2022年5月 7日 (土)

NO COFFEE SHOP, NO LIFE 人生には、喫茶店が必要だ

NO COFFEE SHOP, NO LIFE

その喫茶店が閉店して、5年が過ぎたが
それに代わる店を見つけることができていない


その喫茶店は、最近ウクライナからの避難民に仕事を提供していることが報道されている会社に代替わりする前の百貨店に入っていた

コロナ禍前のことで、週末は駐車場が混んでいたが、その喫茶店はいつも空いていた

土曜日の朝、本とノートを持って開店と同時に喫茶店へ直行する
自宅のパソコンでフォルダーをワンドライブに放り込んでおくと、ノートでもファイルが開けるのが便利だ

学生時代の行きつけのように毎日来るわけではない。年に4~5回程度か。それでも、この場所が僕の拠り所

マラソンに向けてがんばっている時は、レースを終えたらゆっくりあの喫茶店へ行けるということが、励みの一つになっていた

その喫茶店が閉店する
たまにしか来ない立場で、勝手な言い分だが、ずっと続けてほしかった


壁沿いに設えた一枚板のテーブルが僕の定席
そこから、ウィンドウ越しに百貨店の食品売り場を見下ろせる
迷路をゆくパックマンのように、売り場のあちこちでたくさんの人が違う方向に歩いている
パソコンに飽きたら、しばらくそれを眺めている

ノートと本を交互に開いて、ブレンドコーヒーを飲む
ここでの気分は、家でいつものパソコンに向かっているときとは明らかに違う
「煮詰まる」という感覚がないのだ

長い時間、文章を書いていると、脳の回転速度がおちる
そろそろ何か、新たな動きがあるのではないかと、ネットを巡回したり、メールをチェックするのだが、世の中は僕を置き去りしたかのように進展がなく、空虚な気持ちになる

ここではそういうことはない

家にいるとつい、ネットを開いて、当てもなく時間を過ごしてしまう。ここでもテザリング環境はあるのだが、今開いているアプリに集中できるのだ

いつもは思いつかないようなアイデアを思いつくこともある
日頃、断片的に思いついては消えていたことが、ここで整理できることもある

一定の制約がある非日常の環境に身を置くと、日頃は自分の中から掘り出せなかった考えをカタチ(文章・メモ)にすることができる

その理由を考えてみた
・誰かがそこに居るのに、誰かに話しかけられて思考が中断しない
・誘惑、逃げ道の選択肢が少ない
・ほどよい雑音、机と椅子がある

そこに居るのは自分だけではないのに、自由で、支配されない空間
それを「居場所」という
居場所は欲しいが、不要な思考を喚起されたくない
(それを居心地が悪いという)

人生には、考えることが多すぎる
人生には、知らなくていいことが、あふれている
人生には、喫茶店が必要だ

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2022年1月24日 (月)

年賀状は贈り物 加筆された文字数は平均で 20.1文字

「年賀状は贈り物だと思う。」

これは、日本郵便が2007年に平成20年(2008年)用年賀キャンペーンで謳ったキャッチコピー。
作者は2014年に亡くなったコピーライターで、東急電鉄沿線広報誌「SALUS」に「大人の迷子たち」(のち書籍化)を連載していた岩崎俊一さん。

年配の方ならば、このコピーに共感する方が多いと想うが、自らが贈り物だと想って書いているかは別の話だ。

年賀状は、挨拶と手短なお愛想を書いたあと、自分の住所を書いて、住所録から住所を写して宛名を書かなければならない。
無精な人にとって、年賀状というのは苦行だ。

不精者は自分でやりたくないことは、誰かか何かの力を借りる。
1990年代までは印刷屋さんがそれを担っていた。

文面は「謹賀新年」「旧年中は世話になった。今年もよろしく」的なことが慇懃に書かれていて、住所氏名が載る。ちょっと費用を奮発すると干支の動物の絵柄が添えられる。
それでも、表書きは自筆で書かなければならなかった。

