2020年10月13日 (火)

しらべる7500日 しらべるが行く5500日

1日遅れですが・・
しらべるは2000年4月に始めてから7,500日を迎えました。
いつも、読みに来てくださる皆さんのおかげです。
ありがとうございます。

毎日更新なので、連続更新も7,500日
恐らく、世界中を探しても、このようなホームページ連続更新日数にこだわっている人はいないと思います。
何度か「ホームページ 連続更新」というキーワードで「Google先生」に確認しましたが、そういう奇特な方は見当たりませんでした。

今、ご覧になっているブログ「しらべるが行く」は2005年9月に始めてから5,500日を迎えました。
「毎日1話」なので、ブログ連続更新日数は5,500日
これも、他には無いようです。

ホームページとブログが、共にキリがいいのは偶然です。
「ホームページも軌道に乗ってきたから、2000日めにブログも始めよう」となったわけではないのです。

もしかして、忘れているだけかと、ブログを始めた日の記録を見たのですが「しらべるが行く連載開始」と書いてあるだけでした。


数年前、ホームページとブログを毎日書くことがしんどいと感じる時があり「しらべるはライフワークだから続けるとして、ブログだけでも不定期にしようか」と考えていた時期がありました。
ただ「あと数年頑張れば、時間にゆとりができる。ここが辛抱のしどころだ」と踏ん張ったお蔭で「連続」が途切れずに済みました。
今もそれなりに大変ではあるのですが「しんどい」という感覚はなくなりました。

2016年9月に「しらべる6000日」を書いた時は、ニフティによる「@homepage」閉鎖を控えていました。その後、4年が過ぎましたが、依然として2016年当時のページビューには戻る兆しが見えません。

このブログ「しらべるが行く」については、ニフティ側の閉鎖はないのですが、最近は大きなリニューアルがありました。リニューアルと言ってもご覧になっている皆さんからはわからない、我々書き手側の画面インターフェースの変更です。
これが、けっこうくせ者で、以前よりも作業が一手間増えてしまいました。
今も、一部の環境では「それまで見られていた画像のリンクが切れる」という問題に悩まされています。

この下に上五島で撮った海の画像を貼り付けています。Google Chromeの一部環境では、これが見えていないと思います。 浦桑の海


これからも、できれば読んでいただく皆さんに少しでも役に立つことを書いていきたいと想います。
時々、想いだして、読みに来てくださいね!

moto

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2020年9月23日 (水)

もしも、コロナが見えるメガネができたら

もしも、コロナが見えるメガネができたら

ヤマバシ電気の公式サイトに応募して13回めでやっと当たった
登場してすぐ政府により転売禁止商品に指定され、販売方法も密集を避けるためネット販売に限定されていた。

決して安くはない買い物だが、コロナが目で見えるというギミックへの興味は抑えられない。
「コロナメガネ」通称コロメガの発明により、世の中はコロナが見えている人と、コロナが見えていない人に分かれたわけだ。
今日から僕も「見える人」の側にはいる


登場から半年「見える人」の行動がメディアやYou Tuberによって拡散されている
企業では総務部が早朝、事務所を見回り、コロナが見つかると、その日は在宅勤務を指示するようになった。
興行をおこなうホール、アリーナでは係員が常時チェックして換気していることをアピールした。
外食する人たちは飲食店を外からのぞき込んで、コロナのない店を選んでいた。


メディアはコロメガを手にすることが、さも「勝ち組」であるかのように報じた。
ある程度の収入がある富裕層、国と地域。まるでコロメガに拠って人類が選別されるかのようなどぎつい表現に対して、ネット上では自称識者が「いかがなものか」と警鐘を鳴らした。


コロメガが届いた。
夜のうちに充電しておいて、翌朝、電車に乗って街に出てみる。
一見すると普通のメガネだが、見る人が見ればそれとわかる。
今のところ「エアマックス狩り」のような事件は日本では起きていなかった。

