2020年5月26日 (火)

緊急事態宣言が解除された

もしも、僕が新橋の通行人だったら・・

新橋駅前のSL広場はテレビ取材のメッカだ。
酔っ払いのお父さんにアンケートを採ったり、とびきりのニュースがあった日「町の声」を拾ったり。
ほどよく賑わっているが、取材している後ろでピースするお調子者が群がって絵面の緊張感が失われるということもない。
各放送局からも移動時間が短い。
取材する側としては、とても都合の良い場所だ。
恐らく、地権者も手軽に撮影許可を出してくれるのだろう。


テレビ局の取材記者が、駅へ向かう僕を呼び止める。

記者
**(局名)なんですが「**ニュース」なんですけど、緊急事態宣言解除について取材をしているのですが、今少しお時間いただけないでしょうか?
(文章にすると変だが、人の話しことばなんて、だいたいこの程度である)


はい

記者
それでは、カメラの方を見ないで私の方を見て話してください

僕は「はい」と快く2つ返事。
たとえ相手がテレビ局ではなくても、僕は見知らぬ人に協力を求められた時、好感度の高い人を装う。
取材が始まる。


記者
緊急事態宣言が解除されました


あぁ、そうですね

記者
今のお気持ちを聞かせてください


え゛気持ちですか・・・
(5秒黙り込んでから)
今はとても、透明な気持ちです

記者
と、透明?ですか・・それは、どういう意味なのでしょう?


たくさん考えて、たくさん本を読んで、たくさん片付けをして
自分のこと、家族のこと、社会のこと
生き方、働き方、人との付き合い方
ゆっくりと考える時間があったので、とても考えが整理されて、すっきりとしているのかなと想います
それが、透明な気持ちということです

記者
ありがとうございました
いただいたご意見が放送で使われるかはお約束できないのですが、貴重なご意見をありがとうございます

僕は足早に立ち去りながら、独りごちる
だいたい、いきなり今のお気持ちってなんだよ
曖昧すぎるだろう。もうちょっと、工夫できないのかな。いったいその仕事何年やってるんだ?


テレビ局の記者はカメラを担いだスタッフに言う
「なんだ、今の?詩人気取りか?」
記者の前には、顔に「いかにも、大衆の言いそうなことを言うよ」と書いてあるおばちゃん2人組が待ち構えている。


これまでにテレビの取材を受けたことは何度かあるが、その映像が使われたことは一度もない。
テレビ局名が入った「取材お礼セット」はもらったけれど。

|

2020年5月13日 (水)

ジャイアントロボの想い出(5)

母はアーケードのおもちゃ屋で買ったジャイアントロボの話しを覚えていませんでした。
別にボケていたというわけではなく、人の記憶とはそんなものだと思います。今でもこういうことを書いていると、姉が「あんたはそんなことまでよー覚えとるね」と驚きます。

母に話しをした時、内心、母が「買いなさい」つまり買ってあげると言ってくれるのではないかという気持ちがありました。
ひと通り話し終えた時、母が山口弁で言いました。

「いくらかね?」

きたーーーーーーーーーーー
ではなく穏やかに、やはり、そう来るかと思いましたが、僕は買う気がないことを即座に伝えました。
もう大人ですから、無茶な買い物をするならば、自力でしなければと思ったのです。
母は、ちょっと残念そうに見えました。
久しぶりに子どもにおもちゃをねだられたようなもの。
既に大人になっているとは言っても、母からみれば子どもは子ども。
買ってやりたいと思った気持ちに、応えることも孝行だったのかと今ならば思いますが、その時は達観するにはまだ若く、母の厚意を言下に辞したのでした。


次の夏が来て、僕はまた「まんだらけ」に寄り、ジャイアントロボはまだあるかな?と確認しました。
僕の記憶が確かならば、翌年はまだそこに居たものの、その次の年にはもう居なくなっていました。
よかった、これでもう考えなくて済む。
ほっとする気持ちと残念な気持ちが入り交じりました。