書道の心得がある人は、ここぞとばかりに達筆を披露する。
しかし、そこで力尽きる。
従って、本文に「個別メッセージ」は書き足されていない。


2000年代に入って、各家庭にパソコンが普及すると、不精者は一斉にパソコンに食いついた。
パソコンは、本文から表書きまでこなしてしまう。気の利いた人ならば、デジカメで撮った写真を入れることもできる。
ここで、ついに不精者は「一筆たりとも自筆しない」環境を手に入れた。
2010年代、2020年代、その流れは変わっていない。
この20年、年賀状には技術革新が起きていないのである。


2022年正月、手元に届いた年賀状のうち「個別メッセージ」が書き足されていた比率は 55%
これは年々上がっている。
それは、人々が「年賀状は贈り物だ」と気づいたからではなく、元々贈り物だと想っていなかった人が年賀状から撤退した、あるいは、僕との関係が切れたからだろう。

加筆された文字数は平均で 20.1文字
試しに20文字書いてみたら20秒かかった。文面を考える手間もあるので、一人あたり30~40秒の時間をかけてくれたことになる。

僕はそれを 5秒くらいで読む。
その時、書いてくれた人の顔や性格を思い出し、僕に抱いている感情を想像し、こうしてひとこと添えてくれたことを、とても嬉しく思う

イヤなやつに「個別メッセージ」は書かない。
そもそも、年賀状を出さない。儀礼としてやむを得ず出す場合、個別メッセージは添えない。添えようにも「元気ですか」「今年もよろしく」といった小学生みたいな言葉しか浮かばないからだ。


長崎市の知人
「今年こそ長崎を走れそうですか」

かつて、その知人に贈った年賀に、僕はこう書いていた。
2020年「今年は長崎平和マラソンを走ります」
2021年「今年こそ長崎平和マラソンを走ります」

※長崎平和マラソンは被爆75周年事業として2020年に開催予定だったが、コロナ禍で2021年に延期。それも再度延期されている。

沿道に住んでいる彼はきっと、応援に出てきてくれるだろう。大会が近くなったら、こんな服装で走りますと写真付きのハガキを送って催促しよう。
しかし、その機会は訪れていない。
恐らく、知人は長崎平和マラソンが2021年→2025年(被爆80周年事業)に延期されたことを知らない。

2025年の長崎平和マラソンは必ず走りに往きます」
2023年の年賀に、僕はこう書くだろう
80歳を超える彼が、健康でいてくれることを祈る

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2021年12月18日 (土)

送別会で定年退職者を泣かせたスピーチ

定年退職する権田さんに送る言葉はいよいよ最後の一人。
一般的な送別会ならば、最後は取締役や部長といったお偉いさんが取りを飾るところだが、今日は席順。
ということはこの宴席は固定席で行われているということであり、およそ二時間ほどの送別会の間、一度も権田さんと言葉を交わしていない人も多くいただろう。

その場ですっくと立って話し始める。持ち時間は決まっていない。ここまでの皆さんはおよそ2~3分というところ。ここは1分ちょっとでまとめよう


ナゴヤ支社からこの部署に移ってきた時、始めに権田さんにガツンと言われたことがあります。
「素人でちょっと詳しい人と、プロでは全然違うんだぞ」
それは、珍しくパソコンを使う支社員だった僕に※、本職のシステム担当者は次元が違うんだぞということを、わかりやすく表現されたのだと想います。
(権田さん、そんなことも言ったかなと笑っている)

それ以来、権田さんには厳しくご指導いただいてきました。
横浜の印刷所に権田さんと行った帰りのことです。
私がクルマを運転して、会社の駐車場に車庫入れを終えた時
「君は運転だけは上手いな」と言われたのです。
(「えらそうに^^)」と同僚から野次が飛ぶ)
この一年、叱られてばかりで、褒められのはこの時だけですが、1度だけでも褒められて嬉しかったです

ここまでは、和んでいた空気が次のひと言で凍り付く

もし私が今日この会社を去っても、1週間もすれば誰ひとり僕のことを覚えていないと思いますが、今日で居なくなる権田さんのことは1か月、1年たっても誰も忘れていないと想います

