2021年1月11日 (月)

USB充電式カイロは2台態勢がマスト

去年の今日、USB充電式カイロをここで紹介している。

<要約>
品名:ANSOLO 充電式カイロ
実勢価格:2,680円
発売:2019年8月

仕様
■5200mAh リチウムイオンバッテリー
■低温モード8時間連続発熱
■重量:135g

その記事はこう結んでいる。
~今年は東京五輪2020のため、3月、4月、9月には水曜夜のJリーグがスケジュールされます。ハーフタイムに速攻で暖を取りたい時に重宝しそうです。~


結果的に、水曜夜のJリーグは「これでもか」というほど行われたが、それを観戦する機会は訪れなかった。
1年前「8時間連続発熱」は偽りあり。実際には3時間程度と書いた。
夜のうちにフル充電しておいて、朝、家から持ち出すとお昼には冷たくなってしまう。
もう少しバッテリー容量が大きいモノがあるといいな・・

そして、また次の冬がやってきて、いよいよ手の冷たさが喫緊の課題になってきた。そこで探してみると、7800mahの品がamazonで見つかったので購入した。


品名:Forty4 充電式カイロ
実勢価格:2,999円
発売:2019年11月

仕様
■7800mAh リチウムイオンバッテリー
■低温モード12時間連続発熱
■重量:187g


<5200mAh⇔7800mAh比較>
*5200-7800

●実測重量
136g-178g
厚さは同じなのでポケットに入れた時の出っ張りは同じ
7800は全体が大きい分、薄く感じる

●低温モード表面温度
42℃-38℃
*TANITA非接触体温計で計測
5200の難点は低温モードが「熱い」ことだった。
入眠時、掌をじっくり温めるという用途には向かない。
7800は低<中<高の設定が実用に合っている。

7800の表面温度
高温:51.0
中温:42.5
低温:38.0

5200と7800の2台態勢になって、ようやく「使いたい時にいつも使える」環境が整った。
「熱さ」が欲しい時、それが速攻で手に入る「USB充電式カイロ」は極寒期には欠かせない。

※補足
今回購入した7800。最初に届いた品は傾けると中から「からから」と欠片が転がるような音がして返品。再度購入した品を使用している。

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2020年11月 7日 (土)

カセットテープを飾る場所を設えるため、BOOKMANの棚板を増設

2020年、現行品ラジカセの中から選んだのはPanasonic。かつての愛機「National RQ-552」と同じ松下電器だ

Panasonic RX-M45-H
■聴けるもの:FM/AM/カセットテープ
■実勢価格:4,618円
■発売:2017年3月

仕様
■サイズ:W308×H138(ハンドルを上げた状態)×D122mm
■重さ1.7kg(電池含む)
■電源:AC/単1×4 充電式ニッケル水素電池(エネループなど)が使える
■デジタルチューナー
■入力:内蔵マイク
■出力:イヤホン端子

決めてになったのは、カセットテープ走行の安定性、モーターに尽きる。
どれだけ魅力的な機能が付いていても、スピーカーが大きくても、ラジカセはテープが安定してまわってくれないと始まらない。

機種を絞り込むと、受け容れ準備にはいる
車庫からカセットボックスを持ってきて、置き場所を決める。だが、箱に入れっぱなしでは味気ないと想う。人形は顔が猪木だが、カセットは背見出しが命。いつも見える場所にお気に入りのカセットを並べたい。
そこで、書棚に置き場所を設営する
書棚は二重構造になっていて、手前の列がヨコにスライドする
当初はすべてが本で埋まっていたが、徐々に整理して、手前のスライド棚は小物置き場と化している
ダボ穴に「棚ダボ」や「ダボックス」を挿す場所を変えると棚板の位置が変えられる
実際にカセットを置いて見て、段数が足りないことに気づく
文庫本やほぼ日手帳は高さが15cmほどだが、カセットは高さが11cmしかない。棚板が増やせれば、カセットにぴったりの棚を2段作れる・・

書棚の部品を仕舞っておいた箱を探し出し、そこに書かれている名詞を頼りに「Google先生」に照会すると、その書棚は「BOOKMAN」だとわかった

BOOKMAN
静岡の丸伸がつくったスライド書棚
■発売:1979年頃
■丸伸のBOOKMANは製造中止となったが、奈良県の書斎家具屋が技術継承して製造販売している
■実勢価格:123,800円+税(深型2重スライド書棚)