数年後、ジャイアントロボはヤフオクに居ました。
写真ではありますが、僕が見間違うはずがありません。
確かにあの120円だったジャイアントロボ
値段は10,000円でした。

安い^^;)

現在、かつて120円、その後、10,000円となったジャイアントロボは、ショーケースの最前面に鎮座しています。あ、立っているか

セロハンの袋は未開封のまま
いつかまた転売しようと思っているわけではありません。
すべてのコレクターグッズは箱や袋から出して飾るのですが、これだけは例外。
袋に入ったまま、まだアーケードのおもちゃ屋の店頭にあった時の姿という設定^^;)のほうが、自分のなかでは価値が高まるのです。


2009年
民主党の金字塔「高速1000円」を利用して、クルマでかつて住んだ町を訪れました。
既におもちゃ屋がないことは知っていたのですが、アーケードはそのままのカタチで残っていました。

「懐かしいね」
これが母と最後の長距離ドライブ。
我慢強い大人でもぶーたれる人が多い、僕の車の助手席はとても低く狭く、母は「なんか、乗りにくいね」とこぼしていましたが、それでも行く先々ではとても楽しそうでした。





2009年、原作者 横山光輝の出身地、神戸市長田に「鉄人28号モニュメント」が作られました。僕は鉄人ファンではありませんが、その特異性に驚き神戸に見に行きました。

できれば、いつか、このとなりにジャイアントロボのプロップ原寸モニュメントが見たいと思います。

おわり

| | コメント (2)

2020年5月12日 (火)

ジャイアントロボの想い出(4)

ジャイアントロボ貯金の60円が貯まった日は、恐らく土曜日か日曜日でした。
なぜ、そう思うかというと、おもちゃ屋さんまで父がクルマで乗せていってくれたからです。
10円玉6枚が貯まった日、母から60円の補填を受けると、速攻でジャイアントロボを迎えに行きました。


我が家にやってきた「ジャイアントロボ」のおもちゃが、その後、どうなったのかは全く記憶がありません。
今ならば、開封前に写真を一枚撮るところですが、当時はフィルム代、現像代がかかる時代。父に「ジャイアントロボと1枚撮って」と頼む発想すらありません。
大事に抱いて寝た記憶はないし、何処にどのように飾っていたかも覚えていない。
そして、それをいつ廃棄したかも。

子どもの頃、大切にしていたモノを大人になって懐かしく思い出す。
誰でも1つや2つ、そういったモノがあると思います。
でも、モノの魅力は時を追う毎に色あせ、何処かで捨てられる。
あれは、いつ捨てたのだろう?
なぜ、捨ててしまったのだろう?
そういう経験がある人ほど、モノが捨てられないのではないかと近藤麻理恵さんに言いたいです。


時は2000年代
数十年が過ぎて、僕は大人になりました。
120円のジャイアントロボのことはすっかり忘れていたのですが、ある夏の日、里帰りの途中に立ち寄った天神の「まんだらけ」で再会します。

エレベーターを登り切った正面にあるガラスショーケースの中から、あのつぶらな瞳が僕を睨んでいる。
ひと目みてそれだと分かりました。
灰色淡色の筐体、しわしわのセロハン袋に入ったそれは、かつて僕が天ぷら代を貯めて、母に60円を足してもらったジャイアントロボ。
値段は15,000円でした。

大人になっているわけですから、15,000円はどうしても欲しければ出せない金額ではありません。でも120円だったモノに「思い出料金」を足したとしても「125倍」はあり得ない。
世の中には「大人買い」という言葉があります。資金力に任せて、かつて子どもの頃にはできなかったような次元の予算を投入することです(日銀かっ)
しかし、コレクターの世界に入って数年が過ぎていた僕には「モノの価値に見合わないお金は出さない」という決めごとがありました。
生産された時代が古く、残存量が少なくて値段は高騰しているが、造形そのものに魅入られるものがない。そういうモノには手を出さないと決めていたのです。