権田さんの健康をお祈りしています。ありがとうございました。

そう言い終えた僕は、座の空気を窺うようなことはせず、タイマーで消灯するライトのように、即座に着席して参加者の一人に戻った。
すると、想定外のことが起きた。
入れ替わりにとなりの権田さんが立ち上がったのだ。無理やり椅子を引いたので、床が軋んだ。
なにか言うのかと想うと、立ち上がった一連の流れで、すたすたと歩き出した。

本来ならば、ラストバッターの僕が話し終えたところで、おもむろに立ち上がった権田さんの独演会でも聞くか・・という場面だ。


そして、走りださんばかりの速さで歩いた権田さんは、そのまま部屋から出て行ってしまった。
(漏れそう!という話しか)
歩きっぷりだけを見ると、限界までトイレを我慢していた風情だが、彼がハンカチを目に当てているのをみて、誰もが状況を察した。

あれ、どうしちゃったのかな~
幹事が素っ頓狂につっこんで場を和ませようとしても、場の空気はまさにキツネにつままれたよう。
5分ほど経っただろうか「いや、失礼した。ん?じゃオレが話す番か」と言いながら権田さんが帰って来た。誰の目にもそれが彼の照れ隠しだとわかったが、誰もそれには突っ込みを入れなかった。


僕はこうして、初めて出席した定年送別会で、主賓を泣かすという快挙?を達成してしまった。
この時、20年後には僕にも定年がやってくること、その送別会があるであろうことも思いを馳せることはなかった。


※当時、仕事としてのパソコンは普及前で、自前ノートパソコンを営業に使っていた支社員は二人しかいなかった

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2021年12月17日 (金)

箱根でおこなわれた定年退職の送別会

権田さんの送別会は強羅温泉のとある温泉旅館で行われた。
当時は、うちの会社でもパソコンの「1人1台化」が行われて、いよいよ世の中はパソコン時代に入ろうとしていた。
今となっては、紙とボールペンに電話とFAXで仕事をしていたことは大昔のことのようだが、暦年にしてまだ20年ほど前のことだ。
ということは、世の中の変化の速度がすさまじいと言うことになる。

インターネットが日本に入ってきたのが1994年、僕らが佐野元春さんと公式サイトを作ったのが1995年。そして「インターネット元年」と言えるのは1997年だと僕は考えている。
なぜそうかというと、この年に初めてLAN端子を標準装備したノートパソコンが売り出されたからだ。
その年に買い換えた自身3台めのノートにはLAN端子つまり「10BASE-T(てんべーすてぃー)」が1ポート実装された。
それまでは、後付けしたモデムからモジュラーケーブルで電話線に接続していた。

話しを送別会に戻そう
この頃はまだ、目的地の住所を打ち込むだけで、最適なルートを提案してくれるサービスはなかったが、最寄り駅までの乗換案内は既に存在した。東京に来て1年。箱根と言われてもそれが何県にあるのかさえ知らなくても、箱根登山鉄道に乗って強羅温泉にたどり着くことができた。


箱根登山鉄道とは、神奈川県の小田原~早雲山を営業運転する3つの鉄道の総称

■小田原~箱根湯本
小田急と連絡運転する普通の鉄道
新宿~箱根湯本の直通便も出ている

■箱根湯本~強羅
スイッチバック式の登山鉄道
・箱根湯本から強羅に向かって左側が景色がよい
・進行方向に前向きに座るとよい
・スイッチバックは3回
・スイッチバックの度に運転手と車掌がホームを走って入れ替わる

■強羅~早雲山
急斜面を上る登山ケーブルカー


送別会の宴もたけなわ。
およそ30名ほどの出席者が1人ずつ権田さんを送る言葉を贈る。
権田さんは一番隅っこに座っていて、僕はそのとなりに陣取っていた。
権田さんは若いプログラマー達には愛されていたけれど、同僚には煙たがられてもいたので、となりが空いていたのだ。

向こうの端っこに座った社員から席の順番に話し始める。
それを「ふんふん」とか「そうだな」とか合いの手を入れながら聞いている権田さん。
僕は同僚たちの贈る言葉を聞きながら、少し物足りなさを感じていた。
誰もがいい話しをしたい。他の誰かと同じように。
だが、どれも同じ過ぎていて、心に響かない。
僕が送られる立場だったら「あぁ自分はこんなものか」と想うのではないか。