書斎家具屋に問い合わせると、棚板だけ買うことができるというので、必要枚数を注文
購入して30年ほど経っている書棚の部品が買えるとは、なんという僥倖だろうか

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2020年6月11日 (木)

スタジオ1980からRQ-552へ目移りした理由

両親に買ってもらった初めての自分専用の家電品となったラジカセ「National RQ-552」(以下552)を僕は溺愛した。

スタジオ1980への愛を貫かず、552で手を打った理由は「5ウェイワイヤレスマシン」の存在にある。
前身の人気機種「RQ-448(MAC-FF)」~1973年発売~で登場した機構。
552~1975年発売~に搭載され、後継の「RQ-556(リモコンMAC)」~1976年発売~まで3台に搭載された。
(556では本体をリモコン操作できる機能が追加されて6ウェイ)

■5ウェイとは
内蔵コンデンサーマイク
FMトランスミッター
ワイヤレスマイク
ワイヤードマイク(ミニプラグコードで接続)
他の機器からのオンエア録音(これは謎)


筐体の右側面に開閉式のポケットがあり、そこにこのマシンが収まっている。本体に格納した状態では内臓マイク、FMトランスミッターとして稼動する。
「音を送信する」という偉業を達成したくて、ラジカセ本体の音をトランジスターラジオに飛ばして聴いたりしたが、何度かやっているうちに、ドキドキ感が薄れていることに気づいて止めた。

本体から取り出すとワイヤレスマイクとして使える。
小学生の頃、憧れたトランシーバー。
学年でも、お金持ちの家の子供しか手にできない、夢の通信機。ついに、買ってもらうことはなかったあの品と同じことが実現できる。

通信にはその相手が必要だ。
それにはシンちゃんを巻き込む必要がある。
2階にある僕の部屋からシンちゃんの部屋は50mほど。ワイヤレスで電波が届く。
僕はシンちゃんに、父から借り受けていたワイヤレスマイクを貸し渡した。
(シンちゃんのラジカセにはワイヤレスマイクは付いていない)


テレビは八時までと決められているので、僕は8時以降は二階の部屋で過ごす。
窓の外を見てシンちゃんの部屋に電気がついていると、僕は窓を開けリコーダーで[ド][シ][ラ][ソ]を奏でる。これが僕の合図。
シンちゃんからの合図は、ただリコーダーをぴーっと吹くだけ。こちらがお願いする側なので、相手のハードルは低くした。

その音に気づいて、シンちゃんも窓を開ける。
互いにラジオとワイヤレスマイクのスイッチを入れて交信する。

明日の宿題もうやった?
テレビに拓郎が出てたね

まぁ、そういう不要不急の話しだったと想う。それを証拠にまったく内容を思い出せない。


その日は電波の入りが悪く、僕は椅子に乗ってラジオのロッドアンテナをぐるぐる回して、シンちゃんからの電波を探していた
その時だ
頭に強い衝撃があり、火花が散った

僕は生涯で火花が散った経験を2度しているが、いずれもシンちゃん絡みである。

つづく

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2020年6月 6日 (土)

200円のお小遣いがPTAで取り上げられる

借りて来た陽水をカセットテープに収めた僕は、さっそく「ミュージックセレクター」のスイッチをオンにする
キューまたはレビューボタンを押下
(あとは見ているだけ)
自動的に曲間を検知すると「きゅうん」という音と同時に赤いランプが点灯してテープの回転が止まる
キューまたはレビューボタンがかちゃっと音を立ててキャンセルされ、新しい曲が始まる

曲間を検知するために、音楽を録音する際、曲間に4秒以上の無音部分を作るよう説明されていた。
当時のLPレコードは大抵、その条件に合致していたので、大半の曲間が検出できた。
ただし「あかずの踏切」から「はじまり」というような、ほぼ無間隔でつながる曲間は検出できなかった。


当時はまだレンタルレコードも、音楽配信もない。
音楽を趣味にしている同級生は五島の身の周りにいなかった
従って、音源の頼りはFMからのエアチェック

既に「テレビマガジン」を卒業していた僕は、新たに「週刊FM」が愛読書になった。


少し話しが逸れるが「テレビマガジン」は仮面ライダーやキカイダーなど、当時の特撮ヒーローを主に取り扱った月刊誌。講談社が発行していた。
僕が今でも講談社贔屓なのは、その影響だと想われる。