つり革につかまったところで、満を持して右耳のそばにある「可視化モードスイッチ」をオンにすると、早速コロナの粉塵が黄色く映った。
「わっ」
思わず声が出そうになるのを押し殺して、そこから5mほど右に移動すると、その右側からも黄砂のような空気の層が流れてきた。思わず息を止める。これは耐えられない「N95マスク」が必要だ。

次の駅で電車を降りて一息つくことにする
駅前には小さな公園があるのどかな町
保育園に通う前の子供がボールを投げて遊ぶのを、ベビーカーを揺らしながら母親が見守っている。子供はマスクをつけていない
すると、駅のほうから風に乗って黄色いコロナが家族を襲う
「あぶない!」
声をかけようとして思いとどまる
コロナが見えていない母親を混乱させてしまうだろう。
僕が母親の立場ならば「それは、ご親切に」と恩を感じるよりは「よけいなことを教えないで。知っていてもどうにもできないんだから」と思う


目の前にいる人の末路を透視しているような気分だ。わかっていても教えてあげられない。心に憂鬱な雪が積もる
街へ出るのはやめて家に引き返した

玄関を空けると、家の中が真っ黄色だった
スイッチを切り忘れていた

(一応言いますがフィクションです)

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2020年6月13日 (土)

木のバットで思い切り頭を殴られた時にしたこと

ヒサシは日頃から僕のことをよく想っていなかったのだろう。
それが、なにかの言葉をトリガーにして爆発したに違いない
(当時はキレる、ぶち切れという言葉はない)

僕はブロックに体を預けて中腰になっていたため、ヒサシのレベルスイング軌道がちょうど僕の頭の高さになった。

僕の頭を狙ってヒサシがバットを振り、バットは僕の頭を強く殴打した
(゚゜)\バキ☆

その時、すぐに考えたのは
今バットで殴られたよな
オレ死んでないよね
これはちょっとひどいんじゃないか?
(今風に言えば、ありえないんじゃね?)
あまりの衝撃に目頭が滲む

僕らは男が泣くことは恥だと想って育った世代だ。
今でこそ、葬式で泣いたり、なかには結婚式で泣いたりすることも珍しくないが、かつては、そうではなかった。
男のくせに泣くなんて、みっともない
そう想って育った僕は、バットで殴られるという希有な体験下にあっても涙はこぼさなかった。

大丈夫だ
死んでない
後遺症が残るとか、そういうことはわからないが、今は大丈夫だ
5秒でそこまで確認すると、犯人のヒサシを見た

彼の顔には「なんだ、死なないのか」と書いてあった
冗談ではない
大丈夫か?という気遣いはないし、大それたことをしたかもという後悔もない
もしも僕がその一撃で死んでいたら、彼は警察官に「1度、バットで人間の頭を思い切り殴ってみたかった」と言っただろう。

となりではシンちゃんが固唾を呑んで、事態を見守っていた。
シンちゃんは今の言葉でいえば「イケメン」当時の言葉では「美男子」の部類にはいる、端正な顔立ちだった。
その顔が目を見開いて歪んでいる
あまりの出来事に言葉はでない

その顔を写真に撮ってマジックで吹き出しを書いたならば、そこには
「ひょえ~」
という文字がぴったりだった。


当時まだ金属バットは普及しておらず、ヒサシのバットが木製だったことが、不幸中の幸いだったのだろうか。
ヒサシがひ弱だったこともよかったかも知れない。
(彼はソフトボールの地区選抜では補欠にも入れなかった)

僕はキャッチボールを諦め、自分の足でふらつくこともなく歩き、50m離れた家に帰った。
そのまま、布団を敷いてしばらくヨコになるということもしなかった。
家には母が居たが、なにも報告しなかった。
このことは、僕の口からは誰にも言っていない。
墓場まで持っていくという類いのことでもないので、ここに書いてみた。

