はササキケンジ君かも知れない。

女子中学生の場合、たいてい列は2人までなので、こんなことはない。


ケンジ君は相手がクルマの時は、一旦列を崩すのだが、相手が僕の場合、列を崩さない。
あたかも「あなたのことは眼中にありません。だって、僕らおしゃべりに夢中だから」の体を醸し出している。


なぜ、君がそうまでしてヨコ一列にこだわるのか
僕にはわかる気がする。
君はその列に置いてもらうことで、自らの存在を確認しているのだ。

自分は仲間と共感を醸成しており、皆から認められた存在だ。
仲間が口にする他愛も無い言葉は、自分もその発言対象に含まれている。
だから、僕は仲間と互いに顔の見える位置にいて、相づちをうつし、大げさに笑う。それを誰もが自然なことだと想っている。


ケンジ君よ
それは幻想だ
人は誰もが機嫌良く過ごしたい。他の誰かと同じように。
だからと言って、誰かの周りでぐるぐる廻っていることは、君の成長につながらない。
その甘い関係がいつまでも続こうが、続くまいが、君がその列に、その場所にこだわることで得られると考えている果実は暫定的なものだ。

今、君はその頑なに守ろうとしている居場所が、君の熱量を奪うに値するものなのか、立ち止まって考えたほうがよい。


ケンジ君たちの列から7mほど後方から、1人の小柄な中学生サトウ君が歩いてくる。
学校が指定したカバンやデイパックが、その体重を大きく圧倒していて、罰ゲームで他人の荷物を持たされているように見える。
賑やかな4人組を見たばかりのせいか、心なしか寂しそうに見えなくもない。

サトウ君よ
君が歩いている道は悪くないぞ
できれば、どこかで楽観の意志を手に入れて、まっすぐ歩いて行くことを祈る

| | | コメント (0)

2021年12月31日 (金)

しらべるが選ぶ2021年の5大ニュース

【3】長崎ヴェルカ B.LEAGUE|B3 参入

2022年秋、長崎県に「西九州新幹線」が通る。九州には既に九州新幹線が鹿児島まで通っているが、新鳥栖(佐賀県)から西に延びる線が西九州新幹線と呼ばれる。

開通するのは、武雄温泉(佐賀県)から長崎(在来線と同じ駅舎)までの66km、フル規格。
新鳥栖(九州新幹線の駅)~武雄温泉の区間は、地元佐賀県がフル規格に反対しており、在来線を乗り継ぐ。

2024年には終点長崎駅のそば三菱重工幸町工場の跡地にサッカー専用スタジアムと、バスケットボールを想定したアリーナが開業する。
スタジアムを使うのがJリーグのV・ファーレン長崎、アリーナを使うのがB.LEAGUEの長崎ヴェルカだ。
これらの事業とチーム経営はすべて「金利手数料はジャパネットが負担^^)」でお馴染み、ジャパネット・グループ(本社:長崎県佐世保市)が手がける。

V・ファーレン長崎は2005年に設立されており、経営難により2017年にジャパネットHDがバトンを引き継いだ。

一方、長崎ヴェルカはジャパネットHDが zero から立ちあげた。
かつて、B.LEAGUE創設時のアルバルク東京を率いた伊藤拓摩をGM兼HC(ヘッドコーチ)に迎え、運営と強化を統括。

僕は恐れながら、たくまGM、たくまHCと呼んでいる。
チームは当初から「ヴェルカーズゼロ」という"立ちあげファンクラブ"をつくり、たくまGMらと共に毎週のように「ヴェルカーズゼロ会議(通称:ヴェルつく)」を行い、意見を出し合ってきた。このゼロからおチーム立ちあげという、希有な体験にワクワクした。それは、選手たちも同様で、たくまGMの元、志を共にする選手が集い、開幕ロスター(選手登録簿)には7人のB1経験者が名を連ねた。

チームのパワーを最大限にブーストするチアリーダー「ヴェルチア」は、NFLとNBAでチア/ダンサー経験をもつNamiをディレクターに迎え、B.LEAGUEではあまり例のないプロマネジメント契約を選択肢に入れるなど、異次元の取組を進めてきた。
Namiディレクターの言葉でその取組を聞き、募集からオーディションまでを見て来たから、ヴェルカのブースターはチーム同様、ヴェルチアにも強い思い入れを持っている。

12月末現在、長崎ヴェルカは20勝2敗で首位に立っている。


2月~12月にかけて行われるサッカー、10月~5月にかけて行われるバスケットがあれば、長崎県民は一年中、おらが町のクラブチームを応援して楽しむことができる。「スポーツの力」は底知れない。
2021年は、その元年となった。


【4】松山英樹 マスターズ優勝

2021年4月12日、マスターズ優勝。10アンダー 2位と1打差
男女テニスと男子ゴルフには「世界四大大会」と呼ばれる大会があるが、長らく日本人が優勝することはなかった。
女子テニスで大坂なおみが初優勝したのが、2018年の全米オープン。
松山英樹が男子ゴルフで続いた。
かつて、青木功、中嶋常幸、ジャンボ尾崎、丸山茂樹が目指した頂点を、松山英樹が最初にクリアしてくれた。


【5】DX人がITを抑圧
2000年代の始めまで、企業内システムを担う者は「システム担当者」と呼ばれていた。
2000年代に入って「IT」という言葉が普及すると、それは「IT担当者」あるいは「IT技術者」となった。
2021年は、そのIT担当者たちのマウントを取ったのが「DX人」(DX人はしらべるの造語です)

AI、IoT、RPA
こうした新しい仕組みにより、変化の速度が加速している。

50代のサラリーマンの皆さんは、つい20年前まで「紙とボールペン」に「電話とFAX」で仕事をしていたことを覚えているだろうか。
その変化に馴染めない幼気な人たちを「IT担当者」は、専門用語をまくし立てて追い込んでいった。

そして今、そのIT担当者が「DX人」に追い立てられる。
DXというのは、ITの延長線上にあるものの、それを語るには専門の勉強をしなければならない。

要は言葉の問題なのだ。
2000年代、ど素人を専門用語で煙に巻いた人たちが、今「DX人」が使う専門用語で煙に巻かれている。
いけ好かない「DX人」が、人間味溢れる「DX担当者」になるまで5年かかるかも知れないし、3年かも知れない。
2022年以降、DX人の栄枯盛衰を注視しようと想う。


2021年も「しらべるが行く」を読みに来ていただき、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

| |

より以前の記事一覧