仮面ライダーファン(当時オタクという言葉はない)の僕は、発売日には国丸書店に飛び込んで購入した(配本が1~2冊と少なかった)
ページが折れないよう1ページずつ大切にめくり、穴が空くほど読み込んだ。
付録としてカードやポスターが綴じ込まれていて、僕が壁に貼っているのはこのポスターと旅先で買ったペナントだった。

当時、毎月のお小遣いが200円
テレビマガジンが200円
つまり、全財産を仮面ライダーの情報収集に費やしていたのだ。
仮面ライダースナックも買う必要があったが、それは、お年玉を切り崩していた。

200円というお小遣いは当時としても決して高くはなく、恐らく学校じゅうでも最低ラインだったと想う。
ある時、なんの気なく、お小遣いが「テレビマガジン」で終わってしまうという話を頭の良い上級生に話した。
すると、その上級生が親に話し、その親がPTAで取り上げた。
少なすぎる!可哀想!
要は学校の先生の子供にしては、みじめだということだ。
同級生の大半は漁師の家庭で、そこから見ると公務員というのは収入が安定しており、お金に困っているはずがないということなのだろう。

余計なお世話だ

この話しは、母から聞いた。
つまり、母がPTAに行った時に、リッチな母親たちに言われたのだ。
母が、僕と同じ見解をその場で述べたのは言うまでもない。
僕もおおいに同意したが、内心はこれを機に100円くらい上がらないかなと想った。

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2020年6月 5日 (金)

ラジカセをゲットした少年は、なぜ皆、同じポーズで写真に収まるのか?

南松堂からもらって帰ったカタログを熟読した僕は、その先進性にうっとりしてしまった。
値段は39,800円
憧れのスタジオ1980より3,000円安い。何より4万円の壁を切っていることが大きかった。

僕はまだ松下幸之助がどれだけ偉い人かを知らなかったが、すっかり松下魂に染まり、ミュージックセレクターの素晴らしさ、これだけの先進機能を入れながらも、なに1つ基本をおろそかにしていない。しかも、お値段サンキュッパ!
さらに本日限り、なんと!カセットテープ2本のおまけ・・
は言わなかったが、これまでに身につけた、ありとあらゆる知識に、仮面ライダーカードで覚えた説得のコツを駆使して父に迫った。

次の週末、我が家の4畳半の居間には、National RQ-552を抱えて記念写真に収まる僕がいた。

昭和50年頃というのは、写真を撮ると言うことは非日常の行事だった。
フィルムを買ってカメラに入れる。
撮影して現像+同時プリントして手元に届く。
それをナカバヤシフエルアルバムにいれる^^;)
恐らく1枚の写真には100円程度のコストがかかっていたと想う。
そんな手間暇とお金がかかる写真は、そうそう撮れるものでは、いや、撮ってもらえるものではなかったのだ。

その日は猫の額の居間で箱を開けた後、写真に収まった。
父が「一枚撮るか?」と言ってくれたのか、僕から記念に一枚撮って!とせがんだのかは覚えていない。
恐らく前者だろう。思春期を迎えた子供をカメラに収めるのがいかに難しいかは、後に知ることになる。

僕はハンドルを握ってラジカセを胸の高さまで持ち上げて「どーだ」というどや顔を決めている。

どうして、ラジカセと記念写真する男というのは、みな同じポーズなのだろう。
これまでに、雑誌などで何枚かの写真を見たが、一様にハンドルを握り胸の高さにかざしたラジカセでカメラ目線という写真だった。


ラジカセを手にした瞬間というのは、それほど、誇らしく、輝かしく、記念すべき時なのだ。
ラジカセは受け手から担い手へ僕らを誘う。
僕らはテレビで育ち、情報に対して一方的に受け身だった。
ラジカセは音を「記録」し「削除」し「上書き更新」する。
混ぜたり、複写したりもできる。
(挿入はできなかったが)

次の日、学校に着いた僕は職員室に直行し、音楽の立岡先生に陽水の「断絶」をもう1度貸して欲しいと申し出た。
すると、立岡先生は「氷の世界」「二色の独楽」も一緒に貸してくれたのだった。

つづく

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2020年6月 4日 (木)