一人終わり、また一人が終わる。どの話しもきれいごとだし、ありきたりだ。
順番が近づいてくるに連れて、権田さんを喜ばせることを言ってあげたいという気持ちが募っていく。
ここに居る同僚の中で、権田さんとの付き合いは僕が一番短い。それでもそのわずかな時間の中から、今僕に言える精一杯の言葉を見つけ出した。

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2021年12月11日 (土)

公務員の勘違い 定年まで2年「半」

誕生日には、いつも姉からのメールが届く
この歳になると(いや、ずいぶん前から)誕生日を祝ってくれる人はとても少ない。
誕生日を覚えていてくれて、こうしてメールをくれるのは郷里に住む姉だけだ。

「あと、定年まで2年半ですな。」

ん?2年半?

サラリーマンの方ならば、おわかりかと想うが、誕生日を迎えた時点で定年まで「2年半」のように「半」がつくことはない。
それは、切りよくあと「2年」とか「1年」になるはずだ。

姉は定年退職が、年度末の3月31日だと想っているのである。
かくいう僕も20年前まではそう想っていた。


社会に出てから30代までは出先にいたので、周囲の同僚は20~40代まで。
同僚が定年を迎えるということはなかったので「定年退職のタイミング」を意識することは無かった。


ただ、その頃から定年に対する憧れだけはあった。
60歳になれば誰もが定年退職する。
それは疑うことのない事実。
定年すれば、もう働かなくていい。
当時は、年金であるとか自らの老後の資金といったことには無頓着だったが、きっと、慎ましく暮らせば生きているくらいのお金がもらえるのだろうと漠然と考えていた。

当時は仕事が楽しく、人間関係にも悩んでいなかったので「ここから早く逃げ出したい」といった気持ちはなかった。
ただ「老後」という甘美な言葉を遠い未来にイメージするだけ。
同僚に対して「あぁ早く定年したい」とわざわざ口に出しては、変わり者を演じていたのである。


定年を初めて、身近なものとして捉えたのは20年前。
出先を追われて、情報システム部門に異動してくると、逆にそこは40~50代の社員ばかり。
そこで初めて「同僚が定年を迎える」というイベントに立ち会うことになる。

季節は秋
部長から「権田さん送別会のご案内」というメールが送られて来た。
権田さんは「パソコンには詳しいけれど、システムのど素人」だった僕に、SEとしての基本を指導してくれた人。その権田さんが退職するらしい。恐らく定年を迎えたのだろう。

案内メールには、箱根の温泉に浸かった後、宴会する日帰りプランが書かれていた。これまでに経験した(異動の)歓送迎会とは違い、退職ともなると、これくらい大げさにやるのだな・・と感心した。
それと同時に、秋という中途半端な時期に退職することに違和感を持った。

「権田さんは独身貴族だから、任期を半年残して辞めるのですか」
世の中の酸いも甘いも、まだ噛みしめ切れていなかった僕は、こんな軽さで本人に問いかけた。
権田さんは少し驚いてから、ぶっきらぼうにこう言った。
「誕生日だからな」


僕はこの時まで、定年退職は「60歳を迎えた年度末」だと確信していた。
それは、父が公務員だったからだ。
公務員の定年退職は年度区切り。姉も僕もすべての定年はこのルールで行われると想っていた。
姉への返信メールでは、あえてこの「半年」の勘違いには触れなかった。
その1年後、つまり、定年まであと1年となった誕生日。
姉からのメールには

「あと1年半で、退職ですな。早いものです。」

さすがに今度は、こう返した。

民間会社は誕生日の前日で退職なので、あと364日です。
僕も初めて職場の先輩が定年する時までずっと3月末で辞めるものと想っていました(20年前)

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2021年12月 9日 (木)

定年した僕への手紙

元気ですか?
僕はこの手紙を2年前に書いています。
最近、しごとで辛い状況にあります。
とても苦手にしている奴らとのせめぎ合い。
そして、僕が主導する全社への新たな規制。それによって、容易に想像がつくユーザーとの軋轢。
それにもプレッシャーを感じています。

