東海道新幹線で31年前に起きた保守車両追突事故 当事者の記憶
2024年7月22日の朝に届いた日経速報メール「東海道新幹線運転見合わせ」の見出しに"保守車脱線"の文字をみて「カンタンにはいかないやつ」かと想った。
ただ、あれから31年も経っている。もう今は違うかもと考えたが、記事に掲載された現地写真で脱線車両の編成長を見て(両数が多いため)「これはまた長くかかるかも」と察した。
JR東海に寄せる高い信頼感を元に考えれば、主幹事業の「東海道新幹線」に何かあった場合「はやっ」と驚くようなリカバリーをするだろうと想う。だが「保守車脱線」ではそうもいかない。僕は過去に当事者として体験があった。
1993年8月6日(金)の朝、東京の宿で目をさます。
当時、名古屋で働いていた僕は前夜に東京での仕事を終えて、翌日ゆっくり帰ることにしていた。
テレビニュースを見るわけでもなく、お昼過ぎにとっておいた新幹線の軟券を握って東京駅へ向かう(品川駅ができたのは10年後)
在来線を降りて新幹線改札に向かうと、人々の波がそこらを埋め尽くしていた。
何事だろうか想像が付かない。田舎者の僕にとって初めて見る光景だ。
1993年といえば「パソコン通信」は始めていたものの、まだ携帯電話がない。情報収集は「駅員さん」と「掲示板」が頼り。
掲示の貼り紙にはおよそ次のようなコトが書かれていた。
「今朝未明、浜松において保守作業車の事故が発生。始発から運転を見合わせている。復旧の見通しは立っていない」
30年後、インターネットで詳しくしらべることができて「早朝浜松で保守作業にあたる車両が別の作業車に追突した」ことがわかったが、その時はこの程度。
理由が詳しくわかったところで、目の前で起きていることは変えられない。
ただ1つ言えることは、僕が持っている指定席切符はその主を失ったということだ。
不幸中の幸いで、既に切符を持っている客だけが改札内に入ることができた。当日切符を買い指定をとって乗ろうと想っていた人々は改札内に入ることができない。
僕は改札を通り、場内アナウンスに耳を傾ける。
すると13時過ぎに静岡行きが出るというアナウンスが入った。
静岡から先の見通しは立っていないと言う。
「とりあえず先に進もう」
そう考えるとすかさずホームに駆け上がり、既に入線していた列車に乗り込んだ。当時の東海道新幹線には 0系、100系、300系がラインアップされていたが、恐らく100系だったと想う。
朝から運転再開を待っていた人たちなのだろう。車内は既に満席。
そこで車両最後尾の空間に荷物と共に潜り込んだ。
現代ならば「特大荷物スペース*」として有料の場所だ。
*特大荷物スペース
・2020年5月20日より事前予約制サービス開始
・3辺合計160cm~250cmの荷物(特大荷物)を持ち込む場合「特大荷物スペースつき座席」または「特大荷物コーナーつき座席」を予約する
そう長い時間待つことなく「静岡行き」が東京駅のホームを出発。
途中駅から客が乗った記憶がないので、静岡直通だったのかと想う。
後にこうして書く機会があるとわかっていれば、それこそ、詳細にメモをとり、写真だって撮っただろう。動画を回していれば、そこそこの再生回数と高評価が得られたかも知れない^^)
僕はもう若手とは呼べない社会人だったが、座席と壁の隙間に潜り込み荷物に腰を掛けて列車に揺られていると、貧乏学生の旅のようでなんだか可笑しかった。
静岡駅に着く頃、新たな情報がもたらされた。
「間もなく運転再開の見通しです。*番線に停車中の列車が名古屋まで向かいます」
もしかすると「大阪まで」だったかも知れない。録音したわけではないので曖昧だ。
「とりあえず先へ進む」選択が功を奏して、誰に誇る訳でもなく僕は鼻が高かった。
静岡に着くとすぐ待ち受けていた電車に飛び移った。
ここでも車内は既に静岡から西に向かう人達で満席。
今度はいつもの混雑時のように通路に立った。
座れなくても、動いてくれるだけでありがたい。
東京駅で朝から待っていた人も多かっただろうし、予約切符を持っていない人たちは恐らく今頃まだ改札の外にいる。
私の記憶が確かならば・・15時頃に静岡を出た列車は16時台に名古屋に着いた。
名古屋駅の改札もごった返していた。
当時まだ、新幹線改札口は自動改札ではない(導入は1998年)
僕が切符を渡そうにも駅員さんはそれどころではない様子。
その時ふと考えが浮かび、乗車券をそこに起き指定券だけ持ったまま改札を通り抜けた。
「特急は一定時間以上遅れると払い戻しがある」
そんな話しを聞いたことがあったからだ。
そのまま「みどりの窓口」に直行して窓口で切符を出す。すると特急料金の全額を払い戻してくれた。
その日の夜、ナゴヤ球場で開催予定だったNPB中日対巨人戦は、巨人選手の球場入りが遅れる見通しとなり規定により中止された。
「保守車両が脱線すると、復旧にはかなり時間がかかる」
31年前の記憶があったから、今回もそう察した。
■2024年7月22日 時系列の記録
2024年7月22日(月)3:40頃
豊橋-三河安城間(上り)でバラストを積んだ保守用車両が、線路上に止まっていた保守用車両に追突。両車ともに脱線
5:59~
始発から東海道新幹線全線で運転見合わせ
その後、見合わせ区間を浜松-名古屋間に縮小。東京~浜松間こだま運行
JR東海「復旧作業は19時頃までかかる。運転再開は同日夜以降になる見通し」
15:00過ぎ
事故車両が移動を始める
18:00頃
JR東海が「一部列車を除いて終日運転をとりやめる計画」を発表
21:00過ぎ
復旧工事完了
22:00過ぎ
臨時列車が事故現場を通過して運行
23:30頃
JR東海が「328本が運休しおよそ25万人に影響が出る見込み」と発表
7月23日 5:59~
始発から全線運行再開
JR東海は「朝の時間帯を避けること、指定席の確保を呼びかけた」