それでも1分間、立ち止まって動けませんでした。
フロアを一周してから、もう一度、ジャイアントロボと対峙しましたが、決心は変わりませんでした。


6時間後
特急みどり号に乗って佐世保に戻った僕は、母にその話をしました。
かつて、おやつ代わりに天ぷらを買っていたこと、僕がほしがったおもちゃに60円を足してくれたこと。
それと同じモノを博多で見かけたこと

つづく

|

2020年5月11日 (月)

ジャイアントロボの想い出(3)

ジャイアントロボが手に入ることを思えば、天ぷらを我慢することはなんの苦でもありませんでしたが、新たな悩みが持ち上がりました。

なくなったらどうしよう

お店に並んでいたジャイアントロボは一点限り。
60円が貯まるまでの間に売れてしまったらどうしよう・・
子どもですから「取り寄せ」という言葉はまだ知りません。
一般的な商品はメーカーがある程度の在庫を持っていて、注文して在庫があれば取り寄せることができるという経済の仕組みを知るのは、ずっと後のことです。

今の歳までくれば、無くなってしまったら縁がなかったのだと諦めるという達観ができるし、インターネットが発達した現代では「本当に欲しいと思っていれば、それはいつか必ず手に入る」という確信もあります。
しかし、子どもの僕は気が気じゃない。

来る日も来る日も、まだそこにジャイアントロボが居るかを確認するのが日課となりました。
何も買わないのに在庫チェックに入店するほどのふてぶてしさはなかったので、通りすがりに店の外から一瞬で見極めていました。

僕はなぜか「前借り」という言葉を知っていたので、なくなったら困るから120円前借りさせてと頼む知恵はあったのですが、それが母の逆鱗に触れて、この「60円補填」提案がご破算になることが怖くて言い出せませんでした。
無駄遣いせず、貯金すれば欲しいモノに手が届くという経験を、母は僕に積ませたいのだ。その流れにのった方がいいと考えていました。
その判断は正しかったと思っています。


ここでジャイアントロボについて少し
ジャイアントロボは横山光輝が生んだ巨大ロボットです。
「鉄人28号」と同じ作者です。

1967年
「少年サンデー」で漫画連載

1967年
テレビで実写版放送
<全26話>と当時のテレビ番組としては短かったため、テレビ放映が進むにつれて多様に展開したウルトラマン、仮面ライダーのような人気の広がりはありませんでした。
(仮面ライダーは1号、2号編までで全98話)

1992年
アニメ「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」制作

1998年
ガシャポンHGシリーズ「東映ロボット列伝 全6種 HG フルカラー フィギュア」にジャイアントロボがアソートされました

◆アセット内容
ジャイアントロボ、カラミティ、GR2、ワンエイト、大鉄人17、大鉄人17(要塞モード)
ガシャポンサイズのジャイアントロボはこの1点だけしか発売されていません。


2002年
セガプライズ「ハイグレードフィギュア ジャイアントロボ」
(高さ31cm)がゲームセンターに登場
この頃、既にプライズ(ゲーセン景品)はコレクターショップでも販売されており、UFOの腕に自信がない人はショップで確実に入手できるようになっていました。当時実勢価格は1,500円程度

かつて120円のジャイアントロボに驚喜した僕にとって、これだけの品質のジャイアントロボが、この値段で手に入ることにデフレを感じたものです。

2010年7月(2013年7月再販)
「特撮リボルテック SERIES No.009 ジャイアントロボ」発売
■全高:約135mm
■可動箇所:18
■価格:2,715円(税別)

確認したところ、この商品は現在もプレ値で販売されていました。

つづく

|

2020年5月 9日 (土)

ジャイアントロボの想い出(2)

おやつと言っても僕がよく買っていたのは「ニシムラ」に売っている天ぷらでした。
エビや春菊が入っていて「こちら塩で召し上がってください」というアレではありません。
九州山口の方ならわかると思いますが、天ぷらといえば角天のことです。
魚のすり身を揚げて四角く成形すると角天。丸くすると丸天。

 



関東では売られていないため九州の人が「天ぷら」と言っても関東の人には通じません。
僕が「天ぷら」について説明すると、関東の人は「それはさつま揚げだよね」と言います。
確かに似てはいるのですが、さつま揚げには、野菜や魚介類などの具が入っているのに対して「天ぷら」には具は入っていません。