会社で行う規制というのは、個人が好きに決めるものではなく、組織の意向で決めるもの。
僕が個人的にやりたくてやるということはありません。
本来ならば、そこには共に戦う?同僚たちが居るわけですが、果たして彼らがどれだけ「自分ごと」だと思っているか疑問です。

誰だって火中の栗を拾いたくない。
できるだけ遠巻きにして、火の粉がかからぬようにしたい。

決めた時は会議で決めたのに「じゃ君がやって」と言われた時に「わかりました」と物わかりのいい振りをしたのがよくなったと今では想います。
分析して制度設計して、社内に周知する段取りを決めて・・そうして進めているうちに、周りから人が居なくなっていました。
そんな中、1人で戦っている気がします。自分ひとりで背負い込んでいるというか。


あまりに考えすぎかな?
楽天家オプティミストになりたいと思い始めています。
どうしたら、楽天家になれるのか?
その方法はこれから勉強します。
想像を巡らせるて、妄想を膨らませるうちに疑心暗鬼になり、悲観するより遙かにいいと思います。

最近思いました。100歳の自分からみて、残り2年はあっという間で、そこで大変だったこととかも笑い話になるだろうと。
あの時「逃げなかった自分、エライ」と誇りに思えるんじゃないかとね。
いつか、この苦境を笑いに換えた経験を書きたいと想います。


こうして、定年を迎える2年前の初夏、僕は定年退職した自分に向けてこの手紙を書き始めた。
定年した僕が、あとからサラリーマン生活終盤の葛藤をふり返る記録になるだろう。

後々のためだけではない。
文章を書くということは、心を支える取組になることがある。
初めは愚痴の記録として書き始めても、次の文節を探している時に、自分のなかに正確な言葉を探しにいこうとする。
すると、自分のなかにどろどろとした怨念ではない、とても、清廉なものが見つかることがある。

定年した僕は知りたいだろう
定年までの二年間、僕の周りでは、どのような変化が起きて、その時、自分はどう考えていたのか。


定年で会社を去ること
定年退職者後の日々に起きたこと
いつか「60できっぱり辞める」という同じ道を進む人の参考になればいいと想う

(不定期連載)

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2021年9月10日 (金)

選手村跡地 HARUMI FLAG の販売が再開する

2021年9月8日
東京2020選手村が閉村した。
最終日はシフトが入っていなかったが、立ち会った仲間によると、いろいろなことがあったようだ。

我々、選手村スタッフはここで知り得たことを書くことはできないので、このブログと用語集「しらべる」で書いていることは、それ以外のこと。つまり、当たり障りのない^^;)話しばかりということになる。


オリパラで使ったハード、ソフトを後世に活かすことをレガシーという。
選手村で使用された建物は「HARUMI FLAG」となる。


東京2020選手村跡地の再開発事業

■概要
晴海五丁目西地区第一種市街地再開発事業
総開発面積:133,906平米
住宅 5,632戸
 分譲住宅街区4,145戸
 賃貸住宅街区1,487戸(シニア住宅、シェアハウス含む)
商業施設、介護施設など
入居開始予定:2024年3月下旬

戸数は当初予定通りだが、入居開始は予定より1年遅れる。


■交通手段
・都営大江戸線「勝どき」徒歩20分~40分程度
・都営バス「晴海埠頭」中心街は「ほっとプラザはるみ前」
他には、TOKYO BRTが整備されると報道されている。

BRT:Bus Rapid Transit バス高速輸送システム


■時系列の記録

2019年7月26日~8月4日
第1期販売 600戸に対して1,543組が申込み登録(最高71倍、平均2.57倍)
最高額物件 4LDKで2億3千万円
最安物件 2LDKで5,400万円

2020年3月23日
新型コロナウイルス感染症 COVID-19感染拡大防止のため第2期販売を延期

2020年3月24日
東京五輪2020延期発表

2021年9月8日
選手村閉村

2021年11月
SUN VILLAGE 第1期、SEA VILLAGE 第2期の販売を開始
「SUN」「SEA」は選手村でも街区名として使われていた

2023年4月
当初の入居開始予定

2024年4月
当初の入居開始予定


いつか、生まれ変わった街を、仲間と一緒にひっそり訪れてみたいと想う^^)