日本初のラジカセを作った ナショナル ラジカセの歴史

ナショナルのラジカセ「RQ-552」は「5ウェイワイヤレスマシン」を本体内蔵して大人気となった「RQ-448」の後継として「音のマック」というキャッチコピーで売り出された。
当時ナショナルのラジカセには「マック」という愛称があったのだ。
アップルコンピューターが設立されたのが1976年。
ナショナルはそれ以前から「マック」という愛称を使っていた。

ちなみに、1977年に発売したVHSビデオデッキには「マックロード」と命名した。
当時、NHKが土曜日に放送していた「警部マクロード」という人気海外ドラマがあったので、恐らく、それにあやかったものだと推察している。


■ナショナルラジカセの歴史

1967年12月
RQ-231
35,800円
既にテレコはSONYが出していたが、日本初のラジカセはRQ-231

1973年
RQ-540(MAC GT)
カールコードのワイヤードマイク付き
FMトランスミッターを初搭載

1973年
RQ-448(MAC ff)
5ウェイワイヤレスマシンを本体内蔵
34,800円

1975年
RQ-552(音のマック)
39,800円

ナショナルラジカセの品番は「RQ」が使われた
1976年に参入したステレオラジカセ(RS-4300)ではRS、RQ、RXが混在した


音のマック「RQ-552」の特徴は、世界初の「ミュージックセレクター」を搭載したことだ。

当時、ラジカセの上位機種に搭載されていた曲間頭出し機能「キュー&レビュー」は、頭出しをしている間、ボタンを押し続けていなければならなかった。
これが、けっこう指力が要った。恐らく、ラジカセファンは指立て伏せが得意だったはずだ。

そのうえ「よし、ここだ!」と想って指を離すと、次の曲の頭が切れていたりした。
絶妙のタイミングで指を離すのは熟練を要した。
もし、今「TVチャンピオン」で「ラジカセ王選手権」があるならば「キュー&レビュー頭出し対決」は最大の見せ場になるだろう。

ミュージックセレクターは、このラジカセ少年を悩ませた頭出しを自動化したのだった。そういう意味ではラジカセ界のAI、いやRPAといえる^^;)

 

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2020年6月 3日 (水)

上五島に引っ越して来た日の迷推理

上五島に引っ越して来た日
陸続きではない海の果てに来てしまったことなど忘れて、僕はハイテンションだった。
それは、物心ついてから初めての引越だったからだ。
それ以前にも生まれた佐世保から2度引越をしているはずだが、その日のことは記憶にない。

家財を載せたトラックと僕らの自家用車は同じフェリーで奈良尾に着いたのだが、トラックはまだ着いていない。

僕は家の鍵を開けてもらうと、一番乗りで家じゅうの探検に入る
一階にはうなぎの寝床のような台所(実際に母はここで釣ってきたうなぎを捌いていた)風呂と和式の便所、そして四畳半の居間
本当に猫の額のような部屋をみて僕は「せまっ」とは言わなかったが、ここで一家四人がご飯を食べテレビを見て過ごすには狭すぎると感じた。
その部屋に二間の押入があった。

荷物が届いていないのだから、がらんどうのはずなのだが、そこに未開封のタオルが1つ。僕はそれを手にして、遅れて入って来た母にこう言った。

前にこの部屋に住んでいた人は、みなまつどうと関与してる人だね

今つくった話しではない
小学4年の時には、校内一、本を(借りて)読んでいた僕は「シャーロックホームズ全集」を読了していたため、推理に飢えていたのだった。

ワトソン君じゃなくて、母は僕の名推理をスルーした
特に何かを指摘することもなく

上五島の人ならばわかると想うが、タオルには南松堂と書かれていた。
南松浦郡上五島町青方の電器屋だから南松堂。
長崎県には北松浦郡と南松浦郡があり、それぞれ「ほくしょう」「なんしょう」と呼ばれている。
このお店の呼び名は「なんしょうどう」である。
後日、それを知った僕は、顔から火が出ると同時に、このことは一生誰にも言うまいと心に決めた。


週末の日曜日、僕は父と青方に買い物に来ていた
いつものスーパーで買い物をしたあと、父を南松堂に誘う
南松堂は上五島に一軒だけあったナショナルのお店だ。

ショウウィンドーに見慣れぬラジカセが飾ってあった
カタログを暗記しているので、それが新製品であることは一瞬でわかる
スピーカー周りの装飾が目新しい

そのラジカセは名前を RQ-552といった。

つづく

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2020年6月 2日 (火)