九州では「まる天うどん」と言えば、この丸い天ぷらが乗ってきますが、関東で「まる天うどん」と言うと丸いかき揚げ天ぷらが乗ってきたりします。

「天ぷら」は焼いても生のままでも美味い。
僕がそうだったように子供のおやつ代わりから酒の肴、弁当のおかずにも好適。現在は 角天3枚が98円。九州ではたいていのスーパーで売られています。
うどんに乗せるとうまいんだ、これが


ニシムラのおばちゃんに天ぷらを油紙で巻いてもらい2円のおつりを受け取ります。
1枚8円です。僕はこれを4日繰り返して5日めには、2円ずつ貯めた「天ぷら貯金」を投入して「2枚買い」に打って出るわけです。
2枚の日は興奮しました。
恐らく、そんなささやかな楽しみのことは母に話したことがないと思います。話したところで「それかね、ゆっくり味わって食べり」といった共感が得られるとは思えませんでした。


従って、120円のジャイアントロボが欲しいとねだっても「ええよ、買おといで」と即答が返ってくることはない。
「ムダなモノに出すお金はない!」と一顧だにされないだろうと思っていたのです。

天ぷらを6日我慢して10円ずつ貯めると、残りの60円を出してくれるという提案。幼い僕は母が菩薩に見えました。
いや、当時、菩薩という単語は知らないので、地獄に仏・・
半信半疑ながらも、じゃ明日から貯めるねと即答したのでした。

つづく

|

2020年5月 8日 (金)

ジャイアントロボの想い出

僕と母の思い出話です

僕が子どもの頃「ジャイアントロボ」という特撮テレビ番組がありました。
とは言っても、僕はリアルタイムでそれを観たことがありません。
なぜならば、ウチではテレビを見られる時間がとても限られていたからです。
テレビを観られるのは夕飯を食べながらの午後7時から8時まで。
それ以外は母に申告して、特別に認められたものに限ります。

従って"動いている"姿を見ることができたヒーローは「仮面ライダー」と「帰ってきたウルトラマン」のみ。
ただし「帰ってきたウルトラマン」の方は姉が見る「エースを狙え」と放送時間がかぶっていたので2週に1度でしたが・・

それでも、ある日、たまたまつけたテレビに映し出された「ジャイアントロボ」の造形は一瞬で僕の心を捉えました。
当時、他には「鉄人28号」などもあったのですが「ジャイアントロボ」の何を考えているのかわからない黒い瞳に魅入られてしまったのです。


子どもの頃に住んでいた盆地の町には商店街と呼べるものはありませんが、町に一カ所だけアーケードがありました。

佐世保の親戚の家に遊びに行った時「四ケ町」というそれは広大なアーケード街があり、それに憧れていた僕は、我が町唯一のアーケードを通る時はちょっと心躍るものがあったのを覚えています。
アーケード内にあるお店は果物店、洋服店など数えるほどでしたが、その町唯一のおもちゃ屋さんがそこにありました。


ある日、お使いで町へ出た帰り道、通りかかったおもちゃ屋さんで僕はそれを見つけてしまいました。

「ジャイアントロボ」セルロイドのおもちゃです。
色は灰色、彩色はされていませんでしたが、ウチのテレビは白黒だったので違和感はありません。ジャイアントロボに色が着いているのを知ったのは、大人になった後。
値段は120円でした。
もちろん、昔ですから、消費税はありません。


帰宅した僕は、お使いで買ってきた豚バラ肉を渡す時、ダメ元で切り出してみました。
それまでヒーローのおもちゃは何も持っていなかったし、母が首を縦に振るとは思えなかったのです。
ところが、母の答えは意外なものでした。

