節分は易占いの新年度
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隊列は整った。
えっと
今日は超能力だったっけ
マジック?
霊視占い?
いったい何が始まるのか、頭の中が混乱している。
これが初体験というものだ。
一度、経験済みのものは、どきどきが減る。
完全になくなることはないが、2度目からは考えが整理された状態で臨むことができる。
それを感動が薄れるともいう。
サイキックと呼ばれる能力をもつ人に対して、初対面の瞬間を迎える時、人は誰でも緊張する。
写真でも見たことがあれば、少しは平常心がもてようものだが、川棚のマジシャンの顔を知らない。
マジシャン登場の時だ。
人が2人立つのがやっとであろう、カウンター越しの小さな空間に、厨房側から彼が登場。
助走が短いから、人形劇のステージにお笑い芸人が現れたような可笑しさがある。
手始めに、つかみのマジック。
いや、それはマジックじゃないでしょう。
サイキック
超能力と呼べるものだ。
いやいや、種のない手品なんかない。
冷静になって考えればわかるだろう?
こうして、後からふり返って思えば、そうとも言えただろう。
だが、これは紛れもないサイキック。
説明がつかない。
そもそも、種のあるマジックであれば、25年間この地で、店を開け続けていられないだろう。
地域密着のマジシャン
カンブリア宮殿の村上龍ならば、エンドロールでこう書くのではないか。
サイキック
マジック
透視
そして、霊視能力なのか?
と思えるような言い当て。
店舗の外窓に書いてある「マジックパーラー」は、マジックが見られるパーラー(喫茶店)という意味だ。
多岐にわたるサプライズがこの場所に収まっている。
この店は、マジックを盛り合わせたフルーツパフェのようなものだ。
一度来ただけでは、頭の整理がつかない。
来年にはまた来よう。
マジシャンがねじ曲げたうえ、サインを入れてもらったスプーンを手土産に、川棚駅のホームに立った。
九州の西のはずれの田舎町。
わずか一年で大きく変わることはない。
でもやはり来年、川棚の駅に降り立った時、お約束の一句は言わなければならない。
川棚も 昔と今じゃ かわったな
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厨房から会話が聞こえてこないところをみると、どうやら僕らはコックさんが1人だけの喫茶店に来ているらしい。
カレーがきた。
かつて在籍した学校の、学食のカレー皿と同様の舟形をした器。
その上にゆで卵。
そして、極めつけは柄の部分がぐるぐる巻きになったスプーン。
恐らくマジシャンであるところの店主が曲げて、ねじったものなのだろう。
カレーの味は、一見何の変哲もないもの。
しかし、食べ進むにつれて桃源郷が見えてくる・・・
わけはなく、どこまでいっても普通のカレー。
美味い!
ボンカレーと同じくらい。
ボンカレーで育った僕らの世代にとって
「ボンカレーのように美味い」
は最高の褒め言葉のつもりで言うのだが、言われたほうは複雑な表情を見せる。
だから、別に声に出しては言わない。
食べ終えてスプーンを置き、皿をかたわらに置く。
早く出たカレーにつづいて、その他のメニューが店内に行き渡ると、先ほどまでの緊張が和らぎ、店内に穏やかな空気が流れている。
記録的猛暑の夏
外はいい天気
室内は、文明の利器エアコンによって、ほどよい室温が保たれている。
今のうちにトイレに行っておいてください。
女将が告げる。
この後、ショーの間は立錐の余地もないほどに詰めて、一カ所に集められる。
その間、後列の端っこの人以外、身動きすらとれないのだ。
わっこれ曲がってるやないですかっ
となりに居た男が、僕が食べ終えた皿に目を付けた。
写真撮ってもええですか?