SONYファンの父にスタジオ1980をねだれなかった理由

僕のラジカセ・ゲット作戦は終盤を迎えつつあった。
SONY、ナショナル、日立、AIWA
佐世保に遊びに行った時には、四ケ町の千日音機に足を運び、店頭でもらえるカタログはすべて集めて研究した。

SONYスタジオ1980の絶対的優位はゆるがない
ただ、五島にはそれを店先に展示している店がなかった。
昭和40年代、たいていの子供がそうしていたと想うが、何かをねだる時は親をお店に連れて行くのが手っ取り早い戦術だった。

あれ?誰かと想ったら、君はスタジオ1980君じゃないか?
こんな所で会うなんて奇遇だねぇ
あぁ、紹介するよ。こちら僕の父だ
(そして、親に向かって)
1980君とはカタログで出会って以来、相思相愛の仲なんだけど、そろそろ家に迎えてくれませんか?
そうすれば、僕は目の色を変えて、日々勉学に努めるものと候^^;)

だが、この作戦はファーストミット、月刊ゴング(全日本プロレスファン)と連戦連敗。うまくいった例しがない。
月刊ゴングの時などは、国丸書店の店頭で「ウチではこのようなものを推奨した覚えはない」と一笑に付され、やり場のない喪失感を味わった。


直接、質問したわけではないが、父は恐らくSONYファンだったはずだ。
(これに限らず、親に質問することは、とても少なかった)
トランジスターラジオ(清志郎ではない)ステレオセット、トリニトロンのカラーTV。我が家にある音響機器はすべてSONY製品だったのだ。

今振り返ると、そんな父がSONYの旗艦モデルであるスタジオ1980を買ってくれなかったのが不思議に思える。
僕はきちんと説得していたのだろうか。もしかすると、腰が引けて心からねだっていなかったのでは?


42,800円という価格はネックだった。
1974年当時の大卒初任給は78,700円
もちろん、そんなアカデミックな計算をしていたわけではないが、中学生の僕がやすやすとねだれる金額ではないことは理解していた。

当時、ラジカセで4万円を超えるものはほとんどなかったと想う。ラジカセが5万円を超えるようになるのは、ステレオラジカセの登場以降だ。
少し話しが逸れるが、僕はこのステレオラジカセを初めて見た時、こう想った。

なんてこと、するんだ

あまりにもかっこ悪かった
その頃はモノラルとステレオの違いなど、どうでもよかった
今ならばステレオは「L」と「R」のスピーカーが左右に分かれていることに疑問はない。
だがこの時は、なぜカセットを筐体の中央に配したのか意味が分からなかった。

ラジカセというのは左にカセット、右にスピーカー。そのうえにラジオのチューニングやVUメーター。それこそが黄金律と信じて疑わなかったのだ。
ステレオラジカセの見てくれは、一学年下に降りて来た落第生のように、ばつの悪さが拭えなかった。


ショールーム販売に持ち込めなかった僕が、カタログを唯一のツールとして臨んでいた「スタジオ1980」交渉が暗礁に乗り上げていた頃、ナショナルから1台のラジカセが発売された。

つづく

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2020年5月29日 (金)

SONY スタジオ1980 は子供たちにとって反則のオンパレードだった

僕がベストのラジカセ、ゲットに向けて各社のカタログを精査してい当時、流行始めていたのがミキシング。

mixing
ミクシィをすることではない
音と音を混ぜることだ
レコーディング・スタジオで調整卓を操り、いくつもの音源を混ぜる(トラックダウンする)人をミキサーという。

糸居五郎のオールナイトニッポンやRKBベスト歌謡50の林さんみたいに、音楽を後ろでかけながら話すことに憧れた。

■ミキシング
ラジオ、AUX IN、マイクなどの音源をミックスして録音する機能
ラジオDJのように音楽に声をかぶせてオリジナルテープを作ることができ、プロの気分を味わうことができた


1974年発売のSONY「スタジオ1980」はレコーディングスタジオのミキサーコンソールを模した音量調節が付き、大人気を呼んだ。
僕はしらべるでこう定義している。

オーディオファン予備軍の子ども達を虜にしたラジカセ
A boombox that captivates the children of the audiophile reserve army

