我が心の引退レース
晴天の下、3年ぶりに東京マラソンが開催された。
「市民マラソン」としては3年ぶりの開催である。
最近は割と知られているのかも知れないが、冬から初春にかけて、関東地方は好天がつづく。
内勤で仕事をしているだけの時は気づかなかったが、マラソン練習をするようになって気づいた。
「そういえば、最近、全然雨降ってないな」
貴重な週末の練習機会が、雨で台無しということがほとんどないのである。
2022年初春はその傾向が例年より強まり、雨が降るとしても夜半に降って明け方に止む。
空を見上げてお天道様の粋な計らいに、幾度お礼を言ったかわからない。
3月に入ってからは15度を超える日もあり、ニット帽やネックウォーマーでは汗ばむ陽気となっていたが、東京マラソン開催日だけは最高気温12度(自身計測)と、ほどほどの範囲に収まった。
それでも、強烈な日差しは、記録を狙うエリートランナーの足を止めたように見えた。
エリートランナーでは世界記録保持者のエリウド・キプチョゲが初参加で快走を見せた。
あの走りを見ると、どうしてもアルファフライで走りたくなる。
僕のような5時間切れるかどうかのランナーには、厚底カーボンは要らないという論説を目にするが、あのふかふかな接地感は譲れない。
日テレの解説を務めた大迫傑は、この2月に現役復帰を発表した。
キプチョゲは1984年生まれだが、40歳手前で迎えるパリ五輪も目指すと言っている。
一方の大迫傑は1991年生まれ。挑戦継続は不思議ではない。
僕はまだレース中の大迫傑を目撃していない(練習中は1度見た)
冷たい雨の中、応援に行った2019年大会は、僕が待っていた地点より前に大迫が寒さで棄権していた。
また、大迫傑の走る姿が見られるのは嬉しいニュースだ。
さて、大迫傑は引退を撤回したが、この半年で「引退レース」について考え始めた。
市民ランナーでもやっていない限り、なかなかスポーツからの「引退」を考える機会はない。お金がないからゴルフは止めましたというのは、引退とはちょっと違う。
ゴルフと並び、マラソンは高齢者でも一定のレベルを維持できる。若い人よりも巧い、速い人がいる希有なスポーツだ。
速くは走れなくても、70歳過ぎまで続けられると考えていた。
だが、コロナ禍で出場レースが延期される度、このブランク後に再び「42.195kmの世界」に戻れるのか?と考えるようになった。
マスクを付けて走るのは身体がきついし、外して走るのは心がきつい。
人々がマスク無しで暮らすようになった時、今よりも歳をとっている。
残念だが、もう「47都道府県マラソン制覇」はできそうにない。
それでも、郷里の長崎県で1度走るまでは止められない。
次のレースは地元「東京マラソン」
そして最後は、被爆80周年記念で予定される「長崎平和マラソン2025」
それを我が心の引退レースにしたいと想っている。