個別の一般客について、これ以上論評することは、したくもないし、読んでもつまらないと思うのでここまでとする。
アイスコーヒーを空にして、トイレを済ませて席に戻る頃には、すべてのテーブルから食器が下げられており、いよいよショータイムを待つばかりだ。
順番に呼びますので、場所を移動してください。
女将の仕切りが始まった。
カウンター席に陣取った人々はそのまま。
ショーはカウンターの向こうで行われるらしい。
つづいて、予め振られていた番号により、整列が始まる。
背の低い子どもはできるだけ前へ。
前の列と互い違いの立ち位置に並ぶ。
「ちょっと、左」
跳馬に臨む内村航平が見せるような、真剣な眼差し。
前の人の肩越しにステージへの視界が開けるよう、女将が1人1人の視線をチェックマしながら、立ち位置の指示をだして微調整していく。
東京の満員電車ほどではないが、11人乗りエレベーターに10人が乗り合わせているくらいの人口密集度。
都会の人は見知らぬ隣人との距離が詰まることに慣れている。
だが、田舎の人は違う。
自分のテリトリーである防空識別圏が広い。
ここに田舎伝説を確かめに来た田舎の人は、自分のスペースに他人が入り込んだ状態で、これから数時間を過ごすということに、かなりストレスを感じていることだろう。
それでなくても、立ちっぱなしというのは、運動をしている時を除いては最も辛い姿勢だ。
ショーの間を無事に乗り切れるよう、ウエストポーチに入れてきたOS-1ゼリーのキャップをひねって開けておいた。
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予言者らしい
透視能力者だ
宇宙から来たらしい ←ウソ
なかなか予約がとれない
サイキックな分野に比較的明るく、その方面の友人も少なくない立場ゆえ
「あんでるせん」に纏わる噂ばなしは以前から何度か耳にしていた。
しかも、その驚愕の店は地元に近い、長崎県の川棚にある。
これが東京のような大都市の片隅にあれば「都市伝説」と呼ばれるところだが、川棚の
場合「田舎伝説」ということになるだろうか。
予約を入れたのが3日前。
場所の下見にきたのが2日前
その田舎伝説をこの目で確かめるために、佐世保駅から1時間に1本の長崎行きに乗った。
佐世保から博多へ出る時は、早岐で進行方向が変わるのだが、きょうはそのまま直進する。
すっかり勢いを取り戻したハウステンボスに行くのは後日。
今日はJRハウステンボス駅を乗り越していく。
名物の赤煉瓦トンネルをくぐると、もうそこは川棚。
川棚も 昔と今じゃ かわったな
決まりなので、一応言っておく。
川棚駅に定刻到着。
電車がホームに停まる前から、ドアの前に立ち、ダッシュの態勢をとる。
集合時間まで、あと5分。
ぎりぎりセーフ!
と駆け込んだが、店のシャッターはまだ閉じたままだった。
そこに三々五々、集まってきた、田舎伝説を確かめに来た客人たち。
家族連れもいれば、占いが好きそうな女性もいる。
大半の客は2人以上の団体できており、単身で乗り込んだご同輩は、ごくわずか。
定刻より少し遅れてシャッターが開くと、我先にと客が階段を上っていく。
できれば、いい席に座りたい。
誰もがそう思う。
他の誰かと同じように。
そんな気持ちを見計らったかのタイミングで、店の女将が点呼をとりながら、座席を指定していく。
団体客はテーブルへ。
そして、単身で乗り込んでいた数名の男性が入口そばのカウンターに並べられた。
やがて、食事メニューが配られる。
印のついたメニューが速くできます
できるだけそれにしてくださいという暗黙の推奨だ。
あんでるせんのショーは入場料という名目はない。
喫茶店としての飲食が、そのままこの店に落とすお金のすべてだ。
進行に協力するために、推薦されたメニューの一つである「カレー」を。
そして、これから見る驚愕のショーに敬意を表して、アイスコーヒーも注文した。
「わたし、ミックスサンド」
若年層の客がオーダー。
掟破りの無印注文だ。
え゛
一瞬、たじろぐ女将。
おいおい、喫茶店じゃないんだから(喫茶店です)
という空気が流れたが、後ほどおいしそうなミックスサンドがきちんと納品されていた。
しばらく、キンドル本を読みながら待っていると、背後でしきりにカシャ、カシャとシャッターを切るような音がする。
おいおい、場を読めないやつがいるなぁ
と思っていたが、あまりにうるさいので、ふり返ると、それはレジについている目玉のおもちゃだった。
店内は遅れて来た2人連れが到着して、予定通りの満席。
厨房からは忙しそうな調理の音が続いている。
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「川棚の手品の見せば、しっとらすですか」
新幹線N700A乗車が不発に終わり、博多に着いた夜。
デコ仲間といつもの「鉄なべ」でゴマ鯖を1人で2皿つついていた時だ。
なんか、すごからしかですけど、行ったことあります?