その後、ヒサシが親を連れて、家に謝りに来るということもなかったので、彼も親には報告しなかったのだろう。
今と違って、我が子に非があれば、親が子供をしょっ引いて謝りに出向くというのが常識だった。
五島にいるうち、僕は1度謝りに行ったし、1度は謝りに来られた。

 

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2020年6月12日 (金)

新品の靴で思い切り後頭部を殴打された時の気持ち

オーライ!オーライ!
僕はシンちゃんのワイヤレスマイクから届く電波を捉えて、ラジオのヒスノイズがすーっと消えると、合図の声を送った

その時、頭に強い衝撃があり、火花が散った
(゚゜)\バキ☆
大人になってから覚えた絵文字がぴたりとはまる衝撃
振り返ると、いつの間にか父がいて、その手には真っ白な靴が2足握られていた
父はその2足を右手で持って二階に上がってくると、椅子に乗りラジオを持って踊っている(ように見える)僕の背後から近づき、思い切り頭をひっぱたいたのである。

「何がオーライだ バカ」

父は僕のために靴を買ってきてくれていた。
いや、誰かにもらったのかも知れない(忘れた)
いずれにせよ、それはとても珍しいことで、ねだってもいないのに何かを買って来てくれたというのはこの時以外に記憶が無い。
(呑み会の後の寿司とかは除く)

とにかく新品の靴を持って、我が子を喜ぶ顔を見ようと想って来たら、僕がラジオ片手に踊っていたというわけだ。

落胆と同時に、勉強もせずに遊び呆けている我が子に怒り爆発。
それが、ゴム底の靴で殴打となった。

こうして写実的に書くと、ひどい親だなと思ったかも知れないが、僕はそうは思わなかった。当時は親が子供を殴っても誰も不思議に思わなかったし、学校の先生もそうだった。
ボクシング経験者である父の鉄拳ではなかったのは不幸中の幸いだったのだろうが、背後から靴で殴られるという事実を把握した時は、少し恨んだ。

父が子を殴れば、子はその子を殴る
父が子に手をあげなければ、子供も然り
殴られたけれど、自分は殴らない
そういう人は、親以外の人に学んだ人だ
それは、尊敬する教師かも知れないし、本かも知れない


ついでに、シンちゃん絡みでもう1つ火花が飛んだ話しをしよう。
シンちゃんには僕らの2つ年下の従兄弟がいた。
ヒサシというその男は、周りからひ弱なやつというレッテルを貼られていて、ビーチの女たちは坊やと呼んだ(ブルワーカーか)
ただ、人一倍負けん気は強くて、仲間からいじられると、いつもキツイ目をしてにらみ返していた。

その日、シンちゃんをキャッチボールに誘いに行くと、先客でバットを握ったヒサシがいた。
勝手口のヨコにある狭いスペースで話している2人の話しに参加する。
その時、自分が何を言ったか覚えていないのだが、ヒサシは突然、持っていたバットをフルスイングした
その先には、僕の頭があった

つづく

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2020年5月26日 (火)

緊急事態宣言が解除された

もしも、僕が新橋の通行人だったら・・

新橋駅前のSL広場はテレビ取材のメッカだ。
酔っ払いのお父さんにアンケートを採ったり、とびきりのニュースがあった日「町の声」を拾ったり。
ほどよく賑わっているが、取材している後ろでピースするお調子者が群がって絵面の緊張感が失われるということもない。
各放送局からも移動時間が短い。
取材する側としては、とても都合の良い場所だ。
恐らく、地権者も手軽に撮影許可を出してくれるのだろう。


テレビ局の取材記者が、駅へ向かう僕を呼び止める。

記者
**(局名)なんですが「**ニュース」なんですけど、緊急事態宣言解除について取材をしているのですが、今少しお時間いただけないでしょうか?
(文章にすると変だが、人の話しことばなんて、だいたいこの程度である)


はい

記者
それでは、カメラの方を見ないで私の方を見て話してください

僕は「はい」と快く2つ返事。
たとえ相手がテレビ局ではなくても、僕は見知らぬ人に協力を求められた時、好感度の高い人を装う。
取材が始まる。


記者
緊急事態宣言が解除されました


あぁ、そうですね

記者
今のお気持ちを聞かせてください


え゛気持ちですか・・・
(5秒黙り込んでから)
今はとても、透明な気持ちです

記者
と、透明?ですか・・それは、どういう意味なのでしょう?