ラジカセは「ドラちゃん」(POCKETALK S ドラえもんEdition)によると boombox というらしい。そんなの聞いたことないなと「Google先生」にも意見を求めたところ同意見だった。
悪い!「ドラちゃん」一瞬、君を疑ってしまった。


スタジオ1980
■型番:CF-1980
■価格:42,800円

仕様
■サイズ:W376×H245×D106mm
■ラジオ:AM/FM 2バンド

1974年
スタジオ1980発売
1976年
スタジオ1980マークⅡ発売 43,800円
1977年
シリーズ最終型 スタジオ1980マークV発売 44,800円

 

スタジオ1980の魅力はミキシングコンソールもさることながら、最大出力3wで鳴らす16cmという大口径のウーファー(スピーカー)にあった。
そのスピーカーを強調する迫力満点のデザインは幼気な少年たちを、これでもかというほどいたぶった。

どーだ!
君の魂を揺さぶる音を聴かせるぜ
その音楽は君が作ったっていいんだぜ!

National クーガRF-877と並んで、スタジオ1980のデザインはまさに暴力的。その威力の前に僕らはひれ伏すしかなかったし、数十年の時を超え、今でもその偉容には畏怖の念が消えない。


当時、佐世保玉屋裏にあったSONYショップの店頭に、スタジオ1980の巨大な模型が展示されていた。記憶が確かならば高さ1mほどはあったと想う。僕は靴に釘を打たれたように、いつまでもその場から動けなかった。
(10分くらいで動いたけど)

つづく

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2020年5月28日 (木)

僕らにはワウ・フラッターを語る相手がいなかった

キュー&レビューは上位機種に装備されており、カタログでラジカセを選ぶ時の「マストアイテム」といえた。
たとえばナショナルのカタログにラジカセが8機種紹介されていたとすれば、フラッグシップの1台、そこから魅惑の機能を外した少々廉価の2台程度まで。
"メインエベント"の馬場と、セミファイナルの鶴田、デストロイヤーまでといったところだ。高千穂や轡田には付いていない ^^;)


カタログで各機種を見比べる時、キュー&レビューと並び、デフォルトといえる機能がフルオートストップ。

■フルオートストップ
再生、早送り、巻き戻しが終わると自動的にボタンがキャンセルされ、電源が切れる機能
再生だけの場合はオートストップ
SONYだけはフルオートシャットオフという呼称を使っていた。

搭載以前のラジカセは、自分でストップボタンを押下しなければならなかった。
この機能の効能は、電気代の節約だけではなく、再生ボタンが押されたまま長い時間が経つとテープに負担がかかるためと理解していた。
ただ、それが何から得た情報だったかは思い出せない。
カタログにそこまでの蘊蓄は載っていなかったし、ラジカセ専門誌はない。中一コースなどの総合情報誌に載っていたのだろうか。
もちろん、インターネットはないし、周りに僕よりラジカセに「詳しい人」が居た記憶も無い。


ワウ・フラッターという言葉はよくわからなかった。

■ワウ・フラッター
モーターの回転ムラによる音のふらつき。%で表示される。数値が小さい方が高性能

カセットで音楽を聴いていた頃、すなわち1970年代は、ほとんどの歌謡曲がフェイドアウトで終わっていた。
このフェイドアウトの音がよく揺れた。
元々そういう曲なのかと想うほどだったが、もちろん、そんなはずがない。
モーターの回転が不安定なのか、テープが伸びているのか、原因はわからなかった。
それもワウ・フラッターで語ることなのか?それについて誰かと語り合ったことはない。周りに僕くらい細かいことが気になる友達がいなかったのだ。
今ならば、インターネットを通して全国のラジカセ仲間と語り合うことができただろう。
昭和の子供たちは、カタログが話し相手だったのである。


メーターの装備もデフォルト。
内蔵するラジオからの録音レベルは自動決定されるが、ステレオセットとつないでレコードを録音する時などは、針の振れが概ね0のところ(レッドゾーンの手前)に収まるよう調整する。
この作業は、録音中に部屋の蛍光灯を消したりしないことと同様、神経を使った。

当時ラジカセに搭載されていたメーターはVU(ぶいゆー Volume Unit)と呼ばれるもの。
後にカセットデッキに搭載されたピークメーターは瞬間のピークを表示。
やがてメーターがデジタルになり、ピークホールドで誰にでもピークが読めるようになった。

つづく

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