「毎日10円ずつためたら、半分は出してあげてもええよ」


僕は毎日のおやつ代として10円をもらっていました。
1ヶ月分前渡しではなく「日払い」です。
その10円を受け取ると、近所の「ニシムラ」や「ハラダ」といったお菓子を売っている雑貨店に行き、おやつを買うのです。
当時、たいていのお店は「ドリーム」とか「ハッピー」とかではなく、こうした店主の名字そのものに「商店」が付くものが大半でした。
「マツオ文具」「タナカ書店」「フクモト菓子店」「ヤマガタ精肉店」といった具合です。例示にしてはちょっと多いですが・・

つづく

| | コメント (2)

2020年4月20日 (月)

しらべる20周年

2019年4月20日
しらべるは、おかげさまで20周年を迎えました。
いつも読みに来てくださっているあなた!
最近、見始めたというあなた!
ありがとうございます。

しらべるは毎日更新なので、今日で7325日連続更新です。
さて、これから先、どれくらい長く続けられるでしょうか。
この20年の間には、二度の入院も経験しましたが、2002年のときはAirH゛(PHSのネット接続)を使い、2015年の時はスマホのテザリングで病室から更新を続けました。

アントニオ猪木ではないですが「元気があれば更新できる!」
健康に気をつけて、穴を開けないようにしたいと思います。

そんな20周年の年は「新型コロナウイルス感染症」という、とんでもない難敵がやってきて、世の中は大変なことになってしまいました。

今はただ、目の前の一分に集中する!
できることだけに注目して、できないことに不安を抱くのは止める。
そう心に決めています。


20周年記念に「20周年」と「30周年」のトピックをお話ししましょう。
先日「ハウステンボス20周年記念マグカップ」を廃棄しました。
ハウステンボスでは多数の商品が出ているディック・ブルーナのミッフィーと20という数字があしらわれたもの。
ハウステンボスは1992年3月に開園。記念日は3月であり、そのために佐世保に帰ることはできなかったので、知人に頼んで送ってもらいました。
ハウステンボスはH.I.S.が救済してくれる前に厳しい時期があっただけに、無事20年を迎えたことは感慨深かった。

じゃ、なんで捨てるの?
ということですが、買ってはみたものの、普段使いできるタイプのモノではなかったので、小物入れで場所塞ぎになっていたのです。
捨てる基準は「トキメクか?否か」と近藤麻理恵が言っていますが、ここ数年、まったくときめかなかったのです。

よし、捨てよう!と決めて、不燃ゴミ袋に入れてから9日後、不燃ゴミの日の朝。
気が変わりました(笑)
考えてみれば、物置にはローソンでパンを食べてもらったリラックマやスヌーピーの皿やマグがこれでもか!というほど溜まっているのを思い出したのです。
アレに比べれば、コレには想い出があるぞ!
ということで、小物入れに戻しました。


僕がインターネットでこうして書き物を始めたきっかけは、1992年に佐野元春ファンの集い「元春HP」に入ったことにあります。
今日はそこの詳しい話しは割愛しますが、2022年9月には、そのCUGが30周年を迎えます。
今年の1月、まだコロナ自粛が始まる前に、仲間と呑んだ時に「2022年9月には30周年オフを盛大にやろう!」ということを決めました。
僕はいつも、その場で「司会」をやっているのですが、三度の飯より司会が好きな僕としては、もう今からワクワクして眠れません(笑)


20年という時を隔てた2つの姿は、明らかに成長の軌跡を描いているのですが、成長した今という結果もさることながら、20年を過ごした、その時々がとても美しいと思っています。
過去は現代が与えた評価。いくらでも美しく書き換えられますね。


また、時々、しらべるに遊びに来てください!
moto

| | コメント (4)

2020年4月 1日 (水)

[テレビ取材ではカメラを見てはいけません法]が制定されて10年

2020年3月末
マスクをつけたおばちゃんが、テレビの取材に応えている
マスクの端っこが変色しているところをみると、一週間は使い続けているのだろう。その苦労の跡が窺える