たくさん考えて、たくさん本を読んで、たくさん片付けをして
自分のこと、家族のこと、社会のこと
生き方、働き方、人との付き合い方
ゆっくりと考える時間があったので、とても考えが整理されて、すっきりとしているのかなと想います
それが、透明な気持ちということです

記者
ありがとうございました
いただいたご意見が放送で使われるかはお約束できないのですが、貴重なご意見をありがとうございます

僕は足早に立ち去りながら、独りごちる
だいたい、いきなり今のお気持ちってなんだよ
曖昧すぎるだろう。もうちょっと、工夫できないのかな。いったいその仕事何年やってるんだ?


テレビ局の記者はカメラを担いだスタッフに言う
「なんだ、今の?詩人気取りか?」
記者の前には、顔に「いかにも、大衆の言いそうなことを言うよ」と書いてあるおばちゃん2人組が待ち構えている。


これまでにテレビの取材を受けたことは何度かあるが、その映像が使われたことは一度もない。
テレビ局名が入った「取材お礼セット」はもらったけれど。

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2020年5月13日 (水)

ジャイアントロボの想い出(5)

母はアーケードのおもちゃ屋で買ったジャイアントロボの話しを覚えていませんでした。
別にボケていたというわけではなく、人の記憶とはそんなものだと思います。今でもこういうことを書いていると、姉が「あんたはそんなことまでよー覚えとるね」と驚きます。

母に話しをした時、内心、母が「買いなさい」つまり買ってあげると言ってくれるのではないかという気持ちがありました。
ひと通り話し終えた時、母が山口弁で言いました。

「いくらかね?」

きたーーーーーーーーーーー
ではなく穏やかに、やはり、そう来るかと思いましたが、僕は買う気がないことを即座に伝えました。
もう大人ですから、無茶な買い物をするならば、自力でしなければと思ったのです。
母は、ちょっと残念そうに見えました。
久しぶりに子どもにおもちゃをねだられたようなもの。
既に大人になっているとは言っても、母からみれば子どもは子ども。
買ってやりたいと思った気持ちに、応えることも孝行だったのかと今ならば思いますが、その時は達観するにはまだ若く、母の厚意を言下に辞したのでした。


次の夏が来て、僕はまた「まんだらけ」に寄り、ジャイアントロボはまだあるかな?と確認しました。
僕の記憶が確かならば、翌年はまだそこに居たものの、その次の年にはもう居なくなっていました。
よかった、これでもう考えなくて済む。
ほっとする気持ちと残念な気持ちが入り交じりました。


数年後、ジャイアントロボはヤフオクに居ました。
写真ではありますが、僕が見間違うはずがありません。
確かにあの120円だったジャイアントロボ
値段は10,000円でした。

安い^^;)

現在、かつて120円、その後、10,000円となったジャイアントロボは、ショーケースの最前面に鎮座しています。あ、立っているか

セロハンの袋は未開封のまま
いつかまた転売しようと思っているわけではありません。
すべてのコレクターグッズは箱や袋から出して飾るのですが、これだけは例外。
袋に入ったまま、まだアーケードのおもちゃ屋の店頭にあった時の姿という設定^^;)のほうが、自分のなかでは価値が高まるのです。


2009年
民主党の金字塔「高速1000円」を利用して、クルマでかつて住んだ町を訪れました。
既におもちゃ屋がないことは知っていたのですが、アーケードはそのままのカタチで残っていました。