その一言で行くことにした。
もう数年前からいつか、行こうとは思っていたが、郷里には手品の店につき合ってくれる酔狂な友だちを確保できずにいたのだ。
誰かと一緒になんて言っていたら、その日はやってこない。
お盆に入る前の日、ダメ元で予約の電話を入れると
「14日ならば、まだ空きがありますよ」
とのことだった。
龍頭泉の帰り、西九州道には上がらず、海沿いの国道を走る。
川棚の町に入る。
川棚も 昔と今じゃ かわったな
この一句は川棚に来た人は、必ず一度言うしきたりになっている。
店名は「あんでるせん」
カタカナだったらパン屋のチェーン店のような名前だ。
16:9の比率が似合う川棚駅のコインパーキングにクルマを停めて、聞き込みにはいる。
駅の事務所にいた20代の女性に
「すみません、あんでるせんって、どこですか?」
と尋ねると、仕事そっちのけで・・
というか、客は誰もいなかったが、駅の外まで出てきてくれた。
特段、観光資源のない駅周辺で、道を聞かれると言えば、ここしかないのだろう。
ほら、あの西肥バスセンターのとなりです。
ひざを折り、蜃気楼の彼方にクジラを探すかのように、指さす先を見る。
せっかくの親切にオーバーアクションが似合う。
歩道橋の下、バス待合所の奥、そこに「マジックパーラーあんでるせん」の文字。
店があるビルまで、恐る恐る近づいてみる。
「ただいま実演中です」
「ただいま満席です」
要領を得ぬ客が、ふらっと入り込まぬようにしているのだな。
予約の際、店主と思しき男性から
「お盆は道が渋滞しますから、時間に余裕をもって遅れないように来てくださいね」
と念を押された。
それはそうだ。
マジックの殿堂だけに、開演時間もきっちりしているのだろうし、遅れて途中入場すれば、演目の進行に支障があろう。
遅刻などもってのほか
従って、当日はクルマではなく、JRに乗って来ることにしている。
川棚駅に戻り、到着ダイヤを確認する。
あいにく電車は1時間に1本。
集合時間の11時にたどり着くには、川棚に数分前に着く電車に乗るしかない。
Suicaは使えないんですか?
と口に出す前に、自動改札機がないことに気づくべきだった。
親切で可愛らしい駅員さんに
当日はよろしくま!
と心で会釈して下見を終えた。
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井上陽水40th Special Thanks Tourに行った時、不思議に思ったことがある。
終盤のMCで
「皆さんのご健康をお祈りしています」
「皆さんの幸せをお祈りしています」
といったことを繰り返し言ったのだ。
初めての陽水ライブだった東京国際フォーラムでは、なんでそんなことを言うのだろうと考えた。
続いて行った日本武道館公演でも陽水は、皆さんにむかって祈っていた。
東京国際フォーラムならば5,000人。
日本武道館ならば10,000人。
祈った相手の数は半端ではない。
普通の人が誰かに向かって祈りを捧げようと想ったら10年くらいかかってしまう人数である。
その時は、陽水なりの感謝の表し方なのだなと独りごちていた。
あれから3年、今となってはその理由が推測できる。
陽水はなぜ、大勢を前にして祈っていたのか?
世の中にはいやな奴がたくさんいて
「あいつが居なくなればいいのに」
と想う相手が誰にも1人くらいはいるだろう。
そんな相手の顔を思い浮かべて「**」と、ちょっと書けないような祈りをしてしまったとしよう。
しかし、祈った後にあなたは想う。
いや、そういうことを祈るとそれは自分に返ってくるのではないか。
いや、そうやって気持ちを抑えつけるのは良くない。はき出した方がいいんだ。
もう堂々巡り。
いったい、どうすればいいの?
自分は一生懸命がんばっている。
でも周りは自分を認めてくれない。
そればかりか、次から次に難題を押しつけられる。
誰も見ていないと想っても、きっと神様が見ている。
捨てる神あれば拾う神あり・・
人は言うけれど、本当だろうか。
誰も自分のことなど、見ていてくれないんじゃいか。
自分には価値がないのか?