首都圏の各知事が「不要不急の外出自粛要請」を出して迎えた週末の土曜日。
スーパーに食料品を買出に来たおばちゃんが話す

外出できないから遊びにも行けない
外で食べるのもなかなか難しい

おばちゃんは取材する放送局の記者の方をじっと見据えたまま、にこやかに話す

彼女はけっして「人と話す時は相手の目を見て話しなさい」と親から躾けられたわけではない


続いて、記者は飲食店に向かう
この週末、外出が自粛されるなか、お店が営業するのかを取材するためだ

まだわかりません
決めていないので

応えづらそうな女性店員
しかし、その視線はしっかりと取材記者を捉えている


続いて、記者は若者に人気の百貨店へ
いくつかの百貨店は土日の休業を決めているからだ

マスクをつけた女性社員が応える

売上も含めて数字としては厳しいところが出てきていますが、感染予防の意識付けが若い世代の方にも伝わればいいと思っています


別の放送局ではサクラが見頃を迎えた名所にカメラが出ている
ここ数日、恒例となった取材場所だ

マスクをつけた高齢のおばちゃん2人組が取材に応える

人は少ないと思って来たのに、意外に多くてびっくり
私たちはこうして(マスクを付けて)対策してるけど、若い人たちは(マスクもつけていないし、大騒ぎしていて)どうなんでしょうねぇ

お前が帰れよ!
お茶の間の皆さんがつっこんでいるだろう

 

[テレビ取材ではカメラを見てはいけません法]が制定されてちょうど10年
今ではすっかり定着して、誰も違和感を感じていない

法律ができてスグの頃
テレビで放送される取材映像を見て、違和感を感じた
なぜ、みんな"カメラ目線"しないんだろう?

テレビがこの世に登場して以来、アナウンサーは必ずカメラを見て話す
ニュースの場合、手元の原稿に目を落とすのだが、節目節目ではカメラに目線を送らなければならない。そう、放送局では指導してきた
「徹子の部屋」のような対談形式でない限り、インタビューを受ける側は"カメラに向かって話す"ことが、半ば義務づけられてきたのだ


テレビに映るには、良きにつけ悪しきにつけ何かを成し遂げなければならない
見るからに一生テレビに映ることはなさそうな一般の人
ここぞとばかり、カメラ目線でしっかり映りたいと思うはずだ
しかし、小学生の悪そう坊主から、大根畑のおばちゃんまで、誰もカメラ目線しなくなった

これは、何かあるな
初めのうちは、撮り始める前に「私を見てください。カメラを見ないでください。カメラを見たら撮り直しになるので」と釘を刺されているのだなと独りごちていたが、それだけではなかったのだ

この法律は内容が内容だけに、主要メディアは一切報道しなかった
一般にはほとんど知られていない
だから、カメラを回す前に取材者が、法律の条文を見せて説明する

NHKの受信料が「支払いの義務はあるが、罰則はない」と規定されているのと同様に「カメラを見てはいけないが、罰則はない」


最近では、事情を知っている人の中には、記者が説明しようとすると
あぁ"カメダメ法"ね、わかってるよ

2020年4月1日記す

|

2020年3月15日 (日)

明日の道をひらく

「質問ではなく提案のカタチをとっている」
人からそんなふうに言われるようにしたい。

もう少し、具体的にいうと
「あの人の発言はいつも、質問ではなく提案のカタチをとっている」
ということだ。


▲質問のカタチ
「詳細なマニュアルはないんですか?」
「マニュアルのここ、わかりにくいですよね?」

 ↓↓
●提案のカタチ
「そのケースにピンポイントで落とした、A4一枚の手順を作りましょうか」
「画像を入れて"できるエクセル"みたいな資料を作りましょうか」


質問のカタチでものをいうと、言われている方は「非難されている」という印象を抱く。
その時、心の中ではこんなことを想う。

「やることはたくさんあるんだ。何もかも完璧にはできないよ」
「マニュアルが及んでいないところは、あなたが運用で埋めてほしい」
「だったら、お前がやってみろ」

そもそも、マニュアルというのは「はみ出してはいけない最低限の規範・基準」であり、起こりうるあらゆるケースを想定して、文書化するものではない。

「いやいや、違うでしょ。マニュアルは完璧に何もかもを網羅しているものでしょ」
と考える人もいる。
確かに、牛丼チェーンやコンビニのマニュアルであれば「網羅」が求められている。
ただそれは「FC」という契約形態が要求しているのである。
そのマニュアルがロイヤリティ(手数料)の対価、つまり商品なのだから、完璧を求められる。
また、その担い手が「素人」「アルバイト」「非正規」であることを前提としており、担い手が自ら考え、改善の努力をすることを期待はしても、織り込んではいない。