「懐かしいね」
これが母と最後の長距離ドライブ。
我慢強い大人でもぶーたれる人が多い、僕の車の助手席はとても低く狭く、母は「なんか、乗りにくいね」とこぼしていましたが、それでも行く先々ではとても楽しそうでした。





2009年、原作者 横山光輝の出身地、神戸市長田に「鉄人28号モニュメント」が作られました。僕は鉄人ファンではありませんが、その特異性に驚き神戸に見に行きました。

できれば、いつか、このとなりにジャイアントロボのプロップ原寸モニュメントが見たいと思います。

おわり

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2020年5月12日 (火)

ジャイアントロボの想い出(4)

ジャイアントロボ貯金の60円が貯まった日は、恐らく土曜日か日曜日でした。
なぜ、そう思うかというと、おもちゃ屋さんまで父がクルマで乗せていってくれたからです。
10円玉6枚が貯まった日、母から60円の補填を受けると、速攻でジャイアントロボを迎えに行きました。


我が家にやってきた「ジャイアントロボ」のおもちゃが、その後、どうなったのかは全く記憶がありません。
今ならば、開封前に写真を一枚撮るところですが、当時はフィルム代、現像代がかかる時代。父に「ジャイアントロボと1枚撮って」と頼む発想すらありません。
大事に抱いて寝た記憶はないし、何処にどのように飾っていたかも覚えていない。
そして、それをいつ廃棄したかも。

子どもの頃、大切にしていたモノを大人になって懐かしく思い出す。
誰でも1つや2つ、そういったモノがあると思います。
でも、モノの魅力は時を追う毎に色あせ、何処かで捨てられる。
あれは、いつ捨てたのだろう?
なぜ、捨ててしまったのだろう?
そういう経験がある人ほど、モノが捨てられないのではないかと近藤麻理恵さんに言いたいです。


時は2000年代
数十年が過ぎて、僕は大人になりました。
120円のジャイアントロボのことはすっかり忘れていたのですが、ある夏の日、里帰りの途中に立ち寄った天神の「まんだらけ」で再会します。

エレベーターを登り切った正面にあるガラスショーケースの中から、あのつぶらな瞳が僕を睨んでいる。
ひと目みてそれだと分かりました。
灰色淡色の筐体、しわしわのセロハン袋に入ったそれは、かつて僕が天ぷら代を貯めて、母に60円を足してもらったジャイアントロボ。
値段は15,000円でした。

大人になっているわけですから、15,000円はどうしても欲しければ出せない金額ではありません。でも120円だったモノに「思い出料金」を足したとしても「125倍」はあり得ない。
世の中には「大人買い」という言葉があります。資金力に任せて、かつて子どもの頃にはできなかったような次元の予算を投入することです(日銀かっ)
しかし、コレクターの世界に入って数年が過ぎていた僕には「モノの価値に見合わないお金は出さない」という決めごとがありました。
生産された時代が古く、残存量が少なくて値段は高騰しているが、造形そのものに魅入られるものがない。そういうモノには手を出さないと決めていたのです。

それでも1分間、立ち止まって動けませんでした。
フロアを一周してから、もう一度、ジャイアントロボと対峙しましたが、決心は変わりませんでした。


6時間後
特急みどり号に乗って佐世保に戻った僕は、母にその話をしました。
かつて、おやつ代わりに天ぷらを買っていたこと、僕がほしがったおもちゃに60円を足してくれたこと。
それと同じモノを博多で見かけたこと

つづく

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2020年5月11日 (月)

ジャイアントロボの想い出(3)

ジャイアントロボが手に入ることを思えば、天ぷらを我慢することはなんの苦でもありませんでしたが、新たな悩みが持ち上がりました。

なくなったらどうしよう

お店に並んでいたジャイアントロボは一点限り。
60円が貯まるまでの間に売れてしまったらどうしよう・・
子どもですから「取り寄せ」という言葉はまだ知りません。
一般的な商品はメーカーがある程度の在庫を持っていて、注文して在庫があれば取り寄せることができるという経済の仕組みを知るのは、ずっと後のことです。