ここに3つの疑問文を挙げた。
その答えは以下の本にある。
「脳科学から見た祈り」中野信子 潮出版社 2011年12月 600円
著者の中野信子は医学博士であり脳科学者。
前向きな心、感謝、人を思う祈りが脳を活性化し、免疫力を高めるというテーマで執筆。
この「脳科学から見た祈り」はシンプルかつ少ない文字数で、的確な言葉が並んでいる。
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友達が死んでから12年が過ぎた
亡くなってから4年間は、命日に友達が集まり、彼を偲んでいた。
今はもう思い出す人も少ないのではないだろうか。
残された家族にも、友人たちにも、もうその後の暮らしが定着している
でも彼にだけは、その人生がない
この12年間は空欄なわけだ。
同い年の友が亡くなったケースは他にないので、こういう感慨に触れるのは年に一度、彼の命日しかない。
これから自分がさらに歳をとり、同年代の友達が1人、また1人と先だっていくと、年間カレンダーが命日で埋まっていくわけだ。
亡くなった人はその死をもって、残される者に人は必ず死ぬことを教えていく。
死んだ後の世界は、精神世界の話しを除けば、空に過ぎない。
彼は今頃、異次元のどこかにあるユートピアで悠々自適に過ごしているか、天国で次世に備えて修行に励んでいるかも知れない。
亡くなった人の今を思う時、その姿はそんな非現実な空想の世界にしかない。
今身の回りを占めているこの空気に、彼がいないことはさみしい。
次元を超えた人の姿はこうして見えなくなるのか。
それは、その立場になってみて初めてわかるらしい。
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朝いつもの電車の駅で降りる
ホームの雰囲気に違和感がある
空気の透明感、乾き具合、人の流れ
何かがいつもと違って見える
ここは、本当にいつもの場所なのだろうか
もしかすると、今日は別の次元へ来てしまったのかも知れない
電車の路線も、時刻表もまったく同じ
家族、会社、コンビニの店員。登場人物も同じ
でもそれは見た目が同じだが、違う次元の人と物
昨日はあんなに嫌だった人間関係も、今日はこれと言って苦にならない
1人だけ異次元に放り込まれる
そんなことが、日々起きているのか
僕にもあなたにも
次元が違う・・
という概念は、一般人にはなかなか理解しづらい。
ある人々が、アセンションが始まるという2012年12月22日まであと294日。
世の中の大半の人は誰も、そんなこと気にかけていない。
アセンション=次元上昇
どのような次元からどのような次元へと上昇するのか。
中丸薫の著書「 2013年、アセンション後の地球」によると、アセンションが行われるのは三日間。
12月22日は土曜日
12月23日は天皇誕生日
12月24日は振替休日
何が起こるかわからない。
有給休暇をとって家にこもろうと思っていたら、奇遇にも日本では3日間ともにお休みである。
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2011年も半分が過ぎた。
時が過ぎるのは早いものだ。
あと5ヶ月寝れば2012年。
噂の2012年だ。
いつもココロの片隅にある。
2012年はどんな年になるのか。
2013年1月は、どんな世界が目の前に広がっているのか。
日々、研究に余念がない。
研究したからと言って、答えがわかるわけではない。
だって、未来はまだきていないんだもん。
と江木俊夫風にけつをまくったところで
ある十五夜の晩、僕はベランダに出た。
おぉなぜだか、首には日本人観光客のようにカメラをぶら下げているぞ。
研究はしているのだが、この一眼レフってやつは未だによくわからない。
夜だから夜景モードにすれば、なんとかなるだろう。
22時58分3秒
おぉ、映った
シャッター速度が遅かったな
ぶれて余計な光が映っちゃったぜ
次は、もうちょっと脇を締めよう
22時58分48秒
2枚飛ばして、これは4枚目
肉眼ではほぼ真っ暗なのだが、さすがに一眼レフ
漆黒の闇のヨゾラに濃淡を捕らえているぞ
22時59分34秒
46秒後、5枚目のシャッター
ビルの地平線には雲も映っている。
よし、月もぶれていないぞ
上出来の1枚だ。
22時59分44秒
10秒後、6枚目のシャッター
うん、きちんと撮れている
結局、シャッターは8回切ったが、何枚撮っても夜空は代わり映えがしないので、そこで観測はおしまい。
部屋に戻ってアイスでも食べよう。
明日からまた、時々、思い出しては研究していこう。
未来はもうそこまで来ている。
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