未来に起きる出来事は、読めることもあれば、そうでないこともある。
サラリーマン(会社人)として、社会人として、あるいはボランティアとして。
自分も知恵を出して参画した方が楽しい。
たとえ求められても、求められてはいなくとも。


なんだか松下幸之助「道をひらく」みたいですね・・^^;)

|

2020年1月26日 (日)

アドレスを知らず、年賀状のやりとりもないつながり

年が明けてからずっと、一本の電話を待っている。
いつもならば、外線電話を取ったりしないが、先週は率先して取っては、それは隣の人ということが続いた。
待っている相手は岩尾君。年に1度、この時期にやってくる営業担当だ。
なぜ電話かというと、よくわからない。
営業のアポイントは、メールよりも電話という考え方なのだろう。

岩尾君との付き合いは、もう10年以上。
仕事の話しもするけれど、お互いが楽しみにしているのは、この1年の近況報告だ。
共通のテーマはスポーツ。
ただ、特定のスポーツチームを応援していると言った話しはしない。聞いていて面白くないからだ。
もしも、野球チームに入っている岩尾君が「去年のカープは不甲斐なかったです」といった話しをしたら、僕は興ざめする。だから僕もしない。ちょっとするけど^^;)


去年は岩尾君が「motoさん今年はつくば(マラソン)ですよね」とメモを見ながら話しているのに感心した。
雑談の内容を書き留めておく営業は世界中にいるかも知れないが、自分がその営業を受けるのは初めてだったからだ。

だから今回は去年、岩尾君が話したことを復習する。と言っても僕は営業ではないので、営業システム手帳は持っていない。このブログで去年書いた記事を読み返した。

「ソフトボール大会で利き手の指を骨折した」
「リハビリをして、随分曲がるようになった」
去年そう言って、あまり曲がらない指を見せてくれたので、まずは、指の回復状況を気遣うところからだ。
すると、岩尾君は「覚えていてくださったんですか?」と言う。きっと僕は、いや去年の記録を読んで復習してきたんだとネタをばらすだろう。


半年前、パソコンに向かっていると「ちょっと名刺二枚持って、来てくれませんか」と呼ばれた。岩尾君以外に僕にお客さんが来ることはないので、ちょっとドキドキしながら向かうと、そこには岩尾君と同じ会社の社員が2人来ていた。
聞くと、彼らは岩尾君の部下にあたり、岩尾君は部長なのだという。
そういえば、初めて会ってから10年以上、名刺をもらっていない(普通はもらわない)
知らない間に(普通は知らない)岩尾君は偉くなっていたのだった。

「よっ、大部長!」
と冷やかすのも入れなければならない。

暖冬が続いて卵の値段が上がり、中国で新たな伝染病が流行り始めていた頃、外線が鳴った。
電話をとった町田君は「岩尾さんという方ですが・・」と怪訝そうに言う。
ワンルームマンションの売り込みだったら、居ないというつもりのようだ。
あぁ、いいよと言って保留を解除する。

今年は遅かったね
「いやぁ一年が経つのがあっという間ですね。ついこの間会ったような気がするんですけど」
僕は言う。でも三ヶ月に1度くらい会う人で、あまりそう思わない人も居るんだよね。どこがどう違うんだろうね?
「さぁ・・」
新たな課題を僕は見つけ、彼はまた営業システム手帳を持って、やってくる。
互いに個人のアドレスは知らない。年賀状のやりとりもない。そんなつながりが、今はとても大切に思える。いつか名刺がなくなっても、彼は僕と会って話してくれるだろうか。ふと、そんなことを考えた。

 

|

より以前の記事一覧