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2021年5月22日 (土)

ピタッと止まる!滑り止めシートの意外な役割

情報、飲食、トイレと在宅避難の備えは徐々に整ってきた。
ここからは重大ではないが、日々の暮らしに欠かせないものへ目を向ける。

在宅避難中はお風呂に入れない。
避難所であれば、長期にわたる場合、仮設シャワーが用意されるのだろうが、自宅で完結するのだから、贅沢は言えない。

断水時・入院時の洗髪に使えるドライシャンプー。
以前、入院した時に買ったことがあった。
探してみると「手袋型」が出ていた。

■手袋シャンプー
メーカー:本田洋行(愛媛県四国中央市)
ヨドバシドットコムで5枚入りが405円
1度に買うと、1度に古くなるので、まず1つ購入。
2か月後にまた1つ購入した。
本来ならば、半年くらい間隔を開けて買い足すところだが、とりあえず喫緊の課題に供えて、一定数を確保する。

「手袋型なので頭皮まで洗える」
「泡立たない」
「ノンアルコール」
とメーカーは謳っている。
ローリングストックするようなものではないので、使用感は被災しなければわからない。


本田洋行では手袋型の「手袋からだふき」も出ていたのでそれも同様のタイミングで購入。

■手袋からだふき
メーカー:本田洋行
ヨドバシドットコムで5枚入りが405円

「電子レンジで温めて使える」
とメーカーは謳っている。在宅避難時には叶わないことだが、在宅介護では重宝すると思う。


ここまでで「在宅避難」というテーマに絞った備えは一旦終了して「防災」の備えで手つかずだった「滑り止め」を探す。

東日本大震災の日は、高い位置に飾っていたウルトラマン1/1マスクが落下してパソコンを直撃するという災難があった。
ウルトラマンはすぐに、クローゼット内の枕棚に仕舞った。
高い位置に飾っているものは底面に強力両面テープを貼っている。
そんななか、書棚に飾っている銅像、タンスの上のタブレットの滑落防止策が残っている。

パソコンの滑り止めシートが売られていて、大半は1000円超え。
カートの「後で買う」に保存して、さらにいいモノがないかと目をこらしていたら、ダイソーでいいモノが見つかった。

■ピタッと止まる!滑り止めシート
110円
使う場所に応じてカットして使うというのが合理的。
70×80cmの碁盤の目になっていて、直線に切りやすい。
銅像の下、タブレット置き場、それでも余るので書棚の上にも敷く。

意外な用途として、ショーケースに役だった。
これまで飾っている電車やスポーツカーは前進しないよう、車輪に両面テープを施していたが、このシートを敷くと少々の揺れでは動かない。

これで、準備OK
さぁいつでも来い
いや、来ないで欲しい
来たとしても、少しでも抑えめにお願いしたい

在宅避難のはなし(おわり)

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2021年4月25日 (日)

震災時の在宅避難で、外せないのがトイレの備え

災害が起きるとテレビでは現場の映像が流れる。
見たくなければ目を背ければいい。
だが、臨場するとそうもいかない。
現場に何らかの役割で赴いた人が「見ると行くでは大違い」と語るのを聴いたことがある。
違いは「臭い」だという。

以前、被災地に入った時、衝撃だったのは大便の臭い。
避難所の屋外に置かれた仮設トイレから漂う、それは強烈だった。


在宅避難に備える時、避けては通れないのがトイレ。
自宅のトイレは給水ポンプでくみ上げられた「水」が流れている。
「停電」「断水」どちらかだけでも、水は流れない。

それでは被災後、水が流れるうちは流していいかというと、そうでもない。
下水管が破損した場合、汚水が漏れてしまうからだ。
マンションの管理組合は「被災後は排水管の無事確認がとれるまで、水を流してはいけない」というルールを規定するとよいだろう。