今の歳までくれば、無くなってしまったら縁がなかったのだと諦めるという達観ができるし、インターネットが発達した現代では「本当に欲しいと思っていれば、それはいつか必ず手に入る」という確信もあります。
しかし、子どもの僕は気が気じゃない。

来る日も来る日も、まだそこにジャイアントロボが居るかを確認するのが日課となりました。
何も買わないのに在庫チェックに入店するほどのふてぶてしさはなかったので、通りすがりに店の外から一瞬で見極めていました。

僕はなぜか「前借り」という言葉を知っていたので、なくなったら困るから120円前借りさせてと頼む知恵はあったのですが、それが母の逆鱗に触れて、この「60円補填」提案がご破算になることが怖くて言い出せませんでした。
無駄遣いせず、貯金すれば欲しいモノに手が届くという経験を、母は僕に積ませたいのだ。その流れにのった方がいいと考えていました。
その判断は正しかったと思っています。


ここでジャイアントロボについて少し
ジャイアントロボは横山光輝が生んだ巨大ロボットです。
「鉄人28号」と同じ作者です。

1967年
「少年サンデー」で漫画連載

1967年
テレビで実写版放送
<全26話>と当時のテレビ番組としては短かったため、テレビ放映が進むにつれて多様に展開したウルトラマン、仮面ライダーのような人気の広がりはありませんでした。
(仮面ライダーは1号、2号編までで全98話)

1992年
アニメ「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」制作

1998年
ガシャポンHGシリーズ「東映ロボット列伝 全6種 HG フルカラー フィギュア」にジャイアントロボがアソートされました

◆アセット内容
ジャイアントロボ、カラミティ、GR2、ワンエイト、大鉄人17、大鉄人17(要塞モード)
ガシャポンサイズのジャイアントロボはこの1点だけしか発売されていません。


2002年
セガプライズ「ハイグレードフィギュア ジャイアントロボ」
(高さ31cm)がゲームセンターに登場
この頃、既にプライズ(ゲーセン景品)はコレクターショップでも販売されており、UFOの腕に自信がない人はショップで確実に入手できるようになっていました。当時実勢価格は1,500円程度

かつて120円のジャイアントロボに驚喜した僕にとって、これだけの品質のジャイアントロボが、この値段で手に入ることにデフレを感じたものです。

2010年7月(2013年7月再販)
「特撮リボルテック SERIES No.009 ジャイアントロボ」発売
■全高:約135mm
■可動箇所:18
■価格:2,715円(税別)

確認したところ、この商品は現在もプレ値で販売されていました。

つづく

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2020年5月 9日 (土)

ジャイアントロボの想い出(2)

おやつと言っても僕がよく買っていたのは「ニシムラ」に売っている天ぷらでした。
エビや春菊が入っていて「こちら塩で召し上がってください」というアレではありません。
九州山口の方ならわかると思いますが、天ぷらといえば角天のことです。
魚のすり身を揚げて四角く成形すると角天。丸くすると丸天。

 



関東では売られていないため九州の人が「天ぷら」と言っても関東の人には通じません。
僕が「天ぷら」について説明すると、関東の人は「それはさつま揚げだよね」と言います。
確かに似てはいるのですが、さつま揚げには、野菜や魚介類などの具が入っているのに対して「天ぷら」には具は入っていません。

九州では「まる天うどん」と言えば、この丸い天ぷらが乗ってきますが、関東で「まる天うどん」と言うと丸いかき揚げ天ぷらが乗ってきたりします。

「天ぷら」は焼いても生のままでも美味い。
僕がそうだったように子供のおやつ代わりから酒の肴、弁当のおかずにも好適。現在は 角天3枚が98円。九州ではたいていのスーパーで売られています。
うどんに乗せるとうまいんだ、これが


