8月9日 長崎の子ども達は登校日 長崎平和祈念式典は2年つづけての晴天
五輪会場は避けてくれた「台風ご一家」だが、この日、9号が中国地方に上陸していた。
僕は子どもの頃、ずっと「台風一家日本晴れ」だと思っていた。
テレビの天気予報でその言葉を聞く度、雲の上のちゃぶ台で団らんしている台風一家の姿が浮かんでいた。なぜかご家族は皆、節分で退治される赤鬼や青鬼で、カワイイ子鬼?もいた。
午前9時、台風9号ご一行は温帯低気圧に変わったが、ひきつづき各地にとてつもない雨を降らせている。
午前10時50分
台風ニュースのため5分遅れで「長崎平和祈念式典」の放送が始まった。
パソコンでも地上波が見られる「NHK+」はとてもありがたい。
パソコンで見られるようになって2年め。今年も長崎の空は晴れている。
会場のテントでは換気の送風機が回っている。
この1年で亡くなった被爆者の名前が奉安されて「その数は189,163人となった」と放送が伝えている。
10時55分
「献水」
この名を知っている人の多くは長崎県民だろう。
原爆に遭った人の多くが、焼けただれた体で「水を水を」と求めて死んでいったという。
8月9日は子どもたちにとって「夏休み」期間だが、この日は登校日で平和教育が行われる。
2021年は祝日にあたるが、心配された台風の影響もなく予定通り登校日となった。
僕は登校日になにをしたかの記憶がないが、家族とともに訪れた原爆資料館(長崎市)でそのエピソードを知り大きなショックを受けた。
11時2分
原爆が炸裂した時刻に合わせ長崎の鐘が鳴らされて、黙祷を捧げる。
僕は平和祈念像(銅像)を傍らに置き、手を当ててそれに倣う。
長崎市の田上市長は「長崎平和宣言」でこう述べた
長崎を最後の被爆地に!このことばを長崎~世界中のみなさんに届けます
広島が最初の被爆地という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば
長崎が最後の被爆地として刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります
被爆者代表 岡信子さんの「平和への誓い」は、日頃、何食わぬ顔で平和な今を生きている僕たちを、地獄の底へひきこむような力があった。
爆心地に近い城山小学校の代表による児童合唱「子らのみ魂よ」1400人の児童が原爆により命を落とした。
君たちが長崎に生まれ、使命を持つことを喜びに感じてくれればと思う。
純真女子高等学校の音楽部10名による合唱
毎年、この合唱は親戚の気分になる^^)
冒頭に独唱があり「どうか声が裏返りませんように」と願う。あたかも親戚の娘が唄っているように。
被爆76年、コロナ禍2度めの式典、NHKの放送は11:53頃、終了した。
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