「Google先生」に「在宅避難 トイレ」で尋ねると「折り畳み式簡易トイレ」が見つかった。

■メーカー:アイリスオーヤマ
■品番:BTS-250
■段ボール組み立て式
■実勢価格:2100円
■耐荷重:250kg

組み立て式なので、平常時はじゃまにならない。
(いつも、そこにあったら怖い)
固めて捨てるトイレ処理セット(凝固剤など)5個付
使用後は「燃やすゴミ」で出すのだという。

ということは、5個を使い切ったら補充が必要なのか・・・
そこで、さらに「緊急戦隊トイレマン」をカートに入れる。

■凝固剤・汚物袋(トイレ袋/黒)のセット
■価格:50回分 2000円
■10年保管

トイレマンは家屋のトイレ、折り畳み式簡易トイレどちらでも使える。
待てよ!
そもそも折りたたみトイレは何処で使うんだ?
リビングにトイレ置いて、できるか^^;)
やはり、トイレは個室だろう

ということで、折りたたみトイレをカートから削除してお買い上げ。

届いてみると段ボールは以外に小さくて(18.5×24×14.5cm)トイレ内のストック棚に置くことができた。
箱の側面に保管開始日の記入欄がある。
2021年4月と記入。これで、2031年4月までは使える。

仕舞ってしまうと、買ったこともすぐ忘れる。
大便の臭いと同居する日々のことは、あまり考えたくない。
脳は論理的に解決策を策定したことは、考えないで済ませることができる。
備えておけば、有事まで忘れることができる。
備えていなければ、時々、思い出さなければならない。

在宅避難

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2021年4月17日 (土)

イワタニが作るエレガントで高機能なカセットコンロ

「カップヌードルローリングストック」にセット組みされている
岩谷のカセットコンロ「プチスリムII」にひと目惚れしてしまった。
前に買ったカセットコンロもずいぶん古いはずなので、この機会に新調するのもいい。
※岩谷はカセットコンロの使用期限を10年と謳っている。

カセットフー プチスリムⅡ
CB-JRC-PS50
実勢価格:3040円
サイズ:W279×D185×H85㎜

特徴
■ガス着脱マグネット方式
■ムダ火を抑制する「タテ型炎ロバーナー」

同社の「スリムⅢ」と比べても一回り小さい。
収納が手狭ならば、これはグッドポイント。
カセットガスもコンパクトな「ジュニア」だけでなく、通常のものも使える。

よし買おう!
と決めたが、同社の他の商品をチェックしてからでも遅くない。


カセットフー プチスリムⅡ
CB-SS-50
実勢価格:3100円
サイズ:W335×D275×H84mm

「スリムⅡ」と比べると一回り大きいが、それでも通常のカセットコンロと比べると薄い分、かなりエレガントだ。

「スリムⅡ」にない特徴として「ヒートバネル」搭載とある。
先日のガス抜きでも経験したが、ガスを充填した缶は使っているうちに缶が冷えて、中身が出づらくなる。
ヒートパネルがボンベを適度に暖めて器具の火力を維持させるという。
ガスを最後まできちんと使い切れるのは、在宅避難時にはありがたい。

元来、小さいモノには目がないのだが、ここは機能を優先。「大は小を兼ねる」という先人の言葉もあるのでスリムⅢに決める。

カセットガスは「イワタニカセットガス」と指定されている。
そんなこと言って、他社製品だって使えるんじゃないの?と想ったら、岩谷のサイトには次の記述があった。
「指定された専用の器具・容器(ガス)」の組み合わせでお使いいただくことと法令上定められています。(液化石油ガス器具等の技術上の基準等に関する省令)

イワタニカセットガス
CB-250-OR
実勢価格:3本600円
ネット通販でも購入できる

ガス1本の連続燃焼時間は70分。1日1本を使い切るとして6本を同時注文した。
届いた品は3か月ほど前に製造されたものだった。エクセルで管理している7年先のカレンダーに「ベランダで肉でも焼け」と書いたのは言うまでもない。

こうして在宅避難の備えが進んで行く。
備えた時は記憶が新鮮なので、数年先の自分が収納場所や使用期限を忘れてしまうことに思い及ばない。
今回は、専用のブックを作って書き留めていく。

在宅避難

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