ニシムラのおばちゃんに天ぷらを油紙で巻いてもらい2円のおつりを受け取ります。
1枚8円です。僕はこれを4日繰り返して5日めには、2円ずつ貯めた「天ぷら貯金」を投入して「2枚買い」に打って出るわけです。
2枚の日は興奮しました。
恐らく、そんなささやかな楽しみのことは母に話したことがないと思います。話したところで「それかね、ゆっくり味わって食べり」といった共感が得られるとは思えませんでした。


従って、120円のジャイアントロボが欲しいとねだっても「ええよ、買おといで」と即答が返ってくることはない。
「ムダなモノに出すお金はない!」と一顧だにされないだろうと思っていたのです。

天ぷらを6日我慢して10円ずつ貯めると、残りの60円を出してくれるという提案。幼い僕は母が菩薩に見えました。
いや、当時、菩薩という単語は知らないので、地獄に仏・・
半信半疑ながらも、じゃ明日から貯めるねと即答したのでした。

つづく

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2020年5月 8日 (金)

ジャイアントロボの想い出

僕と母の思い出話です

僕が子どもの頃「ジャイアントロボ」という特撮テレビ番組がありました。
とは言っても、僕はリアルタイムでそれを観たことがありません。
なぜならば、ウチではテレビを見られる時間がとても限られていたからです。
テレビを観られるのは夕飯を食べながらの午後7時から8時まで。
それ以外は母に申告して、特別に認められたものに限ります。

従って"動いている"姿を見ることができたヒーローは「仮面ライダー」と「帰ってきたウルトラマン」のみ。
ただし「帰ってきたウルトラマン」の方は姉が見る「エースを狙え」と放送時間がかぶっていたので2週に1度でしたが・・

それでも、ある日、たまたまつけたテレビに映し出された「ジャイアントロボ」の造形は一瞬で僕の心を捉えました。
当時、他には「鉄人28号」などもあったのですが「ジャイアントロボ」の何を考えているのかわからない黒い瞳に魅入られてしまったのです。


子どもの頃に住んでいた盆地の町には商店街と呼べるものはありませんが、町に一カ所だけアーケードがありました。

佐世保の親戚の家に遊びに行った時「四ケ町」というそれは広大なアーケード街があり、それに憧れていた僕は、我が町唯一のアーケードを通る時はちょっと心躍るものがあったのを覚えています。
アーケード内にあるお店は果物店、洋服店など数えるほどでしたが、その町唯一のおもちゃ屋さんがそこにありました。


ある日、お使いで町へ出た帰り道、通りかかったおもちゃ屋さんで僕はそれを見つけてしまいました。

「ジャイアントロボ」セルロイドのおもちゃです。
色は灰色、彩色はされていませんでしたが、ウチのテレビは白黒だったので違和感はありません。ジャイアントロボに色が着いているのを知ったのは、大人になった後。
値段は120円でした。
もちろん、昔ですから、消費税はありません。


帰宅した僕は、お使いで買ってきた豚バラ肉を渡す時、ダメ元で切り出してみました。
それまでヒーローのおもちゃは何も持っていなかったし、母が首を縦に振るとは思えなかったのです。
ところが、母の答えは意外なものでした。

「毎日10円ずつためたら、半分は出してあげてもええよ」


僕は毎日のおやつ代として10円をもらっていました。
1ヶ月分前渡しではなく「日払い」です。
その10円を受け取ると、近所の「ニシムラ」や「ハラダ」といったお菓子を売っている雑貨店に行き、おやつを買うのです。
当時、たいていのお店は「ドリーム」とか「ハッピー」とかではなく、こうした店主の名字そのものに「商店」が付くものが大半でした。
「マツオ文具」「タナカ書店」「フクモト菓子店」「ヤマガタ精肉店」といった具合です。例示にしてはちょっと多いですが・・

つづく

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